一冊で二度おいしい短編集【感想】アガサ・クリスティ『パーカー・パイン登場』

発表年:1932~1934年

作者:アガサ・クリスティ

シリーズ:パーカー・パイン


うんこれは良いな~ほんと良いです。

クリスティの短編集は、『リスタデール卿の謎』『死の猟犬』『謎のクィン氏』とちょっとオフホワイト(笑)な作品も含まれる短編集を読んできたので、本作を読んで完全に心が浄化されました。

本作だって殺人事件が起こったり、決して清涼飲料水くらい清々しいわけじゃないんですが、どの作品もしっかりオチが利いて、スパッと解決してくれるおかげで爽快感は十分です。

 

また前後半で作品のテイストが少し変わるのも魅力。中にはクリスティの某名作のトライアルのような作品もあって、クリスティファンとしても是非読んでおきたい短編集です。

 


まずさっと主人公パーカー・パイン氏について紹介しておきましょう。

彼は統計に関する仕事を35年務めた経歴を生かし、不幸という一種の病根を分類して、分類ごとに適した処方を行うことで依頼人を幸福にする、というなんとも眉唾ものの仕事をしています。とはいえ依頼人は誰もが不幸を抱えにっちもさっちもいかなくなった人ばかり。彼らは半信半疑ながらパーカー・パイン氏に依頼を持ちかけます。

 


中年婦人の事件』『退屈している軍人の事件』『困りはてた夫人の事件』『不満な夫の事件』『サラリーマンの事件』『大金持ちの夫人の事件


以上の6話は全て事務所のあるロンドンを舞台に、ただただ依頼人の依頼をパーカー・パイン氏が解決してゆくという流れです。

 

パーカー・パイン氏が、と言っても、彼一人で解決するわけではありません。諸々の手配をするのは秘書のミス・レモン、そして彼らの人生のカンフル剤として投入されるのは、かつては札付きのジゴロ(プロのヒモ)だったクロード・ラトレル、そして妖艶な美女マドレーヌ・ド・サラです。

この二人がまた良い味を出しているんですよね~。如何わしい役を担うとはいえ、その道のプロフェッショナルとして完璧に仕事を完遂してくれます。中には完璧すぎる弊害もあって、それが時には話を複雑化してしまうのも、さすがクリスティと唸らされます。

 

ただ、題材が「不幸を幸福に変える方法」ですから、多少お伽噺的な非現実感はありますが、それでも物語の面白さとしては一級品です。

中でも『困りはてた夫人の事件』は、パーカー・パイン氏という設定が巧く活きており、ミステリホリックたちを満足させる、良い短編ミステリになっていると思います。


また、各短編が対を成すかのような構成も素晴らしいです。

例えば、『中年~』と『不満~』、そして『退屈~』と『大金~』でしょうか。

登場人物たちは誰もが、まるでクリスティの他の長編群から飛び出してきたかのような人物ばかり。そんな普段は端役を演じている彼らが、各短編では各々主役を張って素晴らしい物語を紡ぎ出しています。

 


あなたは欲しいものを全て手に入れましたか?

タイトルだけ見ると、幕間劇のような、なんの事件性のもない挿話だと思いがちですが、しっかり今までの流れに沿ったパイン譚になっています。

本編では、パイン氏は事務所を飛び出して、トルコ・イスタンブール行の列車に乗っており、同乗したある夫人から相談を持ちかけられます。

本編以降の短編は、全てパーカー・パイン氏の中東旅行中のお話となっており、今までの6作とはガラリと様相を変えます

本編のミステリとしての出来は、良くもなく悪くもなく…と微妙な感じなのですが、短編集の中では一番クリスティ本人を感じる一作です。

 

特に終盤のパーカー・パイン氏の助言なんかを見ていると「クリスティの結婚生活は本当に幸せなのかな?」と疑ってしまうほど。自分が旦那でこの短編を読んだら、絶対にすぐさま夫婦で話し合います。

 


バグダッドの門

本編では、パーカー・パイン氏はシリアのダマスカスにいます。当時はまだシリアの完全な独立は認められておらず(たぶんフランス領?)、現在進行形で今なお民族や国家同士の戦いの最中にある古代都市です。

そんなダマスカスから400マイル先のバグダッド(イラク)へ向かう道中で、パーカー・パイン氏は不可思議な事件に遭遇します。

 

中東を舞台にしたクリスティ中期の長編作品群と同じように、中東の暑苦しく砂だらけで過酷な情景描写が見事に表現されているので、それだけでも魅力としては十分なのですが、ミステリとしても充実しています。

犯人の機転を利かせたトリックも豊富で水準以上と言って良いでしょう。

まあ探偵役がパーカー・パイン氏でなければいけない、という必然性は皆無なのですが、この試行は本作以降に発表される傑作長編たちに活かされるわけで、あんまり深く考えないで読むのをオススメします。

 


シーラーズにある家

シーラーズとは、シリアの都市の名前で、パイン氏はバグダッドから飛行機でシーラーズへやってきました。

まずシーラーズという都市を見たパイン氏の感想がステキです。

飛行機は、あいだに狭い荒涼とした谷のある山岳地帯の上を飛んでいた。何もかも乾き切って、カラカラの荒れ地だった。すると突然、シーラーズが視野の中へ飛び込んできた ― それは、荒地の真ん中にあるエメラルド・グリーンの宝石だった。

たまりませんなあ。

 

今ではほとんど触れること不可能に近い国ですが、こうやってかつての美観だとはいえ、まっすぐ簡潔明瞭な言葉で美しさが表現されているのを見ると、嬉しくもあり悲しくもあり、複雑な気持ちになります。

 

肝心の中身は、頭が狂った英国人女性が住む屋敷にパイン氏が興味を示すところから展開します。

パイン氏自らいつもの新聞広告の切り抜きをもって彼女に会いに行くのですが…

彼らしさは十分出ているのですがトリックの方はちょっと見飽きたかなぁという感じ(もちろんミステリ初心者の方にはオススメです)。

それでも読ませるのは、先述の素晴らしい情景描写と異国の地でひっそりと暮らす英国人女性の細やかな心情描写のおかげです。

 


高価な真珠

舞台はヨルダンの古代都市ペトラです。

ペトラと言えばクリスティファンならすぐに女史の某長編を思い出すでしょう。

ここで再び本編の中の一文を抜粋します。

この“バラのように赤い”町は、疑いもなく<自然>が最もぜいたくで華やかな気分のときに、気まぐれで創りだしたもののようだった。

涎出ますね。

 

色々な国の叙景を楽しめる短編ミステリと言えばT.S.ストリブリングの『カリブ諸島の秘密』がオススメでしたが、こちらもぐぐんと評価が上がりました。

 

本編の中心はタイトルでも予想できるように『高価な真珠』の紛失を巡った事件になります。

ここで注目したいのは、統計から推理するいつものパイン氏ではなく、心理学についても一家言もつパイン氏の博学ぶりでしょうか。そしてその発言は、そのまんま本編の謎にも直結して見事事件を解決に導きます。

 


ナイル河の殺人

こちらもクリスティファンならニヤリとするでしょう。

少し驚かされたのは、こちらの原題はDeath on the Nile、あちらはDeath on the Nile

まったく同じ!

同じ名前で長編と短編をかき分けてしまうとは…よっぽどナイル河がクリスティにとっては魅力的な場所だったんでしょう。

 

事件の中身やトリックには、某作と似通った部分はほとんどないのですが、登場人物たちの動きにはなぞる部分があるので、見比べてみるのも面白いかもしれません。

また、謎の中には、ダイイングメッセージ的な趣もあるので、傑作長編だけでなくこちらにも楽しめる要素はしっかり備わっています。

 


デルファイの神託

ザ・短編って感じの作品がトリを務めます。

パーカー・パイン氏のような特殊な探偵が活躍する短編には、けっこう同じようなプロットを辿る短編が多いような気がします。そういえばピーター・ウィムジィ卿ものにもあったな…

 

なので、読む人によっては多少物足りないと感じる方もいらっしゃるとは思います。さらに、そのメイントリックぐらいしか見どころが無いのが正直なところなんですよね。

 

ただ、そのトリックの用い方は作者の腕次第なので、ドロシー・L・セイヤーズとアガサ・クリスティの、物語への組み込み方の違いなんかを見てみると楽しめないことはありません。

 

 

 

おわりに

たしかにパーカー・パイン氏は、クリスティの創造した探偵たちの中にあって、そこまで強い存在感を放ってはいません。

 

見方によっては、本書の解説で小熊文彦氏が述べられているように

残念ながら、クリスティーはこの趣向(前半6作品のこと)をうまく定着させることができず

というのも頷けます。

ただですね。少なくとも“できなかった”のではないんじゃないかな、とは思います。というか思いたいです。

 

たしかに「不幸を幸福にする」という特殊な仕事という設定は抜群に面白いし、クリスティの物語を生み出す天才的な手腕が発揮されているのは前半なのですが、後半は後半で本格っぽさもあって旅行物の雰囲気に満ちていて、ミステリ作家としてのクリスティらしさを感じるのは、どちらかというと後半なんですよね。

 

さらに、中東旅行を経て、究極に作者の執筆意欲が高まった結果生まれたのが後半という気がします。

なので、前半・後半どちらが好きだ、という読み方ではなくて、デミグラスとホワイトソースがかかったオムライスのような、CoCo壱とインド人が作る本格グリーンカレーみたいな、一冊で二度おいしいお得な短編として読めば、そりゃあ楽しい読書体験になると思うのです。

 

では!