『雪の狼』グレン・ミード【感想】熱い涙で雪さえ溶ける

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SNOW WOLF

1995年発表 戸田裕之訳 二見書房発行

 

 またとんでもない冒険小説を読んでしまった。できることなら何も余計なことなど言わずにオススメしたい

 

 そもそも冒険小説をあまり読んだ経験がないので、本書の帯に書かれている、フレデリック・フォーサイスジャック・ヒギンズといったスパイ/冒険小説の大家との比較ができないのだが、比べるまでもなく後世に伝えるべき傑作だと感じた。

 

 物語は雨に濡れたロシアの墓地で始まる。男は、かつてCIAで働いていたという父の”二度目の”葬儀を行おうとしていた。それは、ずっと自殺だと思っていた父の死の疑念が、たった一通の手紙で膨れ上がった結果だった。そして、大国の支配者たちをも巻きこみ、ようやく明かされる、40年以上も昔、父が従事していたという作戦≪スノウ・ウルフ≫の全て。冷戦真っただ中の1953年、極寒のソヴィエトで身命を賭して戦った人々の勇姿がそこにあった。

 

 もうあらすじもこれくらいにして、すぐに手に取ってみて欲しい。

 冊数は上下巻2冊なのでボリュームは多いが、紙面から迸る熱情、疾走感は半端がない。作中での彼らの作戦行動期間は二カ月弱だが、その迫力と興奮の筆致のおかげで時間は光速で過ぎ去ってしまう。

 

 冷戦時代におけるソ連の恐怖政治の状況というのは、インターネットに氾濫している切り取られた情報だけを読んでいてもなにも感じられない。もちろん本作はあくまでもフィクションで、創作上のアレンジが多数加えられているには違いない。しかし、リアリティに溢れた物語を通して初めて、悲劇的な独裁政権の末路や、そこで懸命に生きた人間の姿がより一層色濃く浮かび上がる。虚実を織り交ぜた物語の中に、忘れてはならない真実が潜んでいるような気がしてならない。

 

 また、本作は、登場人物一人ひとりの造形が素晴らしい。人と思えない独裁者のもとでも、人間のあるべき姿を保とうと命を賭けて戦った彼らの英姿が今でも脳裏にこびり付いている。

 読み終えた今感じるのは、悪に対する徹底的な怒り(SNS等で誰彼かまわず傲慢に振りかざす鉄槌のようなものではない)、正義という概念の危うさと正しさの重要性だった。正せる者が正さなければならない。わかってはいても、行動に移すことは難しく、行動に起こしたとしてもそれは正義ではないのかもしれない。歴史的に見て「正義」だった行動も、立場/見方/時代が変われば「悪」にもなりうる。それでも、彼らの作戦行動は正しかったのだと今は思う。そして、この価値観が普遍的なものであり続けるようにとそう願う。

 

 最後に一つ、本作にはミステリ的な仕掛け、サプライズが仕掛けられている。もちろん時代背景に沿った「ありうる」サプライズになっている点は素晴らしいと思う。一方で、本書で最初に提示されていた謎の解決はやや肩透かしで、がっかりしないでもない。とはいえ、そんな死の無常さ、あっけなさも現実だと思う。いくら死に意味などないにしても、そこに意味を見出せるのが生者の特権なのだろう。

では。