『さよならダイノサウルス』ロバート・J・ソウヤー【感想】恐竜だぞ面白くないわけがない

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END OF AN ERA

1994年発表 内田昌之訳 ハヤカワ文庫

 

 ロバート・J・ソウヤーはカナダのSF作家。SFに関する賞を数多く受賞しながらも、雑誌編集者やSF作品の脚本家・専門家として第一線で活躍している。彼の作品はごりごりのSFでありながら、日本のミステリファンをも唸らせるサプライズの派手さ、質の高さが魅力だ。また、題材も古生物から量子力学まで作者の幅広い知識と、斬新なアイデアが注ぎ語まれている。SFとミステリの見事な融合が描かれた処女作『ゴールデン・フリース』は傑作のひとつ(それしか読んだことない)。気になった方は先ずはそちらからどうぞ。

 

古生物学者ブランドン・サッカレーは、空中にぶら下げられた鉄の箱の中で回想していた。われわれは人間を送り込もうとしている。それもまだ地球に恐竜が闊歩していた時代にだ。ブランドンはいたってふつうの男だった。末期ガンの父を持ち、別れた妻に未練があり、花粉症に煩わされている四十四歳の中年男性。それがブランドンだった。タイムマシンは彼と彼の友人であり、裏切り者であり、好敵手である科学者クリックスを中生代へと送り込む。全ては一つの目的のために。

 

 本作のプロットはいたってシンプルで「恐竜はなぜ滅んだのか」という今なお人々の興味を刺激する一大テーマを軸にしている。時間旅行≪タイム・トラベル≫ものだとはいえ、SF描写は簡素で、余計なSF言語で読者を混乱させることは少ない。人類が想像するしかない中生代の環境や様相も、ソウヤーの鮮やかな想像力が炸裂しており、読者を飽きさせることが無い。

 本作をただのSF小説から傑作SF小説へと昇華させている要因が、ノイズのように入り込むブランドンの混濁した記憶と記録だ。そこにはタイム・トラベルも自らの苦境も何も知らないもう一人のブランドン・サッカレーがいた。

 安直に中生代の地球と恐竜の神秘をただ描き続けるだけではなく、6470万年の時を隔てて進行する壮大な二部構成が異彩を放っている。現在と過去を交互に描写することで、登場人物たちの人格や行動にすら何らかの一貫した意志のようなものが働き、行動を決定づけ、考えを変化させているようにも思える。

 

 もちろん、恐竜の生態に関する疑問の多くに解答を用意する作者の閃きは素晴らしく、迫力満点の恐竜たちのサプライズ以上に驚かされる未知との遭遇は序盤のハイライトの一つだ。しかし、新たな発見がもつ真の意味は、その時には誰にも理解はできない。物語は静かに、全生物の存亡をかけた想定外の方向へと進んでいく。

 奇抜な展開が続くにもかかわらず、メインテーマである恐竜絶滅の理由については、全くブレることが無い。終始作中で行われる意味深長なカウントダウンの真実が明かされるとき、改めて、作者の着想の深さに脱帽せざるをえない。

 

 本書のクライマックスに、スーパーヒーローの鮮やかなアクションや大爆発を伴うスペクタクルショーはないが、かわりにリアリティのある中年男性のもたついた活劇と、おぞましい生物との闘争がある。超人的なスーパーマンは必要ない。銃を撃つ兵士ではなく、銃を生み出した研究者たちこそ、未来を切り拓いてきたということか。

 

 悲劇的なエピソードがまるっと一転するところがご都合的には感じるが、物語が好転し、ハッピーエンドで終わるのもソウヤー作品の一つの特徴である。今の時代にこそ読むべきアイデアの驚きとともに、充足感も得られる、そんな作品が面白くないわけがない。

では!