発表年:1933年
作者:エラリー・クイーン
シリーズ:ドルリー・レーン3
本作は≪悲劇四部作≫の三作目にあたる作品ですが、前々作・前作より陰鬱で暗い雰囲気をまとっています。
まず前作『Yの悲劇』から十年もの歳月が経っているせいで、十年前は年に違わず壮齢で快活だったレーン氏がめっきり老けてしまっている点。そして、華やかなニューヨークを離れ、州北部の田舎町リーズを舞台に、隣接した刑務所の様子や.きな臭い政治情勢が事件に絡むことで、そういった雰囲気に一層拍車をかけています。
さらに『転』じている点と言えば、章立てがごく一般的なものに変わっている(前作までは第○幕×場)ことや、エラリー・クイーンの長編で本作のみ一人称で物語が語られる点などがあげられるでしょう。
このようにエラリー・クイーンによって意図的に四部作の三作目で大きく展開を変えることとなった本作ですが、まぁ四部作の三作目という順番に重きを置いた穿った考え方を一度排除して読んでみても、感じる違和感はなかなか払しょくできません。
そしてミステリの核になる事件自体の魅力の薄さや、登場人物のインパクトの弱さも本作のマイナスポイント。
ただそんな中でひときわ光を放つのは、手がかりの巧妙な配置です。もちろんここで明かすことはしませんが、明らかに重要ですよ、と前置きがあって書かれている章が存在します(けっこうある)。それらの手がかりを正しく組み合わせることで謎が解けてゆく過程は、まさしくパズルミステリの極致と呼べるもので、水準以上と言えるでしょう。
さらに、最終幕と題した章でレーン氏によって語られる解決編では、消去法で容疑者が絞られてゆき、かなり手に汗握る展開になっています。
私は本シリーズを読むうえで、『起承転結』を一つの指針に読んできたのですが、ある意味前作『Yの悲劇』の結末が『転』の部分だったのかもしれない、と思いました。
もちろん本作は、十年という月日が経ち、風貌も肩書きも変わった登場人物たちが新たに織りなすミステリという点では、転換の部分なのですが、十年経過せざるを得なかった理由、登場人物たちの人間関係が変わった理由が『Y』の結末にはありました。
変わった何かが、本作中で明確に明かされるわけではありませんが、想像することはできます。
そして、登場人物たちの間に醸し出される一種の微妙な空気を緩衝させるためのカンフル剤として投入されたのが本作の語り手で、概ねその役割は果たしているように思われます。
語り手を巡るロマンスや冒険劇など、読者を楽しませるエッセンスには事欠かないものの、やはりエラリー・クイーンの本分である美しく完璧なミステリには疑問符が付き、結末部が素晴らしいだけに、前半のテンポの悪さがもったいないところです。
少しレーン氏に、老いてますます、というキャラクターを期待しすぎた点があったことは確かで、最終作『レーン最後の事件』にも過度の期待は禁物かもしれません。
もう少し気張らずに読んでみようと思います。
では!