本物の演劇というものを見たことがないので、あまり詳しくは知りませんが、そもそも、演劇や映画の脚本とは三幕構成になっていることが多いようです。
第一幕「設定」で、ストーリーの提起、主人公の目的が示され、
第二幕「対立」で、主人公が目的を達成するために種々の困難に立ち向かい、ほとんどの場合、逆境に立たされます。
そして最後の第三幕「解決」で、主人公は、精神的な成長を遂げ、弱い自分に打ち克ち、自分で切り拓いた新しい世界を手に入れることで、物語の解決をもたらすのです。
本作とは何の関係もないんですけどね(ドン!)ごめんなさい。帰らないでください。
発表年:1934年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:エルキュール・ポワロ
物語は題名のとおり、第一幕~第三幕の3部で構成されています。さながら本物の演劇のように、冒頭には『三幕の殺人』劇のスタッフ紹介がされており、以下に補足も加えて抜粋します。
<演出>
引退した人気俳優
チャールズ・カートライト(52)
<演出助手>
チャールズの友人
サタースウェイト(50代)
チャールズに好意を抱く女性
ハーミオン・リットン・ゴア(20代前後)
<衣装>
婦人服業界の有名ブランド
アンブロジン商会
<照明>
灰色の脳細胞を持つ男
エルキュール・ポワロ
今作では、終盤を除いてポワロが脇役に徹し、<演出>チャールズ・カートライトが素人探偵役を演じることで物語が進んでいきます。彼は作中で、様々なキャラクターを演じ分けながら、関係者から巧みに話を聞きだし、自身の推理を組み立てていきます。
また<演出助手>のサタースウェイトは、持ち前の洞察力と観察力を発揮し、彼の捜査を補佐します。そして、もう一人の<演出助手>ミス・リットン・ゴア愛称“エッグ”は、この殺人劇に淡いロマンスを提供し、彼女自身も幸せを掴むために、事件解決に協力します。
このように、予めクリスティによって練られた設定と演出によって読者は、惑わされ翻弄されるのですが…
今作はホワイダニット、なぜ?殺したかに重点を置いて作られた作品ですが、読者がその動機を推理する目的で作品に挑戦する場合、とうてい勝ち目はありません。なぜなら動機を探る手がかりが本作に散りばめられていないからです。ないものを探すことはできないので、本作はクリスティファンの間でも賛否両論分かれる作品だと言えるでしょう。ただ、限りなくギリギリのラインで、犯人へ繋がるヒントは随所に隠されており、フーダニット、誰が殺したか?については、そこまでハードルは高くない(らしい)。ちなみに私は全然わかりませんでした。
推理小説を読んで時折思うのですが、推理小説に挑む人は、そんなに頭が良くない方が良いのではないでしょうか?つまりアホが一番楽しめるのではないか?たしかに読者対著者の対決が推理小説の醍醐味ですが、負けて正解なのではないかとも思います。
「コイツ怪しいな」「あれ?コイツも変なこと言ったな?」くらいの軽い気持ちで読めば、変に当ててしまって、やっぱりね…と落ち込まずに済むし、「絶対コイツだ!」と豪語していたら、外したとき「やっぱりねー、怪しいと思ってたんだー」と言い訳ができません。
テスト当日、友人に「勉強した?」と聞かれて「した」と言う人がいるでしょうか?もし結果が赤点だったら恥ずかしいに違いありません。あくまで「してない(ウソ)」と答えて、点数が低かったら「やっぱりね」と言えるじゃないですか。
かなり必死な感じがしますが、犯人が当てられず悔しかったからではありません。決して、ありません。
話を元に戻しますが、最終章でポワロが推理を発表する、その場面が今作最大の名場面だと思います。<照明>役であるはずのポワロが、大きな肘掛け椅子に座り、バラ色のシェードに包まれたスタンドライトに照らされて謎解きを始めるのです。
「お前が照らされるんかーい」今作はこれに尽きます。
では!