落とし物をした、というか落とし物をしてた

今日お昼にクレジットカード会社から連絡があって、クレジットカードが警察署に届いた、と連絡があった。はて?全く身に覚えがないぞ。それもそのはず、落したことすら気づいておらずすでに2日も経っていた。

 

 

既にカードの利用は停止されていて、警察に確認したところ、中身約5,000円も無事だった。さっそく仕事を中抜けして受け取りに警察署に向かった。着いてからものの10分で財布は手元に戻り、担当者から状況の説明を受ける。届け出主は男性。個人情報を出すのが嫌なので、連絡先等は教えないで欲しい、とのこと。謝礼等も要らない、と申し出があったらしい。本当に有難い。改めて日本は良い国だ、と思った。

 

 

半年前のこと、嫁が仕事から帰宅してすぐさま「どうしよう」と言ってきた。どうも帰り道で財布を拾ったらしい。見るとパンパンに膨らんだ革製の長財布だった。二人の目が合い、一瞬の沈黙。

 

「いやいや」

 

どうしよう、じゃない警察に届けるんだ。ないないしたくなる気持ちは十分理解できる(それはそれで問題だが)。※もちろん嫁だって本気で盗ろうと思っていたわけじゃ絶対にない。絶対に。ない。

 

ただ、善い行いというのは巡り巡って自分へと返ってくる、いわゆる善因善果を信じている。

人間は誰しも「良心」というものをもっていて、道徳的に善い行いをしたい、と思う自然な働きが誰の心の中にもある(と信じている)。

しかし、ふとしたことが切欠で良心は脆く崩れ「誰も見ていなければ大丈夫だろう」と気軽に罪に手を染めてしまう。自分にだってあるし、過去にはもっとあったし、もしかすると、これからもあるだろう。そんな時、善因善果の考えは、善い行いをサポートして促進してくれる増進剤になってくれるはずだ。別に科学的根拠もないし、ただの迷信かもしれないが、子どもにも、善い行いを自ら進んで行える人間になってほしい。

 

 

今考えると対処法としては誤ったものだったと思うのだが、嫁は財布を開いて連絡先がわかるものがないか見ようとしたらしい。そして、そこで見たものは落とし主が家族と撮ったであろう写真だった(俺も見た)。たぶんフィリピンかベトナム人であろうその落とし主が、愛する娘との生活の一コマ切り取った幸せな一枚だった。すぐに家族3人で近くの交番に財布を届けに行った。

 

 

交番には既に先客がおり、お互いに目が合った(向こうがこちらの手にある財布に目を移した)瞬間、話は全て終わった。顔面蒼白だった彼の顔は生気を取り戻し

「Oh~アリガトウゴザイマス、アリガトウゴザイマス」

と何度も何度も頭を下げて礼を言った。交番の人もめんどくさかったのか、届け出の類を省略しても良いか確認され、双方が了解すると直ぐに財布は元の持ち主の手に戻った。彼は、財布を開き

「日本ニ仕事にキテル。コレ私ノ大切ナモノ。」と言って、あの仲睦まじい姿を捉えた写真…ではなく、結婚指輪を取り出した。

 

「これ失クスト(嫁に)怒ラレル」

 

 

交番からの帰り道、嫁と「善いことしてよかったな。いつか自分にも良い結果が巡り巡ってくるかもね」みたいな話をしたけど、すぐに

「外国の文化ってわからんけど、結婚指輪外してるって怪しくね?」

みたいな話に変わってそっちの方が盛り上がった。

 

 

財布は落とさないように気をつけよう。あと財布に指輪も入れちゃダメ。

では!