『吠える犬』E.S.ガードナー【感想】今日もカッコいいぜ!おれは吠える

THE CASE OF THE HOWLING DOG

1938年発表 弁護士ペリー・メイスン4 小西宏訳 創元推理文庫発行

前作『幸運の脚(幸運な足の娘)

次作『奇妙な花嫁』

 

隣人の家の犬が吠えて迷惑だ、という依頼を受けたメイスンだったが、隣人の主張によると犬は吠えなかったのだという。依頼人のただならぬ様相に、調査を開始するメイスンだったが、その依頼人が行方知れずとなり……。

 

 もちろんただ犬が吠えるか吠えないかでメイスンが出張るわけではない。依頼人の質問は、自身の遺言書の作成に関することであり、財産の遺贈先は隣人の婦人、しかも人妻だったのだ。

 依頼人の抱える秘密というのが、勘所なのは案違いないのだが、メイスンの調査が進んだ矢先に依頼人がさる女性と駆け落ちしてしまい、さらには関係者の一人が殺されてしまうに至り、メイスンがやや宙ぶらりんになってしまうところに物語の面白さがある。

 

 メイスンは依頼人がいなくなっても捜査を続行する。それは、ただ単にやり始めた仕事というだけではない。事件の背後にきな臭い何かを感じ取っていたからだった。影に葬られた事実を探るため、デラや探偵ポール・ドレイクの力を借りながら情報を収集するのはいつも通りの流れ。

 主要な登場人物は僅か数名なのだが、全員の人間関係が縺れに縺れているので、それを解き解すのが中盤の動き。しかし、その混乱が解れてきたころにはすでにメイスンは事件の全容を掴んでいるような動きを取り始める。そしてここから法廷の魔術師による一世一代の大魔術の仕込みが始まってゆく。

 この仕込みのバリエーションの多さとクオリティの高さがとにかく素晴らしく、まったく中弛みさせずに物語が進む。姑息で厭らしい舌戦ではない、正面から正論を鈍器のように固めてぶん殴る硬派なスタイルに心をぐっと掴まれたまま、緊迫の法廷シーンへと進んでいく。(もちろん、騙すという点では卑怯な手にも見えるが、堂々としすぎていて逆にカッコいい)

 ここでメイスンは、頑なに即日の結審を要求し、焦っているかのようなそぶりも見せる。周囲はメイスンが何か大魔術を行おうとしていること、その気配を感じながらも、法律という金城鉄壁の檻を前に手出しができない。このメイスン無双の爽快さ、力を力で抑え込む快感がたまらない。

 

 そして法廷で暴かれる、凶悪な犯罪と隠された真実に驚愕した矢先、もう一つの大イリュージョンが眼前に現れる。メイスンの弁護士という立場の絶妙さ、「知らない」という力の強大さ、今までの事象全てが薄氷を履むが如し危ない状況の中で進行していたという恐ろしさ、そして、そんな極限の状況下でも不敵な笑みを浮かべて法廷に立つメイスンの威風堂々とした姿に胸を撃ち抜かれる。

 なぜこんな格好良いキャラクターが今の日本で広まっていないのか。今こそ、弁護士ペリー・メイスンを読むべきだ。

 

 ひとつ残念なのは、本書(創元推理文庫版)にはペリー・メイスンもののお約束でもある、次作の予告がばっさりカットされている点。『義眼殺人事件』を読んでいないので、「まったくの同文」がどういう意味かは理解できないが、重複を避けるメリット以上にメイスンものの雰囲気を保つためには、次作紹介は削ってほしくない。本書は他にも早川書房や新潮文庫でも出版されているようなので、そちらも確認したい。

では!

 ネタバレを飛ばす

 

 今回は推理過程はお休み。

 シンプルにメイスンのこそこそとした捜査にワクワクしすぎてしまって、推理どころじゃなかった。

 一応記憶の補完のため、真相だけ記録しておく。

以下超ネタバレ

 

 真犯人はなんと容疑者その人。つまり、メイスンは自身の依頼人が犯人であるにも関わらず、無罪判決を勝ち取ってしまったのだ。しかも意図的に。

 今まではてっきり、メイスンは自身の依頼人が無罪だと確信しなければ弁護を引き受けない弁護士だと思っていたが、今回は、その掟を破ってしまったらしい。ただ、メイスンは彼女の偽りの証言を追求しなかっただけ。

わかりました。一応、そういうことにしておきましょう。では、あなたは真実を話していると。頁176

が意味深長に聞こえる。

 あと、もちろん裁判の主旨はクリントン・フォリー殺害事件なのだが、号外(新聞記者のピート・ドーカス)という隠し玉を利用して、いつの間にかアーサ/ポーラ・カートライト殺害事件にそれとなく誘導しているのも巧妙。この点においては、メイスンのセルマ・ベントン追及は的を得ており、確かに正義の執行には一役買っている。