僕の猫舎

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レイトン・コートの謎【感想】アントニイ・バークリー

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発表年:1925年

作者:アントニイ・バークリー

シリーズ:ロジャー・シェリンガム

 

 

1925年に、当初“”というどこか悪ノリともとれるような名義で発表された本作ですが、発表されるや否や瞬く間に評判となり、彼と彼の創造した素人探偵ロジャー・シェリンガムは推理小説史においても一躍有名となりました。

しかし、そんな歴史的一作にも関わらず、日本で邦訳されるまでに77年もの歳月がかかってしまったことは、不遇であるとしか言いようがありません。

 

アントニイ・バークリーの作風は、本書の冒頭部分で自身の父に捧げた献辞の言葉の中にはっきりと表れています。

彼は、本書を推理小説を愛する父に捧げると言いながらも、自身の推理小説に対する熱情と強い拘りを吐露しています。

彼の推理小説に登場する探偵は、超人的な頭脳を持った人物ではなく

時には一つ二つ間違いをしでかす

ような人間的な探偵であり、自然な雰囲気を重要視されています。また

読者も探偵とまったく同じ情報を自由に使えるように、どんな小さな証拠も発見されたままのごく明瞭な形で書き記している

点も、読者に対するフェアプレイ精神を順守する、彼らしい推理小説執筆に際しての宣誓に聞こえます。

 

これら諄いまでも徹底された推理小説における彼のルールは、たしかに本作では固守されているが、はたしてその要否はどうでしょうか。

 

 

物語の始まりは、いたって単純です。

スタンワース氏によってレイトン・コートに招待された紳士淑女たちと彼を支える執事や秘書。ある夏の日の朝、目を覆いたくなる事件が発生する。残された遺書と現場の状況から自殺であることに間違いないように思われたが、客人の一人で作家のロジャー・シェリンガムだけは、現場の不可思議な状況と登場人物の不可解な言動を見逃さなかった。自らをシャーロック・シェリンガム、友人のアレックをワトスンと呼び、探偵の真似事を始めるロジャーだったが、その捜査は難航を極め……

というのが本作のあらすじ。

 

上記を見てもわかるように、前述の献辞も含め、あきらかにシャーロック・ホームズ(または彼に追随する個性的で奇抜な探偵)に対する批判と皮肉が見て取れる設定です。

 

これらの挑戦がはたして成功したのかどうか?是非手に取って実際に読んでみてほしいところではありますが、個人的な感想を述べるとするなら、必ずしも大成功だったとは思えません。

 

世界を席巻していたホームズに真っ向から勝負を挑みながらも、その高みを捉えることこそすれ、超えることは叶わなかったのではないでしょうか。

例えるなら、全盛期の松井秀喜に全球ストレート勝負を挑んだが、2ストライク3ボールからの6球目をセンター前に弾かれたような印象です(わかりにくいか)。

決して劣ってはいないが、打ち取ることはできなかった、って感じですかね。

 

その一つの要因は、やはり人間味溢れすぎる探偵ロジャーです。

「時には一つ二つ間違いをしでかす」程度ならば良かったのですが、それどころではありません。

むしろ作中で何度か登場する“固定観念”に自ら囚われ、あらぬ方向へ推理を傾ける始末。それは小さな仕出かしではなく誇大妄想では?

さらにハッタリやその場しのぎの嘘で、証言や裏付けを取るというのも、少しばかり強引すぎませんかね?

それらは本当に「人間らしい」のでしょうか。

 

たしかに、自身の才能を過信しすぎる傾向、導き出した推理に固執し突き進んでしまう様子は良く表現されていますが、あくまでもそれらは人間の持つ性質の「一面」です。

もっと人を疑い、自身の頭脳さえも疑う、そんな探偵も十分「人間らしい」と思いました。

 

とはいえ、ロジャー・シェリンガムは、道を逸れながらも、その度軌道修正し、見事に事件を解決するのだし、真犯人の意外性も十分で読みごたえもあります。

 

密室のトリックはあってないようなものですが、バークリーの宣誓通り、証拠は余すことなく提示され、伏線の張られ方、回収方法も見事で、推理小説としては、非の打ちどころがない作品なのかもしれません。

 

しかし、ロジャーの「高度な観察癖」は、どこかA.A.ミルンの『赤い館の秘密』に登場した、マージェリー・アリンガムの瞬間記憶に似ているし、そもそもシェリンガムという名前も少し似ています。

さらにユーモア要素を多彩に盛り込む作風も同じですが、こちらはユーモア作家としての経歴が長いミルンに軍配が上がります。

大きな違いは、ワトスン役で、探偵に肯定的なべブリーと、否定的な本作のアレックを比べるのも面白いかもしれません。

 

では!