発表年:1925年
作者:F.W.クロフツ
シリーズ:フレンチ警部1
本作のストーリーは、単純で事件自体も一見ありきたりな強盗事件に見えます。しかし、小さな矛盾点から事件の経緯に疑問を持ったフレンチ警部が捜査に乗り出すと、小さな矛盾はさらなる謎を呼び、事件はフレンチ警部の人生最大のものとなってゆきます。
本作の探偵役であるスコットランド・ヤード犯罪捜査部のフレンチ警部は、数多の探偵たち(特に黄金期初期)の中でも少々異色の探偵のように見えます。
まずクロフツといえば努力型、足で地道に捜査する探偵(警察)というイメージが強く、もちろんフレンチ警部もその例に漏れません。
超人的な頭脳は無く、むしろ読者の推理に一歩譲ることもしばしばで、ここに苛々しないかが楽しめるポイントの一つかもしれません。
そしてそんな歯がゆさ、もどかしさと共にしっかりと感じ取れる、フレンチ警部の人情味豊かなキャラクターがなんといっても魅力的です。
<お世辞のジョー(本名ジョージフ・フレンチ)>と呼ばれるほど人当たりが良く、温厚な紳士でありながら、あきらめず粘り強い捜査が持ち味の好人物で、彼の尋問では、ほとんどの人が好意的に証言をしてくれます。
たまに鎌をかけて、高圧的に恫喝してみることもありますが、失敗する事例も多々あり、そういった捜査方法自体あまり肌に合っていないのかもしれません。
そんな彼の辿る捜査の軌跡は、ロンドンだけに留まらず、オランダ・スイス・スペイン・ポルトガルとヨーロッパ全土に渡ります。このヨーロッパ各地の叙景描写の素晴らしさも本作の美点に数え上げていいでしょう。
スイスの壮麗な山々を列車から拝観するような、また異国情緒あふれるホテルで飲む格別なコーヒーの風味が伝わってくるかのような文章力は見事で、それだけでも海外ミステリを読む価値というものを再確認させてくれます。
一方ミステリの中身については、意外性の少なさという点では、物足りなさを感じるところですが、失われたダイヤモンドの換金方法であったり、不可解な暗号の謎があったりと、フレンチ警部を翻弄する謎の数々とその質については、かなり高水準で楽しめます。
クロフツが書いた作品だから、アリバイものかトラベルミステリーなんだろうと鷹をくくって、敬遠している読者がいたら、そのイメージだけは必ず払しょくされます。
たしかにサプライズを追い求める読者の評価は高くは無いかもしれません。しかし、魅力的な探偵と彼を支える愛らしい妻、彼を信頼し捜査を見守る上司、事件の裏にあるドラマチックな背景など見どころは多く、フレンチ警部シリーズ最初にして最大の事件に是非挑んでほしいと思います。
では!