THE MAN WHO KNEW TOO MUCH
1922年発表 G.K.チェスタトン作 南條竹則訳 創元推理文庫発行
“知りすぎて何も知らない”男、ホーン・フィッシャーが活躍する連作短編集。提示される謎はどれも政治色が強く、作者チェスタトンの文明/政治批評の精神が存分に詰まった作品です。探偵役の性格もそうですが、お得意の逆説的な描写もふんだんに用いられており、いつものようにミステリ初心者をいじめてきます。まずは『ブラウン神父』シリーズで肩慣らしをしておくとよいでしょう。
以下、各話感想です。
標的の顔
The Face in the Target(1920)
物語は、探偵役のホーン・フィッシャーと、本作の観察者/傍観者を務める新進の政治記者ハロルド・マーチとの出会いから始まります。二人の目の前でショッキングな事故が起こりますが、フィッシャーは全く動じません。人が死んだにもかかわらず、二人の周りの空気が落ち着いたまま(もちろんフィッシャーのせいですが)なのが、奇妙な雰囲気を醸し出しています。ミステリの肝はやはり逆説的表現に忍ばされた真実に気付けるかどうか。
消えたプリンス
The Vanishing Prince,A Story(1920)
アイルランドとイングランドの外交問題を題材にした作品。謎の犯罪者“プリンス”を捕えるため彼の根城を取り囲むフィッシャー一同でしたが、突如銃声が轟き……。トリックはシンプルそのもので、こちらも逆説描写に注目していれば犯人当ては簡単な部類でしょう。
少年の心
The Soul of the Schoolboy(1920)
短編ミステリにはかかせない物体消失系の一作。タイトルの妙味とともに、一つひとつの小道具をあますところなく用いた秀作です。解説にもあるとおり、ハウダニットだけではなくホワイダニットまで丁寧に整備されているのが巧いです。
底なしの井戸
The Bottomless Well(1921)
シンプルかつ巧妙なトリックと“底なしの井戸”が導くロジックが美しい本書一冴えた短編です。舞台は当時イギリスのドミニオンだった中東のどこかでしょうか。暑苦しい空気や異国情緒あふれる建築様式などが垣間見える古き(良きとはお世辞にも言えませんが)時代のイギリス“らしい”ミステリです。
塀の穴
The Hole in the Wall(1921)
詩人でもあったチェスタトンの巧みな言葉遊びがちりばめられた作品。謎解きそのものは日本人には少し難しいかもしれません。チェスタトンからみた当時のイングランドと世界の関係性や立ち位置みたいなものに対する批評や思想がぷんぷん匂ってくるので、ここらへんがもっと詳しければさらに楽しめたと思います。
釣り師のこだわり
The Fad of the Fisherman(1921)
外交問題を取り扱ったデリケートな作品。一歩間違えば現実世界までも影響を及ぼしそうな攻めた作品と言えるでしょう。朝日の光や水のきらめきなど時間の経過や明るい情景が描かれているにも関わらず、どこか鬱蒼としていて霧が立ち込めるような薄暗い雰囲気に満ちているのも面白いところ。フィッシャーは、暗い空気を切り裂くように、巧妙な伏線を指摘しながら、意外な犯人を指し示します。
一家の馬鹿息子
The Temple of Silence(1922)
何不自由なく上流階級で暮らしながらも、どこか孤独を感じさせるフィッシャーの過去が描かれる作品。彼の“知りすぎて何も知らない”ことの悲哀が伝わってくる一作です。国会議員に立候補したフィッシャーに降りかかる災難とそのワケにチェスタトン節がさく裂しています。真犯人の意外性も十分です。
彫像の復讐
The Vengeance of the Statue(1921)
掉尾を飾る本編は、知りすぎた男フィッシャーが“知るに値することを知る”お話。スパイ小説の味付けがなされ、フィッシャー自身も物語から一時退場するなど、異色の一作です。もちろん終盤では、全てを知るフィッシャー自ら事件の解説を行いますが、注目はその後のフィッシャーの行動そのもの。第一位次世界大戦前後に書かれた作品だけあって、明らかにはされていないものの“敵”を前にしたフィッシャーの言動は、ミステリにおける“探偵”の枠に収まらない人としての規格外の強さと意志を感じます。
おわりに
フィッシャーの口を通して語られるレトリックの数々やまるで宗教画のような小道具の用い方、描かれ方など、チェスタトンでしか書けない唯一無二の作品でした。全体的に、皮肉たっぷりのユーモアというものが欠けているので、『ブラウン神父』や『ガブリエル・ゲイル』もののようにクスリとくるシーンはありませんが、かの英雄“ヘラクレス”ことエルキュール・ポワロでさえ敵わない強さと頭脳を兼ね備えた探偵として、忘れることのできない存在になりました。
では!