『本命』ディック・フランシス【感想】硬派と軟派のあいだ

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Dead Cert

1962年発表 菊池光訳 ハヤカワ文庫発行 

 

ディック・フランシスという男

 ディック・フランシスは1920年ウェールズ生まれ。祖父の代から競走馬の世話や騎手、厩舎に関わりのある家庭で育ち、フランシスも幼少期から乗馬をこなすなど馬になじみの深い生活を送ります。

 大人になり身長が伸びてしまったフランシスは平地競争の騎手にはなれなかったものの、障害競走の騎手としては年間の最多勝利騎手になったり、エリザベス王太后の専属騎手を務めるなど、騎手としての成功を収めました。

 37歳で騎手を引退後、新聞の競馬欄を担当する新聞記者をする傍ら、1962年処女長編である本書『本命』を発表します。日本では、「競馬シリーズ」と呼ばれる競馬場や馬をプロットに組み込んだミステリが人気を博しました。絶版状態のものが多く手に入るものとそうでないものの差が激しいですが、40作以上の著作は全て翻訳されています。

 

 ディック・フランシスの作品の良さについては以下の記事に心を動かされました。ディック・フランシスを「神のような存在」と呼ぶ筆者の大きな愛が伝わってきます。かくいう自分もこの記事を読んで集めようと思ったのでぜひご覧ください。

初心者のためのディック・フランシス入門(執筆者・五代ゆう) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート

 

 

 

ネタバレなし感想

 本書はなかなかにショッキングなシーンで始まります。500㎏近い馬体を軽々持ち上げる筋肉ときらめき靡く鬣を持つ名馬が、まさかの事態に陥ります。そのレースに参加し、事件を目の前で見ていた主人公の騎手ヨークは、レース中に見た“その場にあるはずのない物”を思い出していました。悲劇に見舞われた親友の無念を晴らすべく、ヨークは単身調査を開始します。

 

 最初に言うのもなんですが、巻末の原田俊治氏(JRAにも長く勤めた馬の専門家)の「競馬、イギリスと日本の違い」がめっちゃ面白いです。本書のネタバレはなく、本書のような競馬を題材にした推理小説を読む際に役立つ事象を紹介してくれているので、先に読むのも良いかもしれません。

 

 事件は障害競走のレース中に起こったということで、謎の手掛かりも全て競馬場に散らばっており、ヨークは、同僚の騎手や競馬場に出入りする関係者に聞き込みを行い少しずつ手掛かりを集めていきます。私自身まったくと言ってよいほど競馬の知識は皆無なのですが、このヨークの聞き込みをとおして、競馬場のしきたりや習慣、レースのルールや賭けの仕組みなど、競馬知識が増えていく感覚も本書の醍醐味です。

 

 その後ヨークは、競馬界に蔓延る闇に少しずつ足を踏み入れてゆきます。そして、その闇に呑みこまれているのはヨークだけでなく、同僚のジョッキーたちであることも明らかになり、事件は新たな展開を迎えます。

 

 自分自身が容疑者だと疑われながら、また、脅迫され命の危険を感じながらも、愛する友のため/友の遺した家族を守るために孤軍奮闘する主人公の輝きが眩しすぎます。

 手掛かり自体は、進行に合わせて自然と主人公の周りに集まってきますし、わかりやすいミスディレクションもちゃんと機能を果たしながら物語が進むので、謎解きの面では決して難しいものではありません。

 それでも後半に行くにつれてボルテージが上がっていくのは、大敵との戦いを描いた、迫真のマ(馬)-チェイスシーン。最近、大都会NYで馬を駆りながら超絶アクションが爆裂する映画(『ジョン・ウィック:パラベラム』)を見たので、めちゃくちゃシンクロしながら読むことができました。興味のある方は、是非『ジョン・ウィック』三部作もご覧ください。

 

 

 閑話休題。先の記事でもあったように、本作でも、“数々の困難を不屈の闘志で乗り越えていく英国紳士”というディック・フランシス作品共通のキャラクターが、ヨークという名を借りて、大立ち回りを演じるわけですが、本作にはそれに加えて脇役たちの深い造形も際立っています。親友の愛らしい子どもたちとの僅かなエピソードも一つ一つが鮮烈な印象を残すし、ヨークの友を思う熱い眼差しは、すでに世を去った人物にすら優しく力強い光を投げかけます。

 また、エキサイティングな冒険活劇とロマンスの書き分けも抜群に上手く、ヨークと新進気鋭の騎手との恋のさや当ても見どころの一つです。恋であってもスポーツであっても心身ともにタフな、英国紳士然とした誇り高き男たちが、悪を倒すヒーローものとして読み継がれるべき名作です。

 

 

 

 どうにもこうにも綺麗に言語化できなくて、あとちょっとダラダラ書きます。

 たしかに本作の主人公には、不撓不屈の精神というか、わかりやすい漢らしさ、正義へと向かう真っ直ぐな意志、硬派な姿勢が満ちているのですが、一方で、洗練されたユーモアの感覚もばっちし備わっていて、ここがすっごい不思議な(それでいて心地よい)感覚なんですよね。つまりは、お堅くないんですよ。でも決して軟派でもない。

 もう数作読んで、もっとディック・フランシスにのめり込みたいなあ、とそう思わせてくれる作品でした。

では!