『検察側の証人(戯曲)』アガサ・クリスティ【感想】最上級の欺しをあなたに

1953年初演 アガサ・クリスティ原作 早川書房発行

 

本作は、1933年にアガサ・クリスティが刊行した短編集『死の猟犬』に収録された短編小説を戯曲化した作品。1953年にロンドンで初演されて以降、映画化や舞台化など様々な形で長年にわたって、題材にとりあげられ続ける傑作サスペンス・ミステリになっている。つい昨年もジャニーズの人気アイドルが主演で舞台化されたし、BBC制作のドラマが発表されたのもここ数年の話。一見すると単純そうな構図の中に組み込まれた、二転三転する人間ドラマと、登場人物たちが織り成す緊迫した法廷劇というシンプルな構造がばちっとはまった完璧な一作だ。

 

以下あらすじ

金持ちのオールドミス(老嬢)が殺された。疑いをかけられたのは彼女と親しくしていた青年レナード。証言には疑わしいところはないが、状況証拠だけはどんどんと固まっていき……。弁護側の切り札は、レナードの妻ローマインのアリバイ証言だったが、検察側の証人として登場する彼女の証言に弁護側は凍り付くことになる。果たして青年の命運やいかに。

 

 

 

登場人物も少なく筋立てもシンプル、とにかくテンポよく話が進むので、戯曲版らしい台詞や舞台描写のクセさえ慣れてしまえば読みやすい。ミステリとしての仕掛けも、事件の背景や動機なんかも一つひとつ切り取ると、いたってオーソドックスで、真新しいものはない。しかし、法廷という、証人ただ一人にスポットライトが当たり、一挙手一投足が見張られ、口から出るすべての言葉の真贋が見定められる極限の舞台で、それぞれの役を演じ切る登場人物たちの人間描写の細やかさと、それを読者/観客に信じ込ませるテクニックが凄まじい。

クリスティが本作について自画自賛するのも頷ける出来である。

 

また、本作の凄いところは、作り手の立場に立った時、ある程度、どのような物語も自由に組み替えれるところ。短編集と戯曲で結末の方向性が変わったように、真犯人ではないほかの登場人物が犯人でも面白いんじゃないか?と思わせる自由度がある。フーダニットに特化するのではなく、本格的な法廷劇にしても面白いかもしれない。一方で、現代でも通用するかと聞かれるとなかなか厳しい面もありそうで、演劇でも見た後おいしいディナーでも食べに行こうか、なんて優雅な生活の中に自然と入り込むひとつのエンターテインメントとして楽しむ作品だろう。ともあれ、舞台に設置された一つひとつの調度品まで目に浮かぶような豊かな表現力はリアリティと呼ぶにふさわしいものだし、背筋をゾクっとさせる物語の結末も満足度が高い。クリスティ作品の中でも読者を欺すテクニックにおいて最上級の作品なのは間違いない。

では!