1934年発表 ヘンリ・メリヴェール卿1(通称H・M) 創元推理文庫発行
次作『白い僧院の殺人』
探偵役のH・M卿は、陸軍省情報部長を務め、風来や口調などからは、どこか破茶滅茶で型破りな人物に思えます。
また、デビュー作でありながら登場するタイミングは少し遅いのですが、なかなかの存在感を発揮し、強烈な個性と文句のつけようがない高い知性を見せつけてくれます。
まずは
粗あらすじ
かつて猛威を振るった黒死病の名に因み≪黒死荘(新訳版)≫と呼ばれるいわくつきの屋敷で一晩過ごすことになったケン・ブレークと友人であり屋敷の当主であるディーン。折しも屋敷では心霊学者による降霊会が計画されており、緊張とまがまがしい雰囲気が最高潮に達したまさにその時、有事の鐘が不気味に鳴り響く。はたして全ての凶事は古の手紙に記された怨霊の仕業なのか。
本作が位置するところが怪奇ミステリというジャンルなら、本作はまさに、最上級の怪奇ミステリです。前述の古の手紙などは、新訳版では文体から行書体っぽく変えられており恐怖をそそるものになっています。
また、事件現場で発見された短剣にまつわる不気味なエピソードや、盗難に際し起こった幽霊騒動など、これでもかと怪奇描写が詰め込まれており、屋敷の演出にも全く余念がないため、今まで読んだカーの作品の中(『夜歩く』『魔女の隠れ家』『絞首台の謎』『帽子収集狂事件』)でも一番怪奇色の強い作品といえるかもしれません。
H・Mが登場する後半以降、一旦怪奇要素はなりを潜めます。H・Mにかかれば、怪奇の「か」の字も言わせないほど、論理的な思考で事実が次々と指摘され、不可能・不可解な事象が鮮やかに解きほぐされてゆきます。
しかし、ミステリの核となる密室の謎については巧妙に秘匿されながらも、肝心の読者に対する手がかりは細かには明かされません。特に、明らかにアンフェアだと言わざるを得ないH・Mの言動が目立つのは残念なところで、それ以外の手がかりが巧く物語に絡められていたことを考えると、どうも残念でなりません。
カーの作品を読むたびに驚かされるのがストーリーテリングの巧さです。特色の強い怪奇や密室というエッセンスの用い方だけでなく、それらの組み合わせの妙とも呼べる物語の構成力に毎回驚かされます。
本作で言うならば、密室と曰くつきの短剣、ややありきたりで見え易いトリックとそれを隠れ蓑にする意外性のあるトリック、等のミステリを構成する要素同士の掛け算が非常にうまく、やや古めかしかったり、アンフェアだったりというマイナスポイントを帳消しにするだけの魅力を持った傑作です。
また、中盤以降、一度は落ち着いたかに思えた怪奇の炎が、最終盤になって再び勢いを増す部分も見事で、その炎は衝撃的な結末に到達するまで勢いを絶やさず、残った火影がまぶたに焼き付く如くような鮮烈なイメージを脳内に残して幕を閉じます。
H・M卿初登場にして、最恐の題材を元に、鮮烈なトリックを有した怪奇ミステリの名作です。
では!