全てにおいて前作を上回る【感想】ジョージェット・ヘイヤー『マシューズ家の毒』

発表年:1936年

作者:ジョージェット・ヘイヤー

シリーズ:ハナサイド警視2

訳者:猪俣美江子

 

ジョージェット・ヘイヤーのミステリはこれが2回目。

歴史ロマンスの大家として知られる女史の第二長編は、やはり前作と同じような騒々しく喧々たる状況の中始まります。

みんなの嫌われ者グレゴリー・マシューズの死によって展開するこの事件は、取り巻く人間の皆が皆強固な殺人の動機を持っているにもかかわらず、物証は一つも無し、と解決の糸口さえ見つからない難事件。探偵役のハナサイド警視と部下のヘミングウェイは小さな手がかりも見逃さず、マシューズ家の面々と駆け引きしながら捜査を進めます。

 

 

なによりもまず初めに絶賛できるのは、前作で不評だった部分が全て改善され、良点はそのまま踏襲し磨き上げられているところ。

「前作を読まなくてもいいか」と聞かれると、悔しいかな「別にいいです」と言いたくなるほど今作の出来は良く、良い意味で裏切られた作品でした。とはいえ前作との比較のためには読んでおくのが吉。


序盤は、まるで前作の焼き増しかのような展開が延々と続き大丈夫かとやや心配になりますが、被害者の甥ランドールが登場すると物語は一気にスピードを上げます。

彼と家族の会話だけでもニヤニヤしながら読めますし、彼の言動によって撹拌され混ざりあうことで浮き彫りになる手がかりを、探偵役が一つずつ拾っていく行程に面白さを感じます。

 

中盤以降、登場人物たちの心に溜まった「マシューズ家の毒」がどんどん噴出してくると、全員心から怪しく見えてくるのは、やはりヘイヤーのセンスのなせる業。

各自の人物造形にチグハグなところが全く無いのも高評価できますし、ミスディレクションがありきたりなものではなく、ほぼ全員が犯人ダービーを接戦で駆け抜けると、それはそれでハラハラさせられます。

 

また、結末部に訪れるオシャレなオチも味わい深いものがあります。ここでは探偵の配役の妙技に驚かされるはずです。

詳細はネタバレ感想で語るとして、1936年という黄金期にあって、しっかり名を残す試みをしているのはさすがです。というかここは、前作でもしっかり騙されています。こりゃ次も楽しみだ。

 

読み終えた後振り返ってみると、作者がミステリにおける登場人物たちのどこにスポットライトを当てて創作していたかを感じられるはずです。

彼女が焦点を当てていたのは、死んだ被害者でも死にゆく犯人でもなく、その後に残された生者たちでした。

この世に残された生者ができることは、身の周りの愛する人々への配慮だけではなく、死者への配慮も含まれます。そのおかげで読了後に訪れる、どこか心地よい余韻と、オシャレなオチを楽しめる本作は、是非多くの方に読んでほしいミステリですが、邦訳数がまだまだ少ない…

ヘミングウェイ部長刑事を主に据えるミステリもあるらしいので、各出版社さんには頑張って邦訳に力を入れていただきたい作家の一人です。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


はい出た、死んだ奇人当主と強烈な個性をもつ親族たち。

前作『紳士と月夜の晒し台』とまるっきり同じキャラクターがちらほら見えるのが気になるが、さてヘイヤーはどうやって料理するのか。

 

怪しく見えるのはミセス・ラプトン。自然死ではないと言い切る根拠が弱い気がする。なぜだろう。遺産だってほとんど(全体から見れば)無いに等しいし、個人的な怨恨の線も薄い。

 

相続絡みのシーンでは前作に引き続き弁護士のジャイルズ・キャリントンが登場するが、今回はチョイ役。

 

遺産関係の動機が一番強いのは甥のランドールだが、どうも犯人っぽくない。いや犯人が似合いすぎる。

さらになぜか警察に非協力的で、警察より先回りしたがるのも謎。

もしかして誰が犯人か知っているのか?

 

中盤以降メキメキと怪しくなってくるのは義妹のゾーイ

愛する息子・娘の為邪魔ものの義兄と義姉を葬った絵図は容易に想像できる。ただ失言が多すぎてあからさま過ぎるのは気になる。

 

第二の殺人のあと、殺害のトリックがあっさり明かされるのはもったいない

まあおかげでガイを容疑者から外すことができたが、ゾーイはまだまだグレー。

 

と思っていたら、ハリエットが死んだのは事故だった?ほんとか?

彼女が歯磨きのチューブを持ち去ったのは、たぶん一家の全員が知っており、故意のはずなのだが…

 

ここらでひと段落

 

予想

ゾーイ・マシューズ

息子と娘を守り厄介者を葬るため。

自分はその後相続人のランドールとくっつく魂胆なのかもしれない。

結果

エドワード・ランボールド

 

完全にしてやられました。

改めて名探偵と化したランドールと、犯人エドワードとの会話を見てみると、かなり巧妙に作り込まれているのがわかります。

エドワードが毒入り歯磨き粉チューブの所在について如才なくマシューズ家の面々から情報を集め、そのチューブがグレゴリーの身の回り品と一緒に廃棄されたと知った時の、彼の言葉に現われない安堵(頁185)なんかも上手く表現されています。

その後(頁190)のエドワードの核心をつくようなセリフに対するランドールの反応も意味深で、一瞬のランドールのひらめきが逆に彼を怪しく見せるのに成功しているのが巧みです。

 

殺害方法におけるトリックは、本作の1年前にある有名作家がやっていることで二番煎じではありますが、歯磨き粉のチューブの存在自体が、実はあっさり身内犯人説を一蹴し、隣人のエドワードへと辿り着く近道になっている点は秀逸だと言えます。(トリックそのものが手がかりになっているのがまた良い)

 

あとやっぱり前作に続いて素晴らしいポイントは、探偵役です。

現代においては、真の名探偵自身がレッドヘリングになっているミステリは珍しいものでもないようですが、1936年という時代を考えるとかなり先鋭的な挑戦です。

1作目に続いて堂々とやってのけ、しかも読者を騙せるのが凄い。こうなると次作以降気になってしょうがないですが、残念なことに第三作は未訳。いつの日か出会えるのを楽しみにしましょう。

 

 

 

 

ネタバレ終わり


これはあくまでも勝手な想像ですが、ジョージェット・ヘイヤーという作家は、自分の得意分野で勝負する、自分の土俵で戦うのがとても上手な作家なのではないでしょうか。

前作も本作も、自分の苦手な(知らない)分野については、齟齬の無い程度に表現を抑え、得意な人物描写やウィットに富んだ会話になると途端にテンションが上がっているように思われます。

 

う~ん例えるなら、フィギュアスケートでたとえ高得点になる4回転や、華麗なステップは踏めなくても、ミスをせず、効果的なタイミングで小刻みに得点を重ねることで、最終的には表彰台にくい込む。

そんなミステリ作家な気がします。

 

では!