発表年:1934年
作者:ダーウィン・L・ティーレット
シリーズ:ノンシリーズ
本作、かなり異色のミステリだという噂は聴いていたのですが、そもそもティーレットという作家自体、国書刊行会の世界探偵小説全集の発行が無ければ知ることもなかったでしょう。
そして、数多の推理小説を取り扱った評論等にも、その名はほとんど出てこないため、まず最初に、本書の解説を参考にしながら少しだけ著者の紹介をさせていただこうと思います。
生まれはアメリカで、十代の時にパリへ渡りフランス語を習得。帰国後、高校在学中に飛行機の操縦免許を取得。またフランスの大学に留学し、再度転入したスタンフォード大学で未来の伴侶を獲得。なんか得得うるさいな。そしてハネムーン後研究のためドイツを訪れるが、これは本作を書くに至った貴重な経験であり役得(おい)。その後アメリカに帰国する船上で長編推理小説第一作Murder in the Airを書き上げ推理小説家としての人生が始まったのです。納得。
…
本作は長編の第三作で、ティーレットの創造したシリーズ探偵は出てきません。
主人公はアメリカ人の青年技術者ウィリアム・タッツォンでおよそ素人探偵らしくもない人物ですが、本作ではいわゆる“巻き込まれ型”の探偵を演じます。
以下粗あらすじ
「小鳥(雀)がしゃべったんじゃ…」という謎の言葉を残して死んだ老人。折しも運悪く偶然その場に居合わせたウィリアム・タッツォンは、その不可解なメッセージのせいで警察から疑われ、さらに何故かナチスからも追われ、徐々に奇妙な事件に巻き込まれてゆく。二週間の間にアメリカに帰国しなければ職を失ってしまう危機的状況に陥ったタッツォンは、無事帰国できるのか。そして「雀がしゃべった…」という謎の言葉に秘められた真実とは?
本作を評価するうえでは、どの観点でというのを明らかにしておいた方がいいと思います。もちろん本格ミステリとしてという観点は失っていはいけないのですが、(ズバリ)ミステリの質はそんなに高くないのに、なぜ本作が国書刊行の世界探偵小説全集の一角に加えられ、特異な作品とされているのか、そういった目線で書いていきたいと思います。
最大の要因は、もちろんドイツが舞台という点。しかも第二次世界大戦前の混乱と激動のドイツというのが強烈です。
ナチスの権力掌握とヒトラーの独裁が始まった1933年以降のドイツは、ドイツ人にとっても必ずしも住みやすい国であったと言い難かったはずです。そんなドイツの状況をティーレットは、アメリカ人(主人公もアメリカ人)の目線で書いており、彼を通して語られるリアルすぎる描写は、時に目を覆いたくなるほど凄惨で苛烈なものとなっています。
物語と関係のないところでユダヤ人が死に、さらにその死の描写の方が、ミステリに付随する死よりも残酷で印象に残る点は特筆すべき点です。つまり、ここに巧妙な対比構造ができあがっているのではないでしょうか。
主人公タッツォンが遭遇した老人の死を初めとする陰謀めいた連続事件は、背後に蠢くナチスや真犯人の影が、手がかりとして読者に提供されます。
しかし、反ユダヤ主義の煽りを受け迫害され、殺害されたユダヤ人たちの死については、彼らの名前さえ紹介されません。
本作の犯人が、悩み、計画し、実行した殺人と同じ“殺人”にもかかわらず、あまりにもあっさりしすぎています。そもそもユダヤ人たちの死自体、本格ミステリの観点から言えば本作には全く必要の無い描写なのです。
その分、「雀がしゃべった」部分をもう少し練り込んでくれよとも思ったりするのですが…
ではそんな本筋から逸れる描写を入れてまでも、何を伝えたかったのか?
あくまでも想像と個人的解釈に基づくものですが、物語とは関係のない殺人が横行するドイツという実情を理解したうえで、それらの事件を解決するべき公的機関(警察)がどれだけ機能しているかを、読者に刷り込むことが目的だったのではないでしょうか。
警察を中心とはせず、アメリカ人青年を探偵に配したのも同じ理由で、貴族・警察・ナチス・市民・外国人を全て同じ土俵に上げ、平等な目線で事件に取り組むための描写だったのではないかと思いました。
私は実際、真犯人以外のある人物に対する疑いを最後まで持ち続けたし、持ち続けたからこそ、読了後の充実感に繋がったに違いありません。
かなり蛇足気味になってしまいましたが、本格ミステリにおいて重要視される、謎とその解決の部分は、水準に届くかどうかという微妙なライン。謎は興味深いが、それを維持する努力があまり見られないのがマイナスポイントでしょうか。
猥談とまではいかないが、正直どう読み取ったらいいかよくわからない描写も含め、大満足とは到底いきませんが、ミステリファンをかたるなら是非目を通しておきたい一作です。
では!