発表年:1926年
作者:S・S・ヴァン=ダイン
シリーズ:ファイロ・ヴァンス
本作は、アメリカにおける推理小説史の幕開けと目される作品ですが、はたして華々しい幕開けとなったのでしょうか。
『ベンスン殺人事件』で登場したファイロ・ヴァンスは、美術品・骨董品の蒐集をはじめ、フェンシングやポロといったスポーツにも精通している多才な人物です。
知的好奇心から、親友の検事マーカムの協力を得て、本殺人事件の現場に同行するところから物語は始まります。
代々、法律の専門家の家系に生まれた筆者ヴァン・ダインは、ヴァンスとは大学時代からの友人であると同時に、金銭面での後見人兼代理人でもあるようです。
そして、彼は物語のワトスン役として、ヴァンスが解決してきた数々の事件を公表するというかたちで本書を出版しています。
あらすじはタイトルのとおり、ベンスンなる人物が殺害され、疑わしい関係者たちが続々と登場するのですが…
個人的な評価ですが、なかなか良いところを探すのが難しい……というのが率直な意見です。
まず、ヴァンスは物的証拠を信用せず、心理分析を以て推理するスタイルなのですが、その理論にはいささか無理があるようにも思えます。
なにより犯人を最後に追い詰めたのが、物的証拠(しかも2つ)であり、その物的証拠を見つけ出すのに用いた心理分析もとうてい分析と言えるほどの説得力はありませんでした。
彼の発現の端々に見られる引用が煩わしいといえば煩わしいのですが、キャラクターに奥行をもたせるための手法と考えれば、致し方ありません。
でも終盤に、あるボーイとの会話をあんな風に台本形式に省略するのだったら、脚注を充実させるのを我慢して、しっかり会話させてくれよ、とも思ったり…
また、推理を発表する手際にも無駄が多いように感じます。
例えば、銃弾の当たった位置と、貫通した銃弾の到達点から、撃った高さが判別できる点は、幸運にもせっかく銃器の専門家が登場人物のなかにいるのだから、彼に軽く説明してもらえればいいものを、ヴァンス自ら現場に赴き長々と講釈します。
旋状痕を特定する機械だってあるし、被害者から発射位置の特定だってできたのだから、高さの割り出しぐらい警察も思いつきそうなものですが……
あと、登場人物全員のアリバイの特定も、そんな最終盤にならないとしないの?捜査の最重要事項のはずなのに。
さらにさらに、物語終盤、疑わしい人物に当てはまるように仮説を立ててみるヴァンスですが、それもただのおふざけだったし、挙句の果てに犯人は最初(現場に初めて行ったとき)から解っていましたと言ってしまう始末。
「疑っていた」レベルならわかるのですが、「わかっていた」と言いきってしまうのだから、「じゃあ最初から言ってくれよ」というマーカム検事の気持ちも良くわかります。
そして、最後は、物語の語り手『私』の空気感です。ここで言う“空気感”とは美術表現や写真表現で形容される意味合いではなく、いてもいなくても同じくらい見えない存在という意味での空気感です。もう語り手がマーカム検事ではダメだった理由を探す方が難しいくらい。
もしかすると、次作以降『私』の存在意義が明確にされ、活躍の場面も増えるのか。
この辺は期待するとして、まだまだヴァン・ダインの作品は評価の高いものもあるのだから、読み進めていこうと思います。
少しキツめの評価になってしまいましたが、その中でも良い点は、何度も登場しているマーカム検事の人物像です。彼の人間的な性格や思考には比較的リアリティが感じられるし、かといって頭の回転が鈍く平凡な人間でもありません。他者を尊重し、尊敬と信頼を得るに足る人物であることから親近感もわきます。
彼以外の登場人物は、いずれも筆者ヴァン・ダインの掌で転がされているだけの操り人形のような存在に見え、ヴァンスの心理分析も、答えがわかっているうえでの出来レースのような印象を受けたのは少し残念ですが、前述のとおり次作以降に大いに期待することにします。
では!