1890年発表 シャーロック・ホームズ2 延原謙訳 新潮文庫発行
前作『緋色の研究』において、イーノック・J・ドレッバー殺人事件の解決に成功したホームズですが、その後は本人曰く「だらだらした日常」を送っており、刺激的な謎を持つ事件の発生を切望しています。そんな時一人の女性から、父の失踪とそれに伴う不可解な事件についての依頼が舞い込みます。そしてその捜査の過程で殺人が起こり…
ホームズは、関係者を繋ぐ莫大な財宝の行方、死体の傍に残された痕跡と「四つの署名」、現場に残ったクレオソート(タイヤ用ゴムやインクの原料)の異臭、これらの手がかりから、自身の天才的な頭脳・追跡犬トビィ、ストリートチルドレンで構成されたベイカー街遊撃隊などを駆使しながら、真相解明に着手します。
あらすじとホームズの推理過程をたどって文章にしてみると、本格推理小説っぽく見えなくもないのですが、残念ながらまるっきり別物と言わざるを得ません。
あからさまな証拠、臭い辿るという読者に見えない手法、動機の稚拙さが主な要因で、前作『緋色の研究』のほうがまだ、本格推理小説の要素を満たしていたと感じます。
なので推理を楽しむというより、運命に翻弄された一人の人間の生涯、というテーマで(前作も似たようなもの)事件同士の繋がりや関係性を読み解く物語、と捉えるなら楽しい読書体験になるでしょう。
特に後半は抜群に面白いです。こういう背景の作り込み、時代背景に根差した精巧な設定を見ると、さすが歴史小説家を目指していただけはあります。ホームズ作品の先行的な大ヒットで、自分のやりたかったことができないストレスに苛まれていたとされるドイルですが、思った以上にホームズの世界の中でもやりたいようにやっていたんじゃないかと本作を読み返して感じました。ホームズ世界への自己投影という部分でも、深読みする魅力がホームズ作品には確かにあります。
また、本作には、ヴィクトリア朝におけるイギリスの繁栄と、それに伴う植民地への圧制や労働階級の搾取、こういった矛盾する当時のイギリスのありのままが、惜しみなく注がれています。それゆえ、本作の事件に対する、信憑性と妥当性が十分満たされ、読者をシャーロック・ホームズの世界に引き込む要素となっているのでしょう。
正直なところ、厚み(ページ数も物語としても)だけを見ると、短編集止まりかな…とやや低めの評価にはなってしまうのですが、事件の持つ背景や登場人物の内面を、ここまで掘り下げて膨らませる卓越した作家としての技術があってこその作品だとも思うので、やはり、アーサー・コナン・ドイルは偉大な作家であり、後世に与えた影響の大きさにも頷けます。
では!