つい先日こんなものが届きまして。
書き残そう、あなたの人生の物語、ねぇ…
2015年の8月に最初の記事を投稿してからはや3年が経ち、ぼちぼち書きたいことが定まってきたかな、というこの頃です。なので、今月ついにはてなProに申し込み、独自ドメインも取得したので、これからも海外ミステリの感想記事をバンバン投稿していきたいと思っております。
どうぞ引き続き≪僕の猫舎≫をよろしくお願いいたします。
今日はこの3年を振り返る、というよりも自分にとってブログとは何なのか改めて考えてみようと思います。
自分にとってブログとは…情熱大陸のEtupirkaが聞こえてきそうな質問ですねえ。ちょっとアーティスティックな気持ちにもなってきます。
「そうですね…端的に言うと、サイドカー…ですかね。」
―ねこ氏は語る。
―サイドカーとは?
「ほらバイクの横に付いてる車台ってゆうんですか?あるじゃないですかほら。バイクが人生で、ブログはサイドカーみたいな感じですね。」
―つねに一番身近にある、ということですか?
「そういうニュアンスもなくはないんですけど、どちらかというと『人生と一生交わることは無い』というイメージなんです。
サイドカーってまぁ構造上あたりまえなんですけど、常にバイクの横を並走して走っている。
だからといって、普段右に付いてるサイドカーが、カーブを曲がったとたん左側に移動した、なんてことは絶対にないですよね?
バイク=人生、と、サイドカー=ブログ、は決して交差したり、ブログが人生を追い抜いたりは絶対にしないんです。
実体験を記事にフィードバックしたり、ブログで得た情報を実生活で活かすことはあっても、どちらにも依存しすぎない良い距離感を保つべきもの、って感じですね。」
―深いですね。
「あと人生って壁があったり、問題が生じても、バイクと同じようにその都度ブレーキングしたり、ハンドルを操作することでコントロールできる。
けれど、サイドカーにはそんな機構もないから、一度事故ってしまえば、暴走して誰かを傷つけることもあるし、自分自身立ち直れない傷を負うこともある。
そういう怖さもブログにはあると思います。」
(ここでEtupirka)
―多くの読者を持ち、与える影響力も大きいブロガーは多い。ただ、ここまで何の実績もなく、何の根拠もない自信に満ち溢れたブロガーは今までいただろうか。
「読者はいつも、あとからついてくるし、そもそも一番の読者は自分」
そのように、ねこ氏は語る。
読者数の少なさを卑下したくだらない虚勢ではない。この根拠のない自信に、我々は惹かれたのだ。
「減給も怖いけど言及も怖い」普段はそんなくだらないことを呟きながらキーボードを叩く彼の目には、神と称されるブロガーには無い鈍い光が煌めいていた。
「けっこう今日の記事、事故りそうっすね」