就寝前のお楽しみ【感想】パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』


発表年:1929年

作者:パーシヴァル・ワイルド

シリーズ:ノン・シリーズ

 

   短編推理小説ベストを塗り替えたかもしれませんなー。

   本作の感想を書く前に少し語らせていただきます。そもそも、私が短編推理小説と長編推理小説に求めるものは全然違うんです。長編では、作品の盛り上がりがピークに達する部分は、決してラストでなくてもいいと思っています。それはいざ殺人事件が起こるシーンでも良いし、事件が起こるまでの導入部でも良くて、特段ピークがなく淡々と語られる犯罪小説風のものでも良いし、冒険小説のような悪漢との戦闘シーンでもかまいません。

 

   一方短編小説では、必ず最後にピークを持ってきてほしいと思っています。最後の最後で、それまで書いてきた全ての事象を超えるような展開で締め括ってほしいんです。文字に起こすと、簡単なように、当たり前かのように見えますが決してそんなことはありません。

   もちろんホームズやブラウン神父ものも、素晴らしい短編推理小説であることを否定しませんが、本作『悪党どものお楽しみ』は、それらの作品と違い、最後のボルテージのフリ幅がえげつないんです。その原因は、必ずしもミステリに良くみられる驚愕のサプライズといった類のものではありません。情緒をがっつり揺さぶられる作品なのです。「ハァ~」と、魂ごと一緒に出てしまうんじゃないかと思うくらい、ため息(良い意味の)をつきながら一作一作丁寧に読むことができました。

 

   以下なるべくネタバレなしで、各話の感想を述べていくつもりですが、先入観さえ抱きたくないという読者の方々は、本作が全編に()ギャンブラーであるビルが登場する短編、という知識だけを持って、まずは一度読んでから先へ進んでいただければと思います。

 

各話感想


シンボル

   賭博師ビルが故郷へ帰るお話。厳格な父からの逃避と再会、ビルの二十余年の人生の物語です。やはりタイトルが示す“正しさの印”が、特殊な心理的効果を生み出しているのが秀逸。

カードの出方

   ビルの相棒的存在であるトニーとの出会いの物語。トリックは小粒でも、元詐欺師VS詐欺師という特殊な設定のミステリにおいては小道具よりも心理戦がなにより面白い。本短編集の面白さを紹介してくれるような代表作です。

ポーカー・ドッグ

   ビルとトニーの抱腹絶倒の電報のやり取りだけでも読む価値アリ。本短編では、小道具の使い方が秀逸ユーモア満載のオチも見事。

赤と黒

   ギャンブルに関連するトリックが現実的かどうかはわかりませんが、見どころはそこだけではありません。ブラックユーモアがうまく効いた、爽快感のある結末になっています。

良心の問題

   泣いてまう。これは泣いてまう。ストーリー自体の美しさは言うまでもなく、ビル・パームリーという男の内面の美しさも感じ取れる作品。

ビギナーズ・ラック

   作品の並びがまず巧妙。こういう展開は想定内だったとはいえ、結末は意外性に満ちています。

火の柱

   形は今まで通り元詐欺師VS詐欺師なのですが、心理的トリック・小道具どれも高質で唸らされます。もちろんユーモアも忘れない。

アカニレの皮

   序文が素晴らしい思います。どこか不気味だが聖書的な神秘さも感じられる作品なのではないでしょうか。物語の締め括りに使われる十数文は、読んだことがあるにもかかわらず、印象がガラリと変わり新鮮です。

エピローグ

   たった3頁ですが、このビルとトニーの会話があるのとないのでは、次話『堕天使の冒険』の印象が大きく変わってくるでしょう。

堕天使の冒険

   素晴らしいトリックが中心の短編です。トニーの人間らしさが物語を複雑に、そして奥深くしています。トリックの推理では、さながら殺人事件の捜査かのような綿密な検証が繰り返され、本作で一番ミステリ色の強い作品と言って良いでしょう。

 

 

ビル・パームリーという男

   作中で紹介される彼の経歴は、『シンボル』内で紹介されるとおり、十八歳まで厳格な家庭で育ったのち、家を出て六年間いかさま賭博師として活動していた、というもの。人の良さそうな顔と率直な青い目を持ち、初対面の人からは間違いなく田舎者の青年に見えるようです。

   しかし、一度ギャンブルにからむ事件に遭遇すると彼の観察眼と推理力はまさに超人的で、なんの苦労もないかのようにサラリと解決してしまいます。

   「超人的」といえばシャーロック・ホームズですが、ビル・パームリーも負けてはいません。若干二十四歳という若さにもかかわらず感じさせる、人生に対する達観ぶりや、采配の妙技には熟練さえ感じます。

   彼の女性感については、多くを読み取ることはできませんが、トニーの妻ミセス・スラグホーンに好感を持っているようです。ただ、彼女と2人っきりで車に乗っても「彼女は結婚しており、ビルは安全だ。(頁48)」とあるので、別に意中の人がいる、もしくは、そもそも女性に興味がない…のかもしれません。

 

   彼の本作でのポジションは、いち探偵役にとどまらず、弱き者に救いの手を、虐げられた者に憐れみを、傲慢な者には罰を、誤った道に逸れそうになった友に助言を、とまるで聖人かのように救済の手腕を発揮しています。

   そういえば、『火の柱』だったり『堕天使』だったり、聖書を連想させるタイトルや教訓めいた作品もあり、あながち聖人探偵というのは間違ってないのかもしれません。アガサ・クリスティの『クィン氏』は言い過ぎですが、紳士的で優れた人格者のようで、どこか現実味のない想像上の存在のような気もします。

   とはいえ、素晴らしい名探偵であることには変わりません。いつもの血なまぐさい殺人事件からは少し身を離して、本作を読んでみるのはどうでしょうか。安心して、でもドキドキしながら読めること請け合いです。

  就寝前に読めば、幸せな気持ちで眠れること間違いなしの、素晴らしい短編集でした。

 

では!