1895~1905年発表 阿部知二訳 創元推理文庫発行
本書は、「SF小説の父」とも呼ばれるハーバード・ジョージ・ウェルズによる傑作中編・短編をまとめた日本独自(創元推理文庫)編纂の短編集です。本書には『タイム・マシン』を始めとする6の中短編が、『ウェルズSF傑作集2』には12の短編が収められています。
先に総評だけ述べておくと、「SF小説の父」という評も納得できるのですが、SF以外の要素、たとえばミステリ的な仕掛けだったり、人権思想に鋭く切り込んだりと、社会活動家や政治家としても活躍したウェルズの別の面も堪能できる1冊でした。
各話感想
『塀についたドア』(1906)The Door in the Wall
不可思議な花園に通じる魅惑のドアを巡る数奇な物語。冒頭から不穏な空気が漂っていながら、どこかノスタルジックで憧憬の念さえ起こさせる作品です。自分も子ども時代にいつもと違う通学路で帰ったとき、ふいに迷い込んだ路地裏など妙に記憶に残っている場所があるので、自分の記憶世界にすっと入り込んできて強制リンクしてくる作品でもありました。
ぞっとする結末も魅力なのですが、半ば強引にミステリとして眺めた時に特殊な殺人としても読める深さもあるのではないかと思います。独特の死生観や宗教観という要素を抜きにすると、リドルストーリーにも見える構成も印象的です。
『奇跡をおこせる男』(1898)The Man Who Could Work Miracles
男が奇跡をおこす様子はかなりハチャメチャで、論理性もなく、着地が心配される序盤~中盤ですが、物語の転換に用いられた要素が紛れもないSFな点と、特異なオチが巧く組み合わさっていて、こちらも鮮烈な印象を残す一編です。
特にオチに関しては、このテのSFの始祖なのかもしれないと思わせる要素なので、ぜひ体験してほしいところ。1898年に本作が発表されていた、という事実は押さえておいた方がよいかもしれません。
『ダイヤモンド製造業者』(1894)The Diamond Maker
現代では一般的となった人工(合成)ダイヤモンドをネタにしたお話し。それだけっちゃあそれだけなんですけどね……。
作中でも簡単に紹介されてはいるのですが、少しだけ合成ダイヤモンドの歴史を調べてみました。有名なのは、フッ素(歯磨き粉等に利用)の単体での分離に成功しノーベル賞を受賞したフランスの科学者アンリ・モアッサン。彼は研究の過程で超高温の電気炉を発明し、それを用いて合成ダイヤモンドの研究を始めました。結果見つかったものは、ルビーやサファイアよりも硬く、燃やすと二酸化炭素が出る白い物体、すなわち(炭素である)ダイヤモンド!?となったのですが、今ではそれはカーボランダム(別名「モアッサン石」)という化合物だったと言われています。では、彼の研究が失敗だったかというとそうではなく、現在の製造法でもカーボンを含む様々な触媒を用い処理することで合成ダイヤモンドができるので、間違いなく彼の研究がヒントになったことが分かります。
ただ、最初の合成ダイヤモンドの発明自体はモアッサンではなくイギリスの科学者ハネーという人だったとされています。時は1980年ごろ、ハネーは鉄管に様々な触媒を詰め、高温高圧で処理することでダイヤモンドを生じさせようとする実験を開始しました。しかし、その実験は危険極まりなく、高圧による炉の爆発が絶えなかったといいます。
コレ、まんま本作ですよね。なので本作は、上記のハネー氏の伝記的作品なのかもしれません。今でも彼の生涯や学者としての功績は全く不明ですし、膨大な費用と時間といった犠牲無くして危険な実験は継続できなかったという設定もたぶん同じだったでしょう。
参照:崎川範行著『合成宝石の魅力』
『イーピヨルニスの島』(1894)Aepyornis Island
17世紀に絶滅したといわれるマダガスカルの固有種、巨大鳥エピオルニスを題材にした一作。ダチョウに似た飛べない鳥で、全長は3m超、卵の大きさも平均的な鳥の卵のなんと100倍という規格外の存在でした。
2013年にオークションでかけられたエピオルニスの完全な卵は約1000万円で落札されたそうです。
物語の中身のほうが薄いので、蘊蓄ばっかりになってしまいますが、怪鳥エピオルニスとの共同生活(冒険)物語としてはそれなりに面白く、エピオルニス絶滅の遠因の一端を垣間見るような皮肉な結末とオチも見どころではあります。
『水晶の卵』(1897)The Crystal Egg
ウェルズによる傑作SF長編『宇宙戦争』の前日譚として(知らずに読んだけど)絶対に見逃せない作品です。『宇宙戦争』は映画版しか見たことがないので、イマイチ雰囲気を掴めませんでしたが、本作はかなりファンタジー寄りというか、幻想的な作品に仕上がっているように思えました。
摩訶不思議な「水晶の卵」を頑なに手放さない骨董屋店主のキャラクターは、作者ウェルズの経歴(個人店での奉公や教師)ともリンクするので、SFファンならずともウェルズ作品を読む際には押さえておきたい作品なのかもしれません。
『タイム・マシン』(1895)The Time Machine
H.G.ウェルズの代表作。「時間旅行」をテーマに描かれた最初期の小説として必読の書です。しかし、白眉のSF要素以外にも見どころは多く、作者の鋭い先見性を感じられサプライズもある未来世界、「人間性」をテーマにした絶望の中に希望を見出す美しいプロットも魅力。
多少政治色とか人権思想的な部分が強く出ている気もしますが、ロマンあふれる未来世界の描写と相対するようなグロテスクさ、哀愁漂うオチが見事なので、SF好きでなくとも呼んでほしい傑作中編です。
おわりに
感想外のところで盛り上がった気もしないでもないですが、SFものって、作品を楽しむだけでなく、そこに登場する様々な現象や小道具、モチーフとなった背景や題材そのものへの興味が増進させる効果があるのではないかと感じました。
本書でいえば、合成ダイヤモンドの歴史やエピオルニスの生態など、本書が新たな興味や知識欲の扉を開くきっかけになりました。
そういった意味において、SFにはミステリにない旨味が存在しているので、これからも定期的に摂取しようと思っています。
次はフレドリック・ブラウンあたりに手を伸ばしてみようと思うのですが、いかがでしょうか?創元推理文庫から新訳で全集が出ているので、ちょうどいいかなあ、と。
では!