17/2/27 やや改稿
発表年:1936年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:エルキュール・ポワロ11
本作は、名実ともにアガサ・クリスティの代表作に挙げられる名作であり、連続殺人事件を扱う際に最も重要になる、被害者同士の関連性(=動機にも繋がる)がミステリーの核になっている作品です。
こういう作品をミッシング・リンク“失われた環”ものの作品と呼ぶそうですが、今回はそういった類のジャンル分けは無視して、先入観を可能な限り捨てて読むことにしました。
粗あらすじ
ポワロのもとに、ABCと名乗る謎の人物からの挑戦状が届いた。中には、指定された日とイギリスの地名が書かれており、そこで何かが起こることが警告されている。いたずらだと取り合わない警察に対し、ポワロはこれから起こるであろう大事件の発生を予感していた。
以下はトリックについては表記しないもののネタバレになる可能性(決して犯人を明かす、という意味ではない)があります。
ネタバレ前に評価しておくなら、やはりクリスティ作品の中でも一、二を争う名作であり、プロット・サプライズ・ストーリーどれをとっても一級品です。大掛かりな設定に目が行きがちですが、まぎれもなく本格ミステリの一つであり、決してキワモノというわけでもありません。
ここから未読の方は本作読了後に読むことをオススメします。
今作では“A”で始まる場所でイニシャルが“A”の人物が、そして“B”で始まる場所でイニシャルが“B”の人物という風に、犯人が設けた一定の法則に基づいて殺人が行われます。
さらに、死体の近くにはABC鉄道案内(駅名がABC順に並んでいる時刻表のようなもの)が置かれており、アルファベット順に行われる猟奇的な連続殺人を連想させます。
ただ、この物語の結末が、「“神のお告げ”を聞いた、精神異常者の狂気に駆られた犯行」というものだった場合、読者は納得できるでしょうか?
異常者の異常な殺人に翻弄され、ポワロの“灰色の脳細胞”の活動が無いまま、いつか運が尽きた犯人が逮捕される。そんなミステリーが傑作であるはずがありません。
もちろん本作はそんな無味乾燥な作品ではなく、ポワロお得意の、頭脳を活動させ、登場人物の会話の中から巧みに真実を導き出していく手法が存分に発揮されています。
もし読者がクリスティ作品ないしはミステリ小説の愛読者であれば、この連続した事件の背後にある、れっきとした知性の存在を疑わないことでしょう。そしてポワロを悩ますほどの知性が意味するものは、狡猾な真犯人の存在であり、彼(または彼女)の真の動機こそ解き明かすべき謎であることに気づくはずです。
さらに本作の最大の特徴とも言える点は、久々に南米から帰国したヘイスティングズの手記という形とは別に、三人称の視点で書かれた章が随所に挿入されていることです。この三人称視点の章では、細やかな人物描写を中心に、章を追うごとに変化する心情や漂う絶望感が、不気味さを醸し出しています。
また、ポワロたち一行も、止めることのできない連続殺人への憤りや苛立ちに駆られていることがわかります。
この異常な殺人犯の精神状態を分析するために「また殺人があれば…」とつぶやき、しかもそれを「チャンス」と評するおよそ名探偵らしからぬポワロをヘイスティングズは一喝しました。結果的にそれが最短の解決方法だったことは言うまでもなく、そこまでにポワロが犯人に追い詰められていた証拠でもあるでしょう。
一方でポワロとヘイスティングズの微笑ましい掛け合いは健在で、二人の口論を含め、お互いになくてはならない存在であることも再確認できます。
最後に申し添えておきますが、精神的弱者の全てが、必ずしも、頭の回転が悪く、社会的強者に貪られるだけの存在かと言えばそうではありません。
真犯人の敗因は傲慢さ、立場の低いものへの慢心であり、『ABC殺人事件』という稀代の凶悪犯罪犯にはなりえたが、それ以上の存在ではありませんでした。
過去作同様、卑劣で自己中心的で憎むべき犯罪者というだけだったのです。
では!