発表年:1933年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:ノンシリーズ
本作は怪奇幻想がテーマの推理短編小説である。
こう聞くとさらりと頭に入ってきます。
そうか、そういえばクリスティは心霊現象にも興味があって、降霊会が登場する作品なんかもあったっけ。『邪悪の家』『シタフォードの秘密』さらに『謎のクィン氏』なんかはまさに、クリスティのそうした方面への興味を極限まで高めた作品でした。
しかもロマンスを絡めた、ハートフルな物語も多かったので読み心地も良かったし。だから本作だって、少しダークな雰囲気を醸し出してはいるけど、読み終えれば、やっぱりクリスティ素敵!と感じる、そんな作品だろうと思っていました。
ところがどっこい。
第一話『死の猟犬』からプチパニックに陥いりました。以下各話について、ネタバレなしで感想を述べることができそうにありません。
逆に、結構内容に触れて書きたいとさえ思っています。案外、本書の感想や解説って、他のクリスティ作品に比べネットに転がってないんですよね。
簡単なあらすじ程度のものはよく目にしたので、ここらで一つ、がっつり核心に迫ったレビューもありではなかろうか。
ということで、以降未読の方は、本書読了後に閲覧することをおススメします。
死の猟犬よ、おまえは何が言いたいのだ
まずタイトルにもなっている『死の猟犬』
本書の看板的な作品であることは間違いなく、本短編集はこんな作品なんですよ、という読者に対する紹介のための一作のような気がします。
実は、この感想を書くまでに5回ほど読み直しているのですが、未だにその全貌が掴めません。
物語は、ベルギーの修道院に押し入ったドイツ兵たちを、謎の爆発現象で木端微塵に吹き飛ばしたとされる修道女を中心に回ります。そして、爆発現場に辛うじて残った壁の一つには、黒々とした大きな猟犬に見える火薬の跡が残っていました。本作の語り手アンストラザーは、友人からこの奇妙な事件を聞き、その修道女への面会を試みるのですが、修道女の常軌を逸した言動に謎は深まるばかり…ローズ博士なる精神分析の専門家も加わり、彼女の謎の力?を解明するため、種々の実験を繰り返すのですが、結局は答を得られないまま破滅的な結末へと物語は進んでゆきます。
最初っから最後まで、掴みどころのないまま淡々と物語は進み、何の論理的な説明もないまま話は終わります。そこにはカタルシスやサスペンスは全くありません。
まるで一陣の強風が体を突き抜け、そのままのスピードで通り過ぎてゆくような、そんな作品でした。後に残るのは、くしゃくしゃに縺れた髪の毛と乱れた着衣だけ。そして、また身なりを正して次の作品に向き合う。その繰り返しが本短編集なのかもしれません。
いったいクリスティは、どこから本作のインスピレーションを得たのでしょうか。もちろん、戦争と言うキーワードが密接に関係していたに違いありません。そこで、戦争・ベルギー・爆発というキーワードで調べてみたところ、少し興味深い記事が出てきました。それがこれです。
作中で仄めかされている爆発の時期(頁9「戦争がはじまった頃」)や厳密な位置(頁10「モンスに天使があらわれた」)が若干違いますが、実際にイギリス軍は、本作戦で500トン近くもの爆薬を用い、進行してきたドイツ軍1万人を瞬時に壊滅させます。この戦いは、核兵器以外で、人間が意図して行った爆発としては、最大規模のものとして記録されているようです。
この、一瞬で多くの人命を奪う戦争行為を間近で体験したクリスティが、本作の題材に用いたことは、想像に難くありません。
これまでも彼女は、戦争が如何に無意味で無駄なことかを自身の作品の中で、多くの登場人物を用いて雄弁に語ってきました。しかし、今までは、戦争行為に対する嫌悪感を露わにした表現が多かったのに比べ、本作にはそんな表現は見当たりません。
しかし、何度か読み返し、クリスティが違った方向からアプローチしていたことに気づきました。
(頁44)使った力が円を一周して舞いもどり…
これは、因果応報・悪因悪果という意味が含まれているのではないでしょうか。強大すぎる力の用い方を誤った時、その力は“死の猟犬”の形を模して使用者自身に跳ね返ってゆくということかもしれません。
前述のパッシェンデールの戦いで、イギリス軍は大規模作戦に成功します。しかし、最終的な死者数はドイツ軍約270,000人、イギリス軍約300,000人とされており、イギリス軍の方が失った人命が多かったという事実に驚かされました。
まさにクリスティが言わんとしていることを的確に表した事実です。本作を読んで改めて、人間が再び死の猟犬を解き放たないことを切に願います。
各話感想
多種多様な題材を元に、驚くほど多彩な展開を見せる短編集なので、どれか一つでも興味を抱いてもらえれば幸いです。
『赤信号』は第六感を取り扱った作品です。虫の報せとか、嫌な予感などの直観の類いは、現代でも専門的な研究が進められている分野の一つ。とはいえ本作では、エッセンスの一つにすぎず、本質は手の込んだ骨太のミステリになっているのが素晴らしい。
『第四の男』の怪奇現象は、いわゆる憑依の類いだから、現象の予想はつき易いかもしれません。もし自分の体を他人に乗っ取られたら、支配されそうになったら、皆さんはどうしますか?“第四の男”の去り際の一言がじわじわとボディーブローのように効いてくるはずです。
『ジプシー』は透視を扱った作品…のはずなのですが、読み進めている内に作中同様、異次元に迷い込んだような感覚に陥る異作です。ハッピーエンドなのに、釈然としない不思議な作品です。
『ランプ』はシンプルな幽霊話。孤独に餓死した男の子の泣き声が聞こえるという屋敷に引っ越してきた家族が体験する、恐怖の物語。子どもがいる読者には決してお勧めできない話。自己責任で読むほうが良いと思います。
『ラジオ』は霊との交信がテーマ。リアリティの有無は置いておいて、ミステリと怪奇の完璧な融合を見ることができます。ここにきて、作品の並びにも巧妙な罠が仕掛けられていると気づきます。ミステリ要素と幻想怪奇要素の絶妙な配合比率を、読者はオチまで見破ることができないように巧く作られています。
『検察側の証人』唯一、本作だけが幻想怪奇をテーマとしない純粋な法廷ミステリです。この作品だけを読むために、本書を手に取るのも良いかもしれません。短いながら、サプライズ・サスペンスを十分満たした名作です。
『青い壺の謎』で登場するのは幻聴。怪奇現象×犯罪、という組み合わせの数々を、クリスティは、悩みに悩んだのではないかと思われます。そして本作は、まさにその大成功例です。幻聴×○○、是非読んで確認してください。
『アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件』は一種の精神交換のようなものでしょうか。クリスティお得意の、巧みなストーリーテリングにぐいぐい引き込まれながら読めます。典型的な“クリスティ劇団”の団員たちが、見事にそれぞれの役を演じています。
『翼の呼ぶ声』は幻想的な雰囲気が、極限まで高まった神秘的な一作です。今までとは、毛色が全く違います。説明が難しいのですが、独特の高揚感を感じました。まるで聖書を読んでいるかのような作品です。
『最後の交霊会』文字通り交霊会を扱った純粋なホラーです。ここまで読んで、どれも類似の作品がないことに驚かされます。冒頭から立ち込める暗い雰囲気は、最後まで決して晴れることがありません。ダークなオチが好みの方にはお勧めです。
『S・O・S』一人の名探偵と、謎を抱えた一家と言う構図が、雰囲気があって良いと思います。怪奇現象は控えめですが、念写のようなものでしょうか。物語の核になる謎とは別に、SOSを出した人物の謎も交差し、奥行が増しています。
私はこれが言いたかった
本短編集では、全作に「死」が登場します。
死に付随する悲しみはもちろん、生への欲望や執念、死への恐れまたは受容、といった様々な死との向き合い方が、物語の重要なキーワードになっています。
ある意味、本短編集はクリスティなりの、死の了見を窺い知ることができる短編集なのです。
では!
ついでにオススメ記事
tsurezurenarumama.hatenablog.com
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トリックのエンドハウス(邪悪の家)、叙景描写のシタフォード、雰囲気のクィンって感じですかね。どれも大好きな作品です。