殺人は広告する【感想】ドロシー・L・セイヤーズ

発表年:1933年

作者:ドロシー・L・セイヤーズ

シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿8

 

本作を簡単に要約するなら、セイヤーズの広告業界勤務で得た薀蓄や実体験がこれでもかと詰め込まれたミステリ、といったところでしょうか。

 

あらすじは今回は省略します。そして特徴を含め良い点や悪い点なんかも極力省略したいです。

それでは感想の意味がないのですが、言えることは、本作は“読み物”として全く飽きさせない程面白い、ということ。

では、“ミステリ”としては?

 

他の方評価を見てみると、社会派サスペンスという意見があったり、ミステリ要素が小粒という評もよく目にします。また、タイトル『殺人は広告する』に含まれた真意、みたいなものにフォーカスした書評も多いようです。しかし本ブログでは、やはり“本格ミステリ”としてという観点をあまり(あくまでもあまりだからね)変えずにいきたいと思います。

 

 

 

まず、作者のセイヤーズが開始から数章の間、“シリーズ探偵としてのピーター卿”を登場させない点は、まさしく掴みとして上出来で、専門的で馴染のない広告業界へ自然と引き込まれるでしょう。ここでは、謎を謎とも思っていない大多数の登場人物の中で、卑劣な事件が生じていることや、背後に蠢く組織的な犯罪が、読者にもさりげなく提示されます。

その後、颯爽とピーター卿が登場し、華麗で手際の良い捜査を読者もともに体験できるのですが…。

合間に挟み込まれる挿話の数々は、怪しげなパーティだったり、高額紙幣の盗難騒動やクリケットの試合だったりと、実際に新たな謎を提示することはありませんが、事件の全体像を把握するための補助的な役割をしっかりと果たしています。そしてそこまで読みこめていれば、犯人当ては難しくないでしょう。大きなミスリードもなく、物語のボリュームを考えると、サプライズ要素に乏しいという点はたしかに物足りなさを感じるところです。

しかしながら、謎の発起から解決までの論理性という点では概ね満足でき、手がかりもある意味これみよがしに知らされるのでフェアプレイ精神も感じることができます。

 

ここまで書いてきて、ある程度“本格ミステリ”としての水準は満たしており、物語の愉しさを合わせると総合的な評価もある程度高まることはおわかりいただけたでしょうか。では、総合得点60点くらいの普通の推理小説なのか?と聞かれると答えは否です。

 

本作を高水準に押し上げる一つの要素は、やはりタイトル『殺人は広告する』に隠されています(やっぱりタイトルなんかい)。

 

 

 

 

本書の解説で、作家であり翻訳者でもある若島正氏がこんな興味深い評を付しておられます。

 

この題名はノンセンスである。(中略)この題名を見れば、たいていの人間は一瞬立ち止まっておやと思う。意味がありそうでなさそうで、ついどういうことかと考えてみる。あげくのはてにはこの本を買って中身を読んでみるーこれがまさしく作者の思う壺。

 

題名自体に意味はなく、本書が推理小説で、広告業界を扱っているという最小限の情報を読者に提供するための、巧妙な「広告」になっているというのです。

この情報をもとに読み返してみると、セイヤーズがそういう意味合いでタイトリングしたと感じる箇所に目がつきます。とくに最後の一文なんかは破壊力抜群です。

 

以下ネタバレ

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

しかし、一方で本タイトルを直訳してみても意味は十分通じるのではないでしょうか。

Merder Must Advertise殺人は広告する必要がある

 

ここでいう「殺人」とは、本事件の背景にある犯罪組織が社会に蔓延させていた、人を破滅に至らせるもの。つまり麻薬で、その取引に用いられていたのは「広告」というトリッキーな方法です。

そして、ピーター卿と関係を深めた一人の女性は、麻薬に溺れ結果的に命を失ったのではなかったでしょうか。作中で登場人物たちが命を失った遠因は、まさしく麻薬という忌むべき物質にあり、特定の人物に起因するものではありません。

ある意味では犯人でさえ被害者であり、貧富の格差を助長する社会に対する強烈な皮肉は、ピーター卿を通して、またパーカー警部の家庭を通して、最後には広告業界が社会に与える影響を通して、これでもかと訴えかけてきます。

 

 

 

 

ネタバレ終わり

少し冗長気味になってしまいましたが、少なくとも本作の題名は全くのナンセンスな代物ではないと思うのです。仮にセイヤーズが何の意味合いもなく創り上げたとしても、私にとっては、重要な意味合いを持つ魅力あふれる素晴らしいミステリでした。

 

では!