©LUCASFILM/WALT DISNEY PICTURES
適当なタイトルが思いつかなかったのが正直なところなんだけど、真っ先に思いついたのは、
ただただ、
2016年に公開を待たずしてこの世を去ったキャリー・フィッシャー(レイア・オーガナ役)への感謝の気持ち。
劇中、何度涙腺が虐められたか数え切れません。
では感想をば
一言でいうと、最高
個人的にツッコミたいとこは、片手ではすまないくらいあったんだけど、それでもなお本作から「最高」の称号を奪うことはできない。
よく当ブログを訪れていただいている方はご存知かと思うが、当ブログの中の人は、基本超甘口。99ダメなとこがあっても1つでも良いところがあれば、そこを100倍に薄めたうえで顕微鏡で100倍に拡大して文章にします。
え?よくわからない?
イメージです、イメージ。
ではさっそく感想といきたいのですが、今日はそんなにコアな感想を書ける自信がない。いろんな人の感想記事を見すぎたからなのか…
なにを書いても「他の人のヤツだな…」と思うようになってしまったので、とりあえず、記憶の補完のため、と割り切ってなにか書いていきたいと思います。
以後、完璧にネタバレです
見終わって単純に思ったことがひとつ。
これファン、めちゃんこ怒るだろうな。
じゃあ自分がSWファンじゃ無いか、と言われると、
いやいや、かなり好きだぞ。
冒頭でも言ったけど、基本的に私は
大好きな作品にはすべて肯定から入る。
だから、今回もオープニング・クロール(最初のあらすじが下から流れてくるやつ)のプァーーーーーン!の音だけで狂喜乱舞。
よっ待ってました!と言わんばかりのニヤケ面。ほぼ条件反射。
プァーーーーンと鳴るだけで、涎を垂らすパブロフの犬状態。
そんなだから、一番最初のファースト・オーダー対レジスタンスの宇宙戦だけで
「ライアン・ジョンソン(監督)ありがとう」と心の中で呟いた。
こんな感じでグダグダ言っててもアレ(?)なんで、とりあえず好きなシーンを。
ポー・ダメロンの超絶神テクニック
序盤に大活躍するレジスタンスいちの腕利きパイロット、ポー・ダメロンの戦闘シーンは、シリーズで一番カッコよかったかもしれない。(やってることは焼き増しなんだけど)
無謀にも、敵の母艦を爆撃する大作戦にうってでたポーだが、見方は次々とやられ、最後の爆撃機が破壊されるのも時間の問題…
この爆撃機に乗っているアジア人女性(のちに登場するローズの姉)、
急にフォース使いだすんじゃね?
と思いませんでしたか?(私だけですか)
ペイジ(ローズの姉)の決死の覚悟
実は本作の中でもかなり好きなシーンの一つです。
炎に包まれる爆撃機で彼女だけが生き残り、あとは爆弾投下のリモコンのスイッチを押すだけ、というシーン。
彼女はリモコンのあるスペースから落下してしまい、どうしてもリモコンに手が届かない。あとはスイッチを押すだけなのに…
ここで彼女は必死に手を伸ばします。届け!こっちに来い!と言わんばかりに。
結局、彼女はハシゴを蹴って振動でリモコンを落とすことに成功し、見事爆撃の任を果たすが、この手を伸ばす様がとても強く印象に残った。
フォース…使えたらな…
なんとなく思ったのは、もしかしたら本作では、フォースを使える者と使えない者、この両極も描こうとしているのではないか、ということ。
フォース(のライトサイド)を扱うジェダイとそうでない者の境界線が無くなっていく=「最後のジェダイ」なのかな、と妄想した。
ルーク御大による即席フォース講座
フォースとは何かという、シリーズの命題とも言える難問を、ルーク自らご教授いただけるのもファンには嬉しいポイントだったはず。
正直、年末年始ボケで、詳しくはすっかり忘れてしまったんだけど
たぶん、空と海と大地、みたいなことだったと思う。そして生と死とか。
なんとなく分類的にはワンピースの「覇気」に近いものなのかな、と思った。生まれつき誰しもが自由に引き出せる力ではないけれど、それは誰の中にも眠っている潜在的な力で、在ると認識するところからスタートし、自ずと発動するだけでなく時には他者から引き出される。そして訓練と使用によって強化され、その用法も多岐にわたる。
元々ジェダイにも養成所みたいのがあるわけだし、そんなにイメージとしては遠いものじゃないと思っている。
そしてフォースにはダークサイドとライトサイドがあって…
という部分は、定期購読しているgoroneさんの本作レビューに、ルーク御大への深い愛とともに書かれているので是非読んでほしい。
その中では、
ダークサイドと向き合い、その存在を認め、上手に付き合っていくことで、『スター・ウォーズ』の世界はフォースの真のバランスを保った世界となる(と僕は考えている)。ダークサイドに決しておぼれてはならないが、ダークサイドは誰の心の中にもあることを真のジェダイはまず認めなくてはならない。光は闇がなくては存在せず、闇は光がなくては存在しない。どちらか一方だけが存在することなどあり得ないのである。
ああこういうことですよ言いたかったのは…
フォースのライトサイドとダークサイドが表裏一体だとすると、
ちょっと前に戻って、フォースを使える人間も使えない人間も表裏一体で同じ人間だし、ジェダイもジェダイでない人間も同じ人間。シスもシスでない人間も…やっぱり同じ人間だ。
もちろん、強力なフォースの使い手、ルークもレイもレイアもカイロ・レンも大好きなのだが、それ以上に、フォースを使えないがフォースに頼り切ったりせず、自分の力も信じ、その信念を貫いて行動するポーやフィンやローズといった脇役たちが大好きだ。
彼らは、結果的には強大なフォースの導きによって命を助けられ、その恩恵を受けているわけだが、決しておんぶにだっこというわけではない。
フォースという呪いと最後のジェダイ
少し話がそれるかもしれないが、レジスタンスには「フォースと共にあらんことを」という合言葉がある。
ここで言うフォースとは「神」っぽい言葉に置き換えても通じる、と最近までは思っていた。
だが、この言葉はレジスタンスの多くにとっては
「フォース(を使える特定の誰か)と共にあらんことを」
という一種の呪いになってはいないか、と不安になる。レジスタンス側でいえばもちろんルーク、レイア、レイである。
銀河の万物をあまねく包み込む無限のエネルギーであるはずのフォースが、いつの間にか特定の個人を示す言葉へとすり替えられていないか。
そして、そんな疑問に強くNOと発信してくれるのが、ポーでありフィンでありローズなのだ。
ポーは上官(フォースをただ信じている)の言うことを聞かず、自分たちだけで道を切り拓こうと画策するし、フィンはフォースの申し子レイを助けるために行動する。ローズは、レジスタンス(レイア含む)を救うために特攻したフィンを止める。
じゃあ一方でフォースを使うレイたちはどうか。
彼らが本作で強大なフォースを解き放った時、それは決して相対する敵を打ち負かすときではなく、いずれも誰かを助け、命を救う時だった。
決して、相反するダークサイドを抑え込んだり拒絶したりする時ではなかった。
本作をもってライトサイドとダークサイドの戦いは終わったのかもしれない。
いや、ジェダイがジェダイとして銀河に平和をもたらすために、ダークサイドと戦う日々が終わったんだと思う。
だから、シリーズの魅力であるはずのフォースを駆使した迫力あるライトセーバーアクションが少なかったり、圧倒的なフォースの使い手が少なくて当然なのだ。
もう最後のジェダイはいなくなり、宇宙の大きな流れに溶け込んだのだから。
新年早々まとまりのない感想記事になってしまったが、映画自体はとても面白かった。もう1、2回見ると気づくところもあるのだろうが、とりあえずはここらが(記憶の)限界。
間違った解釈も、うろ覚えな部分も多々あるかもしれないので、お気づきの点があればぜひ教えてほしい。
というか、本年もよろしくお願いします。
ミステリに映画に、ブログ、続けます。
では。