発表年:1938年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:エルキュール・ポワロ17
「思いきり兇暴な殺人を」
というリクエストを受けて作られた本作は、その期待に応えるだけの力作にはなっています。多少ハリボテ感がしないでもないですが…
まずは粗あらすじ
クリスマスを迎えるにあたり、老シメオンによってリー家の面々が集められた。クリスマスにお誂え向きの団欒とした雰囲気からは程遠い重苦しい空気を切り裂いたのは、ぞっとするような甲高い絶叫だった。目を覆いたくなるような惨劇の前に、名探偵ポワロが立ちあがる。
「あなたの作品は洗練され過ぎている」
これがクリスティの義理の兄の前向きな批評でした。もっと血腥い、もっと兇暴な殺人を、という注文を受けてクリスティはどのように感じたのでしょうか。個人的に思うのは、彼女は心の中でふふん、と笑ったのではないか、ということ。
正直、クリスティの作品群には、目に見えて残酷だったり、凶暴性が全面に押し出た殺人は少ない。殺人が少ない、というよりかは、殺人の描写が少ない、というのが正解でしょうか。
なので、表面化した暴は少なくとも、犯人の内面からにじみ出る残虐性は、そこらの作品より頭一つ飛抜けている印象があるし、少なくとも洗練の本来意味するような優雅で高尚な作品だ、という印象はあまり強くありません。
クリスティが「お望みとあらば書いてみせましょう」と意気込んだかは不明ですが、本作を難なくさらりと書き上げたんじゃないだろか、とは想像できます。
雰囲気作りのために、騒々しい格闘音・甲高い絶叫・夥しい流血という簡単な要素を揃えるだけで、他に凝った演出はなされていません。むしろ、「兇暴な殺人」はパフォーマンスで、その実は、人間関係や血の繋がりが裏テーマのいつも通りのクリスティ作品なのではないでしょうか。
とはいえ、ポワロシリーズの中でも一、二を争う結末のサプライズは素晴らしく、お決まりのクリスティ劇場開幕ということは決してありません。さらにその驚愕のサプライズへ辿りつくまでに配された手がかりが秀逸で、何気ない台詞やなんでもない物証だけではなく、「人」そのものが謎を解くヒントになっているのが珍しいと思います。
登場人物にも趣向が凝らされた配役がなされており、横筋にもミステリにしっかり絡んできます。
また、改めて思うのですが、クリスティは悪人の書き方も素晴らしいと思いました。
例えば『ナイルに死す』のリネットや『死との約束』のボイントン夫人、そして本作のシメオンなどを見て思うのですが、自分では悪だと気づいていない人物が最も悪人だと感じます。
そんな人物の描写力と、そんな純粋悪でさえ死によって一瞬で一掃される無常感、そして悪を殺人によって葬り去るもう一つのドス黒い悪との対立、正当化されそうな殺人に対するポワロの妥協しない姿勢、それらが程よくブレンドされ、本作は出来上がっています。
クリスマスに対するポワロの考え方も一読の価値があり、なぜポワロシリーズの中でもそこまで有名じゃない(ねこ調べ)のか不思議な作品です。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
まず冒頭から、別々の目的と計画を胸にゴーストン館を目指す二人の男女に惹かれる。そしてスティーヴン、ピラール二人のロマンスもほんのり香ってくる。
もしゴーストン館で殺人が起こっても二人の目的は違う、そんな雰囲気を感じる。
一部・二部でリー家の面々が紹介され、特に主人のシメオンの異質なキャラクターが随所に現われている。
そして三部に入り、悲劇的な演出方法でシメオンが死んだ。家族全員に動機があるように思えるが、どうも事件現場の贋物感が凄い。ただ単にクリスティが下手くそなだけかそれとも…
力の弱い老人との格闘という状況から犯人は女性でいいと思う。となると、リディア、マグダリーン、ヒルダの3人が候補になる。動機は全員が持っており、怪しい言動も多いため絞るのが難しい。
リディアはもちろん正当な権利としてお金を求めているだろうし、父を尊敬しているアルフレッドに吐露しているように嫉妬(≒憎悪)も関係しているかもしれない。
マグダリーンはもちろんお金がメインだろうが、自身の過去の発覚という弱みもシメオンに握られているようだ。
一方ヒルダはお金という動機があまり当てはまらなさそうに思える。それよりも夫デヴィッドの心を解放するための殺人の方が考えられる。
人間性から推理するとマグダリーンはいくらか頭の巡りが悪いように思え、計画的な殺人には向いていない。リディアが犯人なら、盗まれたダイヤモンドを自分の箱庭に隠すだろうか?やはりありえない。他の容疑者候補に持たせた方が捜査を攪乱できる。ヒルダが犯人なら十中八九デヴィッドも共犯になるが、デヴィッドがシメオンを殺すのにあんなに格闘するほど手間取るだろうか。
ん?やはり格闘したと見せかけるため=犯人は女性だと思わせるのが目的なのか。
となると俄然怪しく見えるのはアルフレッドとハリーの仲だ。あきらかに敵対している描写が多かったが、実のところはどうなのか?二人は嫌いあっていながらも、互いにアリバイを補完し合っているし、初めてアルフレッドとハリーが対面したときの二人の空気には憎しみよりも探り合いの雰囲気が漂っている。二人の諍いも実際の犯行も、二人が助け合っていると考えれば全て辻褄があう。役割も計画のアルフレッドと実行のハリーと考えれば、人間性にも符合する。間違いない。
推理予想
アルフレッド&ハリー・リー
結果
惨敗
ええーーーーー…正直どんな思考でこの推理ができるのか全くわからないくらい力技な気もしますが、どうも読後感は悪くありません。むしろ爽快に近い。
もしカーが書いたら、絵画から滴る血とか血色の雪などの怪奇現象でゴテゴテに彩られていたんだろうな、と想像できるのですが、クリスティだと全くおどろおどろしくないのも好きです。
あくまで善意を中心としたクリスマスらしさが前面にでていますが、そこに潜む(巣食う)悪意にもまたクリスティらしさが反映されています。是非クリスマス前に読んで平和で安心な我が家のありがたさを実感してほしい一作です。
では!