発表年:1933年
作者:ヘンリー・ウェイド
シリーズ:ノンシリーズ
軍人としてまた治安判事としても活躍したヘンリー・ウェイドは、イギリス本格推理小説の黄金時代を代表する作家の一人である。
彼の作風の一つとして挙げられるのが、リアリズムに則った警察の捜査活動であり、しばしば、「リアリズム小説の最高峰」と評されるクロフツと比較されることもあるらしい。
シリーズものとしては、スコットランド・ヤードのプール警部が有名だが、本作はノンシリーズものだ。
舞台となるのは、ブライド・バイ・ザ・シー<海辺の花嫁>村で、村の北部には、潮の干満によって生まれる入り江や陸地の集合地帯<塩沢地>が広がっている。
名称は架空のものだろうが、モデルとなった場所はありそうだ。
たぶん、イギリス東部ノーフォーク州の北端あたりだろう。
Googleマップで調べてみると、巻頭に付いている地図にそっくりの地形を発見できるはずだ。ShowGoogleMapというサイトで緯度52.9経度0.86あたりのストリートビューを見てみると、霧のたちこめる入り江まで見ることができる(2016年4月時点)ので、気になる人は是非ご覧いただきたい。
冒頭では、風光明媚な場所として紹介されるブライド村だが、話の内容はそこまで明るく美しいものではない。
のっけからパンセル夫妻の間に生じている不和が語られ、それらが画家である夫ジョンの体調不良、また不景気よる財政難からくるものであることが、章ごとに強調される。
そのうちに、まだ健康で活力ある妻ヒラリーは、小説家で女の扱いに長けたファインズの巧みな誘惑を受け、徐々に関係を深めていく。
狭い村の中で交差する人間模様は、夫ジョンの耳にも噂として到達し、夫婦仲の決裂は決定的かと思われたが、ある日を境に、彼らの時間はいつもと同じように、何事もなかったかのように刻み始める。
しかし、それは、<塩沢地>で死体が発見されるまでのほんの僅かな間だけだった。
事件が起きるのが、ちょうど頁の半分のところなので、それまでは、登場人物紹介や人間関係の変化、心理描写に大部分が割かれる。
後半になると事件を捜査するために、警察の精鋭が村を訪れ、それぞれの役職に応じたバリエーションに富む捜査を展開する。
ただし、面白いのもそこだけで、塩沢地に鬱蒼と立ち込める霧は、晴れることのないまま終わりを迎えてしまう。
作者の用意した心理トリックは、完璧とは到底言えない出来だが、十分現代の読者にも理解できることだろう。
しかし、そういった心理的トリックは、出来不出来が一番重要であり、やはり、中途半端な印象は拭えない。
<以下ネタバレ感想>
まず半倒叙という形が中途半端。
明らかにジョンが犯行を犯したように思える描写をしておきながら、作者によるミスリードは、随所に見受けられる。
たぶん最後まで読者を惑わすための構成なのだろうが、それも最後の真犯人による手記のせいで失敗に終わっている。
せっかくリアリティのある警察捜査は書けているのに、肝心の解決編だけは真犯人の手に委ねてしまっては、捜査全てが無意味なものに感じてしまう。
また、「いまだかつてないほど深く」愛していた妻に宛てた手紙より、犯行の告白の方が数倍長いのはこれ如何に?
告白文の結末部を、ヒラリーへの愛で締め括る方がよほど告白文らしい気がするのだがどうだろうか。この結末部だけが妙にリアリズムを欠いてしまっているのではないか。
まだ妥協できる点を挙げるとするなら、ジョンの犯行が突発的なものだったことだろう。
犯行以前からヨットの操舵練習をしていたことは、村人には周知の事実であったに違いないし、ジョンの当初の計画通りヨット転覆による事故死を装った殺人を犯していたら、それこそ証拠はないにせよ、殺人の疑いは免れないだろう。
そして、その重圧にジョンが耐え得るかも信じがたい。
無計画なものだったとはいえ、その後冷静さを取り戻して、ファインズが死亡時刻以降も生きていたように見せる策を弄すことで警察の捜査を眩まし、機知に富んだ犯人役を演じることには、概ね成功している。
本作は、上品な抑えられた描写で書かれてはいるものの、内容は暗い。
文学的な側面から見てみると、真の悪は、ヒラリー・パンセルという見方もできるのではないか。
彼女は、ファインズとは肉体関係がなかった、と言った。果たしてそれは真実だろうか?
読み返しても直接的な描写はないし、むしろ彼女はファインズに襲われ、抵抗したという。しかし、それも彼女が言ったことであり、信じる根拠は無い。
ファインズと旅行に出かけた彼女の良心は
最後の一瞬のひらめきを見せ―それきり絶えた。
のではなかったか?
【要検証】
念のため、時系列を確認しておく。
金曜日の朝ヒラリーは、ブローズへ旅立つ(頁129)
同日フェイクナム駅にてファインズと合流(頁130)
ヒラリー談によると、彼と合流し映画を見てホテルに入り、
ファインズに襲われたのも同日金曜日(頁182)
そしてファインズから逃げ出し、知人の家に直行したのも同日(頁184)
しかし知人女性の証言によると、到着したのは土曜の晩だ(頁290)
この時点で、ヒラリーの証言が嘘だった、もしくは知人に嘘の証言を依頼した可能性が浮上する。
一方でホテルの従業員は二人に似た人物が土曜日に一泊し、
日曜の朝出発したことを証明している(頁274)
ファインズが<処女の雌鴨>亭でジョンと出くわしたのも日曜の晩(頁134)なので矛盾はない。
となると、金曜から土曜の二人の動静は不明となるが、当該のホテルにヒラリーが訪れたことは疑いない事実であることから、やはり二人は土曜日はホテルに宿泊しており、「過ちを犯さなかった(頁184)」というヒラリーの言葉は到底信用できない。そうなると、知人の証言の意図がよくわからなくなる。
嘘をつくなら、エラリーの証言通り、金曜日の午後到着したと言えばいいはずだ。
うーん。私の頭ではここまでが限界か。
何が言いたかったのか。
つまり、ヒラリーに不貞の罪があった場合、ジョンのファインズ殺しには、少なからず復讐や報復という殺人への合理性が認められるはずだ。
しかし、ヒラリーからなにもなかった旨を告白されたジョンは、なんの罪もない人を殺したという罪悪感に苛まれたに違いない。
「なんてことだ(頁184)」は、告白にたいする返答には、少し符合しないように思える。
「なんだ、そうだったのか。」という安堵こそすれ、「なんてことだ。」には、明らかに予想を覆す衝撃、後悔が感じ取れる。
そして、ジョンに罪悪感があったがゆえに、間違った容疑者が逮捕された際に、自ら命を絶つ決断を下したのだ。
自身が犯した殺人への正当性を彼が少しでも認識していたら、早まった真似はしなかっただろうし、そもそも告白文にあるように「いまだかつててないほど深く」ヒラリーを愛することもなかっただろう。
ヒラリーの不貞がなかったと、本作中で論理的に証明されていない以上、計画的ではないとはいえジョンを殺人者へ変貌させ、死に追いやった真の悪は、ヒラリー・パンセルだと思う。
結末部で、ヒラリーは、ジョンがファインズを殺したことを未だ理解できずにいる。理解できずにいることが異常なのだ。一度彼の告白を聞き、動機を知っているのだから「やっぱりね。」と思うのが普通なのだが、彼女はすぐさま頭の中で「所在不明になっていた物証も見つかったし、捕まった容疑者の容疑も晴れるわ!事故死で決着がつくのよ!」と思いを巡らしている。
読了後よりもしばらく経ってから、後味の悪さを痛感させられる作品となったが、個人的には好きな悪人の一人。
では!