雲なす証言【感想】ドロシー・L・セイヤーズ

発表年:1926年

作者:ドロシー・L・セイヤーズ

シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿2

 

 

本作の見所はなんといっても、前作『誰の死体?』以上にウィットに富んだ会話の応酬と、ピーター卿のキャラクターでしょう。

 

シリーズおなじみの執事バンターや友人パーカー氏はもちろんのこと、今作では、ピーターの兄ジェラルドが物語の中心となり、“貴族の貴族による貴族のための推理小説”を堪能できました。

私たち読者は、あくまでも裁判の傍聴者であり、野次馬気分で、肩肘張らずに楽しむことができるでしょう。一方で、冒険小説としての要素も含まれており、読者を楽しませる手法にも余念がありません。

また、本作を以て主要登場人物たちのキャラクターが確立された、との書評をよく見るのですがどうでしょうか?

 

前作で、赤の他人の殺人事件に首を突っ込んだピーター卿ですが、今作では家族の危機に東奔西走し、時には命の危険を冒してまでも真相を究明します。

貴族探偵としてのピーター卿ではなく、デンヴァー家の一員として、健全な男子として、イギリス人紳士として、弟として兄として、彼の演じる役どころは多く、前作以上にピーター卿の人物像に深く迫ることができました。

執事のバンターは、ただの従順で忠実な執事以上の存在意義を証明してくれます。内奥には深い尊敬と敬意を湛えたまま、時に主従関係を見紛うほどの台詞を用い、物語に独特のユーモアを与えてくれるのです。

友人であり警部のパーカーは、より一層ピーター卿との友情を深め、その信頼関係に磨きがかかったようです。

また、ピーター卿の妹メアリに対する挙動や、結末部の痴態(笑)も含め、彼自身が笑いの中心となることで、物語全体の面白さも格段上がっています。

前作では、僅かの登場に留まったピーター卿の兄デンヴァー公爵は、妻ヘレンの影響もあってか、真面目で意地っ張りな性質を表し、前作以上に強烈な堅物であることを示します。しかし一方では、本作の謎に複雑に絡み、『雲なす証言』たちの一角をなす重要な人物も演じています。

ピーター卿の妹メアリは前作で登場したっけ?彼女は、本作のヒロインとして、また重要な証言者の一人として主要人物になっています。彼女の現代風の考え方や応対に、ピーター卿は度々頭を悩ませますが、終盤では兄妹の邂逅のシーンも丁寧に書かれており、謎の解決以上に胸をなでおろすに違いありません。

先代公妃の聡明さと一風変わったものの考え方は、一層冴え渡り、さすがピーター卿の母君と唸らされるし、フレディ爵子も見せ場は少ないものの、インパクトは強烈で見事な笑いを提供してくれます。

 

ここまで書いてきて、感想がキャラクター描写偏重になってしまっていますが、実際物語の中身もキャラクター中心に動いているのです。

しかし、無意味な描写は一つもありません。以前『シャーロック・ホームズの思い出』の感想で「謎を紐解くことは、その謎に絡む人物の人生を紐解くこと」と書きましたが、本作ではその逆です。

キャラクターを紐解くことが、謎の解決に必要であり、事細かに描写された人物像は、そのまま読者に謎を解く手がかりとして提供されています。

物語終盤、一章丸々費やした、弁護士サー・インピィによる最終弁論(かなりの想像力の賜物)が容易に理解でき、情景を思い浮かべながら読むことができるのもその徹底したキャラクター描写のおかげだと言えるのではないでしょうか。

 


推理小説における謎やトリックについて触れないわけにはいきませんが、まずトリックは置いときましょう。

謎の隠し方は秀逸で、序盤で軽く仄めかされてはいるものの、思い込みで読み進めてしまう読者も多いんじゃないでしょうか。

また、騎士道精神の偉大さと儚さや、人の心の無常観を本作を通して感じることができれば、犯人に対する同情や悲哀の気持ちを抱きこそすれ、憎しみや憤りを感じることはないでしょう。

 

声を出して笑ったのは、本作が初めての経験で、ただの貴族のお小説と侮ってはいけません。稀代の女性推理小説作家であり、人気喜劇作家の血を受け継ぐ、これぞドロシー・L・セイヤーズの作品であることを思い知らされました。

 

では!