『フレンチ警部と毒蛇の謎』F.W.クロフツ【感想】倒叙のようで倒叙でない

ANTIDOTE TO VENOM

1938年発表 フレンチ警部18 霜島義明訳 創元推理文庫発行

前作『シグニット号の死

次作『フレンチ警部と多忙な休暇』

 

 

 三大倒叙の一つと呼ばれる『クロイドン発12時30分』を生み出して以降、クロフツの倒叙に対する興味はしばらく色褪せなかったようで、その後も数作の倒叙作品を発表しているが、本作もそのひとつ。

 

 主人公ジョージ・サリッジは動物園の園長を務めている。仕事には誇りを持ち、同僚からの信頼も厚い彼にもただ一つ不満があった。しかしそんなある日、ジョージはナンシーという女性と運命的な出会いを果たす。そして、これがジョージの破滅の始まりだった。

 

 倒叙によくある形というのは、犯人は自身の境遇を恨んで、短絡的な思考で犯罪に手を染める軽蔑すべき犯罪者、というもの。もちろんジョージも例外ではなく、利己的な考えに囚われ犯罪に加担していくのだが、悪の道に踏み入れるまでの葛藤や外的要因が丁寧に描かれているので、心から憎めないのが興味深いところ。特に動機はまだしも、決定的な外因については、ジョージに同情すら覚える。

 

 また本書はただの倒叙ではない。本書の序文で作者クロフツがこんなことを書いている。

本書は二つの実験を行っている。第一に、通常の叙述と倒叙を組み合わせた探偵小説の成立を試み、第二に、犯罪の前向きな描写を目論んだ。

 

 通常の倒叙の中に叙述の謎を巡らせた作品だと、バークローの傑作『試行錯誤(トライアル&エラー)』があるが、あちらは、徹底的に倒叙らしさを隠そうとしているのに対し、本書は倒叙でありながら、決定的なシーンをあえて省略することで、通常の叙述ミステリの楽しみ方もできるようになっている。

 倒叙と通常の叙述をただ単に分けるだけでなく、その形がちゃんと本書の謎に直結し、読者に推理の余地を残しているのが巧い。

 

 もう一つ「犯罪の前向きな描写」については、物語の帰結に宗教的な味付けが為されている部分だろう。ちょっと定型すぎてクサいところだが、本格ミステリではあまりみない演出のため、珍しいものが読めた、と素直に楽しむのが吉。主人公のキャラクターにもばっちり合っている。

 

 最後は、本書の骨子である毒蛇にまつわるトリック。

 真相に繋がる手がかりが後出しなのはいつもどおりのクロフツだが、固定観念にとらわれていては解けない仕様になっているのはさすが。もちろん、このトリックを使用した根拠/説得力もしっかり提示されている。ある意味犯人の気遣いというか、完全犯罪に迫る優秀なプロットであるのは間違いない。

 

 巻末の戸川安宣氏の解説も見どころが多い。オースティン・フリーマンとクロフツの共通点を挙げながら、二人のミステリへ取り組む写実的な姿勢を示している。事件のデータを徹底的に読者に開示するという点で、ロジック代表派のクイーンとは違ったアプローチでフェアプレイに挑んでいたことがよくわかる。

 

 そろそろフレンチ警部が最前面にでる作品を読みたいが、次の『多忙な休暇』も少し毛色が違う作品。なんか最近、強烈な探偵役に飢えてる気がする。

では!