(当時の)推理小説最大傑作【感想】E.C.ベントリー『トレント最後の事件』

Trent's Last Case

1913年発表 フィリップ・トレント1 大久保康雄訳 創元推理文庫発行

 

   本作は、古典的名作の一つに数えられ、恋愛要素との見事な融和や意外性のある結末などが高い評価を受けているそうですが、近年の読者の評価を見ていると「恋愛要素もチグハグで、トリックも凡庸」等とそこまで芳しくないのがわかります。

   やはり古典的名作というだけで、後者の評価が正しいのでしょうか。

 


   作者E.C.ベントリーといえば連想するのがG.K.チェスタトンです。セント・ポール学院の先輩後輩の間柄で、作家になってからもディテクションクラブの初代会長がチェスタトン、二代目会長をベントリーが務めるなど、終生その友情は潰えなかったそうです。

   また、本作の序文の献辞の言葉も、チェスタトンの『木曜の男』で彼から受けた献辞への返礼であることは有名で、二人の仲の深さは周知の事実。

   そんなチェスタトンの親友で、ディテクションクラブの会長も務め、詩人としても活躍したあのベントリーの書いた推理小説なのだから、さらに言えばチェスタトンをして“現代推理小説最大の傑作”と言わしめた作品なのだから、たいそう度肝を抜かれる素晴らしい作品なのだろうと勝手にハードルを上げて読んでみました。

 

 

あらすじはシンプルです。

アメリカ財政界の大物で“巨人”の異名を持つマンダ―スンが頭を銃で撃ち抜かれ死亡する。この特ダネを掴んだ新聞編集者ジェームズ卿は、かねてより名探偵との評判高い画家のフィリップ・トレントに記者として事件の調査を依頼した。

 

   推理小説の導入部は大きく2パターンあり、一つは初めにサラッと既に起こった殺人事件が紹介され、探偵が捜査に乗り出すパターン。そしてもう一つはまず登場人物たちが紹介され、その後事件が発生し探偵が登場するパターンです。

   本作は前者のパターンで、すでにマンダ―スンが死んでいることが明らかにされ、トレントはまったく何も知らない状況から捜査を始めます。そのため、読者も同じスタート地点に立ち、登場人物たちの証言を聞き、物証を探し、推理を組み立てることができます。

   冒頭で述べた恋愛要素については、物語中盤から絡んでくるのですが、どうもはっきりしません。私はそれが恋愛に繋がる描写だったとは気づかないまま、終盤に差し掛かり始めてロマンスが生じていることに気付き驚きました。

   そして、ロマンスが与える影響は良くも悪くも探偵の推理に大きく影響します。ここで残念ながら読者と探偵と間に溝が生じてしまったようです。少し唐突すぎる恋愛描写に読者は置いてきぼりをくらい、そのせいで探偵の推理にも翳りが生じ、せっかく意外性のある結末もやや窄んで見えてしまうように思えました。

 

   しかし、一方で本作は、その意外性に重きを置いて作られたのではないのではないか、とも思います。恋愛と推理を融和させながら、探偵に謎解きの可能性を十分考慮させた後、真相が鮮やかに明かされるかと思わせておいて、少しずつ(良い意味で)引き延ばされます。

   終盤は、ベントリーの仕掛けた罠の数々に毎回ひっかかりながら読むことができます。二転三転する展開に読者を強引に引き摺り込む作者の手腕も素晴らしく、やはりそのためには、恋愛要素が必須のエッセンスだったのでしょう。

 

   チェスタトン評は、たしかに“(当時の現代推理小説最大の傑作”と、少し手を加えなければならないでしょうが、時代を考慮しても尚、結末は小気味よく、ロマンスはこっぱずかしく、初登場ながら“最後の事件”とする小粋なタイトリング等、推理小説を楽しむための要素は十分詰まっています。

   読む前にハードルを上げてしまったと思いましたが、実際に上げていたのはベントリーで、読者も無理に飛ばずにくぐり抜ければ良かったのです。古典だから、とかベントリーだからといった雑念は捨てて、楽しめる名作だと思います。

 

では!