17/4/27やや改稿
発表年:1922年
作者:イーデン・フィルポッツ
シリーズ:ノンシリーズ
古典推理小説の中でも、特に高名な作品であることに違いありません。本作は、江戸川乱歩によりベスト10の1位に掲げられた実績も相まって、日本での知名度は高く、ミステリ愛好家ならば一読すべき作品でもあります。
私が読んだことのある、同作家の書いた推理小説は、『だれがコマドリを殺したか?』と、ハリントン・ヘクスト名義で書かれた『テンプラー家の惨劇』の2作品です。前者は恋愛の要素が色濃く、事件の発起までが冗長で、およそ高水準の推理小説とは言えませんでした。後者は、細緻を極めた宗教観や思想論の応酬が見事ですが、決定的にアンフェアな記述が汚点となって残っています。
一方、本作は前二作の良点のみを抽出したような安定の出来でした。ミステリに密接に絡むロマンスや素晴らしい風光描写と、謎を孕む惨酷な殺人が絶妙にブレンドされながらも冗漫にはならず、且つフェアプレイ精神が尊重されています。
本作の犯人については、中盤以降、読者の目にも明らかになってくるように見えますが、真犯人の正体と動機については詳細まで気づく読者は多くないのではないでしょうか?
作中の探偵をして「まれにみる悪人だった」と言わしめるほどの犯人でも、些細なミスや自惚れから身の破滅を迎えることは、推理小説の王道と言える展開です。しかし、それでも飽き飽きすることがないのは、フィルポッツの人物造形に関する才能が遺憾なく発揮されている証拠です。
余談ですが、私は『テンプラー家の惨劇』の解説で、本作の探偵役マーク・ブレンドンに関する記述をチラっと読んでしまい、余計な先入観を抱いてしまったため、本作を最大限に楽しむことができなかったと後悔しています。未だ読んでいない読者は、『テンプラー家の惨劇』の前に、まず本作から挑戦することをおススメします。
また、フィルポッツは自作の解説者に恵まれないのか、本作の解説にもフィルポッツの他の作品や、コナン・ドイルの作品についても少し触れられている為、気を付けた方が良いでしょう。
本作には、心に残る名場面が多いことも紹介しておいた方が良いと思います。
優しく示唆に富んだ助言を行う、もう一人の探偵ピーター・ガンズと素直な心でそれを受け止めるマーク。この構図は読者に清々しさと心地よさを感じさせ、物語に引き込むに違いありません。
また、マークが九死に一生を得たエピソードは、文字通り手に汗握る展開で、私も一時絶望感を味わいました。
こうした文学的な魅力は、人物描写だけに止まりません。一つネタバレにならない程度に本作のキーワードを発表しておきます。それは“瞳”です。実は“瞳”に充てる漢字はもう一つあり、“眸”と書くのをご存じですか?
従来“瞳”とは、目の黒い部分、いわゆる瞳孔を指します。しかし“眸”の意味するものは、瞳孔部分だけではなく、目玉そのものなのです。これが何を意味するのか、それは今一度読んで確かめてほしいところです。決して犯人に繋がる直接的なヒントではないですが、読み終えた時、そして該当の箇所を読み返して、初めて真の意味に気付きます。この点は訳者の妙技とも言えるかもしれませんが、二つの“ひとみ”が明確に区別されているとするなら、フィルポッツの推理小説に対する熱意と情熱の深さもうかがえます。
ワトスン役に秘められた構成上のトリックも含め、これが60歳を超える文豪から生み出されたことも考慮すると、本作が時代を超えて語り継がれる名作である所以がわかります。
では!