- 作者: ドロシー・L.セイヤーズ,Dorothy Sayers,宮脇孝雄
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2001/04
- メディア: 文庫
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発表年:1925~1939年
作者:ドロシー・L・セイヤーズ
シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿
本作は日本独自編纂のピーター・ウィムジィ卿シリーズの短編集です。そういえば『ピーター卿の事件簿Ⅰ』の方が、東京創元社から新装版で出るということで、売れ行きによっては、再び注目されるシリーズになるかもしれません。
ピーター卿の事件簿Ⅲ刊行の為にも、是非この機会に手に取ってみるのはいかがでしょうか。
ただ、新装版で出るとはいえ、ミステリとしての厚みで言えば断然本作の方が良質です。短編だけでなく、セイヤーズによるエッセイも読み応えがあって、いちミステリファンとして所持しておきたい短編集になっています。
ただ、最後の『探偵小説論』だけはミステリ初心者を篩う関門です。古典ミステリのネタバレも多く、私自身が読めていません。申し訳ありませんが、『探偵小説論』だけは、また別の機会に触れたいと思います。
もしかしたら当記事を読んで、貴族探偵ピーター卿シリーズ面白そうだな!と思ってくださる読者がいるかもしれないので、短編ミステリ各話は、ちょっと気合入れて書きましょう。
『顔の無い男』(1928)
本書の看板作品です。
解説でも少し触れられていますが、原題にUnsolved(未解決の)と入っているのが興味深いです。どういう意味かは、実際に読んで確かめていただきたいところですが、もちろんただの迷宮入り事件ということはありません。
物語の開幕は、電車の中での素人たちの会話から始まり、一瞬安楽椅子ものかな?と思わされるのですが、前後半で静と動の緩急が巧みに用いられ、舞台が転換します。
解決に際しては、先述のUnsolvedが関わってくるのですが、あえて、論理的に整合性のとれたスタンスに持っていかないところに、セイヤーズの憎い演出が光っているように思えます。
さらに、この解決部のピーター卿の思考は、名探偵ならば一度は指摘されるであろう、何事も複雑に難解にしてしまう、名探偵としての一種の呪縛に囚われているとも受け取れます。
『因業じじいの遺言』(1925)
インパクトあるタイトルですが題材はオーソドックスです。
行方知れずの遺言状捜索という題材を、どこかで見たことがあった気がして、過去記事を見返してみると、アガサ・クリスティによる短編集『ポアロ登場』(1923)の中に似たようなテーマの短編集がありました。さらに記憶を辿ってみると、隠された機密文書や失われた書簡を探す短編は、ミステリにおける黄金時代(前期)には数多く見られます。
ただ、本作はそれら一般的な捜索系ミステリとは一線を画す、というか全く別物の短編と言って良いと思います。
その特徴は、セイヤーズの長編でもたまに見られるのですが、売れるか売れないかとか、ウケるかウケないかを別にして、彼女がやりたい(書きたい)放題書いている。
そんな短編です。実際にクロスワードのシートまであるんだからねえ…
なので、日本の読者にとっては、謎解きとしての面白さはほとんど無いと思われます。とはいえ、皮肉めいた台詞や、結末部の思わず拍手したくなるような良質なユーモアだけでも読む価値はあるのではないでしょうか。
『ジョーカーの使い道』(1926)
カードゲームが登場する短編ミステリというのは、どれもオシャレで独特の余韻を残す作品が多いのですが、本作も同じようにスマートで美しい構成に目を瞠ります。
ただ短編ミステリとはいえ、大きな謎があるわけでもなく、淡々と事件を解決するためにピーター卿が奔走するだけのお話なので、過度の期待は禁物です。
なんといってもタイトルのジョーカーに含まれるダブルいやトリプルに重なった意味が作品の美しさを演出しています。
それは、カードゲームにおいても、道化師という本来の意味でも、そして切り札としても機能しています。
『趣味の問題』(1928)
間違いなく万人が楽しめる短編です。
もちろんミステリとして、途中で真相に気付いてニヤニヤしながら読む、という読み方と、全然気づかなくて最後にアッと驚く、という二つの読み方があります。
ただそのどちらの道を通っても、もう一度最初から読み返して、随所に散りばめられたユーモア描写に笑い驚く、という違った読み方ができるのが魅力です。
また、銃をぶっ放すピーター卿というのも珍しいので、ピーター卿のファンなら是非とも読んでおきたい一作でしょう。
『白のクイーン』(1933)
本書の中では一番しっかりとした本格短編です。ただ、短編で扱うには少々味気ない気がします。現場状況の描写や登場人物たちの紹介が大雑把なので、なんだかよくわからないうちに事件が解決してしまっている感があります。
トリックの素晴らしさだけでも読む価値はあると思いますが、やっぱり全体の出来を考えると、倍程度のボリュームがあって良かったと思います。
今、見返したら、本書の解説と全く同じことを書いていますね…違うこと、違うこと…
よくよく考えると登場人物全員がいろいろなゲームにちなんだ仮装(パーティー主催者の提案)というのが面白すぎます。登場人物たちの挙動だけはしっかり書かれているので、ユーモアミステリとしては満点です。
『証拠に歯向かって』(1939)
今の時代に当てはめて読んでしまうと、なんてことはない短編なのですが、当時の警察捜査を逆手に取ったトリック自体は良く考えられていると思います。
考えられている、とは言っても、やはり誰でも考え付きそうなトリックかもしれませんが、それを物語に組み込むというのは別物です。
ピーター卿が事件を怪しむたった一つの手がかり然り、セイヤーズの物語を紡ぐ天才的な手腕にただただ驚かされます。
あと物珍しいのは歯医者の描写でしょうか。クリスティの『愛国殺人』でも登場しますが、80年前からあまり歯医者の技術って大きな変化は無いんですね。レントゲンを撮って、削って、型を取って、埋める。なんだか当時の英国人との距離もぐっと縮まった気がします。
『歩く塔』(1939)
創元推理文庫版の前作『ピーター卿の事件簿Ⅰ』でも怪奇幻想っぽい雰囲気の短編があったので、予想はしていましたが、本作がそのポジションのようです。
トリックに関しては特筆すべき点はあまりありません。提示される手がかりもそこまで多くなく、読者もフェアに事件を解決できるとは言い難いです。
ただ、最有力容疑者の命を救ったのが、本人が見た強迫観念に基づいた夢(とはいえ堅牢な物証もあり)という、しっかりした土台に根差していない点が独特の雰囲気を高めています。
『ジュリア・ウォレス殺し』(1934)
本作は短編ミステリでもアンソロジーでもなく、実在の殺人事件をテーマに語られるセイヤーズなりの論考です。
事件を一から読者に説明するため、多少冗漫で退屈なところはありますが、ひとたび事件にのめり込めればスラスラと読めてしまいます。
この論告では、セイヤーズの創作能力の高さだけでなく、いち探偵としての能力の高さをも垣間見えるという点で、作者の姿にも触れることができる貴重な作品ですが、それだけではありません。
それは、ジュリア・ウォレス殺害事件自体が、ミステリの題材として申し分ない完成度を誇っていることにあります。
フィクションの推理小説以上に特異な登場人物と、謎を孕んだ事件を見れば、私たち自身がいち読者としてこの難事件に挑むことができると感じるでしょう。
また、推理に必要になる、明らかにされた事実は、セイヤーズの口から全て語られ、そこに読者の先入観を抱かせるような不用意な発言やミスディレクションは少しもありません。
本書の解説の中で真田啓介氏が
容疑者の人物像が犯罪との関わりにおいてあまり掘り下げられていないのはやや物足りない
とおっしゃっていますが、セイヤーズ自身が本作の序盤で
私は公表された資料だけを使うことにする、それによって、法律と一般人と小説家とを同じ立場に置くことができるだろう。
との言葉から推察するに、敢えてそれをしなかったのだと思います。
いくら自由に物語を紡ぎだせる作家だとはいえ、フィクションではない実在の人物(しかも殺人の容疑をかけられている容疑者)の人物像を分析し、掘り下げ、犯人か否か勝手に推測する。
それは結果として根拠のない告発になるかもしれず、無実の人間を傷つけ、社会的に葬り去る危険性も孕んでいます。
本事件の論考自体についてセイヤーズは、推理作家の天分、取り柄と言っていますが、フィクションとノンフィクションの棲み分けは彼女の中できちんと整理されていたに違いありません。
そんなセイヤーズの人間としての魅力にも気付かされた素晴らしい作品です。
冒頭でも述べましたが『探偵小説論』 についてはほぼ未読なため今回は省略します。少なくともコリンズ『月長石』くらいは読んでから挑戦したいんですが、あれめちゃくそ長くないですか?大丈夫かな…
とりあえず『月長石』の感想が当ブログにアップされたら、そろそろかな、と思ってください。
では!