ごめんなさい。
ほんとにどうでもいい事があったので、忘れないうちに書きます。どうでもいいのに。
会社の同僚が一人暮らしを始めるらしく、区役所に転出入の手続に行くという報告を受けた。
別にへぇ~ってくらいだし「気を付けてね」くらいしか会話を交わさなかった。
でも、その後向こうから「役所って何時まで開いてますかね?」と聞かれた。一瞬、ほんの一瞬「広司…」って言いたい欲求に駆られたけど、さすがに20前半の女性には刺激(寒気)が強すぎると思って、スマホで区役所のHPをチェックして「今日は、19時まで開いてるみたいだよ」と教えてあげた。
その後彼女は有給を取って、届け出を出しに行ったみたいなんだけど、彼女が出て行ってからふと思った。
行った区役所で転出も転入も同時にできるのかな?と。そもそも行く予定の区役所って転出先でも転入先でもない、別の区役所だから無理じゃないか?
今思えば、すぐに調べて電話でもしてあげたら良かったと思うのだが、打ち合わせの予定もあったし、なんやかんやでできるだろう、みたいな勝手な憶測もあってスルーしてしまった。
でも案の定30分後に電話がかかってきて、「転入先の区役所じゃないとダメでした~」という残念そうな声を聞いた時、ほんのもう少し親身になって調べてあげたら良かったのに、疑問を口に出せば良かったのにと後悔した。
別に悪事を働いたわけじゃないんだけど、なんか罪悪感というか後ろめたい気持ち。
あぁ…これ覚えがあるなぁ。
変わってない、変われてないな、そんな話。
それは2008年4月1日の入社式。
ずらっと豪華な行動に集められた僕たち同期社員は、「誓約書」なる書類への署名捺印を求められた。
別に中身はどうってことない内容だった(というか覚えていない)んだけど、押印の瞬間だけはかなり鮮明に覚えている。
なぜなら、その日の為に新品の印鑑と朱肉を購入したからだ。
新しい印鑑の汚れひとつない美しい印面や朱肉のしっとり湿った表面を見てると試し押しをするのがもったいなくて、一度も使用することなく入社式を迎えた。
そして、いざ押印の瞬間となると、潤った朱肉に程よい力で真っ新の印面をあてがい、万遍なく朱が印面に吸着してゆくあの感覚は強烈だ。
ぺらぺらの用紙に押印した瞬間、“自分の意志で何か一つのものを完結させた”みたいな変な興奮が湧き上がってきたことを今で覚えている。
そんな変態の右隣には、小林君(もちろん後で知った)がいて、署名は終わってるんだけど、ずっと鞄をゴソゴソしていた。
印鑑は左手の人差し指と中指の間に挟んでいたので「あ、これは朱肉忘れたな」と思った僕は、さりげなく朱肉を小林君に差し出した。
彼はペコリと頭を軽く下げて、印鑑を僕の朱肉に押し付けたのだけど、僕の言葉にならない「あ…」はたぶん小林君には聞こえてなかったと思う。
もちろん「あ」に含まれていた深く膨大な思いと願いみたいなものも彼には届いてなかったはずだ。
彼は、押印に使用するとは思えないもの凄い腕力で、バンバンバン!と3回印面と朱肉をぶつけあって、「誓約書」にドンッと押印した。
あの瞬間、別に死んでもないのに、戦時中の日の丸弁当とか、富士山から望む神々しい朝日とか、ヒンドゥ教の女性信者が額に付けるビンディの朱くて丸いシンボルの数々が走馬灯のように脳内に流れ込んできて、しばらくぼうっとしてしまった。
実際にはほんの僅かな秒数だったとは思うのだけれど。
たぶん小林君も、自分の名前の横に燦然と輝く朱い球体を見つめ呆然としていたと思う。
自分自身も茫然自失というか、なんでこうなったのか一瞬わからなくなって、それが新品の朱肉を用いた所為だとピンとこなかった。
なんであの時一声掛けてあげなかったんだろう。
「コレ新品だから、強く押しすぎないようにね。」
「むっちゃインク付くよ!」
その一言が何故言えなかったのか。
今でも新品の朱肉を卸す時は、あの印鑑の存在意義すべてを奪う朱い正円を思い出して、笑うときもあるし、後悔もする。
気づいたその瞬間に、ほんの少し思いやりを示して、一歩踏み出して声をかけてあげよう。
「役所何時まで開いてますかね?」と聞かれても、本当に自分が言いたいことなら「広司」でもいいじゃないか。笑かしたいという思いがそこにはあるんだから。誰かに親切にする義務もないし、言わないからって何の罪にも問われない。何回考えても、スベるし傷つくかもしれない。嫌われるかもしれない。でも一歩踏み出す勇気をもって言ってみようと思う。
どうしても役所広司と言いたくて。