毎回読んだ海外ミステリには得点をつけて、順位を出している。誰かにおススメの作品を紹介する時(滅多にないが)の指標にもなるし、自分の記憶も強固にできる。さらに順位をつける作業自体が楽しい。マイ・ベストテンみたいな記事を書く際の参考にもなる。
たまーに100位と80位の違いはなんだろう?と自問自答するときもあるが、100位と99位の違いはしっかり答えられるし、99位と98位の差も言うことができる。そうやって順番に眺めてゆくと、作品の優劣をある程度客観的かつ論理的に説明できるようにもなってくる。また、作品一つひとつと真摯に向き合う良いきっかけにもなっていると思う。
ランキングを見ていて、ベスト10は滅多に動くことがないのだが、20くらいになると入れ替わりが多くなる。それだけに自分の感想を見返したり、採点に誤りがないかチェックする機会が多いのだが、ワースト10はほとんど見ないことに気付いた。
そこで、今日は海外ミステリワースト10から、どんなミステリが悪いミステリなのか考えてみたい。
まずはワースト10の紹介を
アガサ・クリスティ『ビッグ4』
イーデン・フィルポッツ『灰色の部屋』
F.W.クロフツ『製材所の秘密』
ロナルド・A・ノックス『陸橋殺人事件』
ハリントン・ヘクスト(イーデン・フィルポッツ)『テンプラー家の惨劇』
A.E.W.メイスン『薔薇荘にて』
S・S・ヴァン=ダイン『ベンスン殺人事件』
ヘンリー・ウェイド『塩沢地の霧』
アガサ・クリスティ『秘密機関』
ダーウィン・L・ティーレット『おしゃべり雀の殺人』
ちらほらスパイものや冒険小説も交じっている気がするがそこはご了承いただこう。また、ワーストといってもまるっきり駄作というわけではない。悪いところが目立つ(目立ちすぎる)ミステリと思っていただければいい。
悪しきミステリの要因①
プロットがぐちゃぐちゃ
これはクリスティの『ビッグ4』に見られる現象だ。百歩譲って、作者の精神状態とか出版の経緯を考慮したとしても、物語の構成がぐちゃぐちゃでは、どんな謎も解決も意味がない。逆にプロットが壊れているミステリに出会う機会自体、ほとんどないとは思うのだが…
一つフォローしておくと、テレビドラマ版『名探偵ポワロ』シリーズの『ビッグ4』回はまさに傑作。原作を読んでから(順番を間違ってはダメ)ドラマ版を見ることをオススメする。
悪しきミステリの要因②
解決がめちゃくちゃ
謎の提起は良い。でも、なんだその解決は。そう思わされる作品がある。細かくどの作品がそんな作品が言ってしまうと未読の方の意欲を削いでしまうかもしれないので、敢えて明かさないが、結末部の論理的・整合性の破たんが見られる作品は、悪いミステリなのではないかと思う。
悪しきミステリの要因③
謎がうやむや
事件自体には臨場感があって描写力も高い。でも謎が謎めいていない。そんな作品もある。え?それってもう解決しているよね?謎の提起からほとんどページを経過せずに、既に答えがミエミエ。これでは読者の意欲を保持するのはかなり難しい。
悪しきミステリの要因④
フェアプレイがぐだぐだ
決定的にアンフェアな記述。これがあれば、どんな魅力的な謎でも、素晴らしいサプライズでも、秀逸な手がかりが配置されていても、手に汗握るサスペンスがあっても、心ときめくロマンスがあっても、作品の評価はどん底に落ちる。一度浮気が発覚したら、二度と信用できない、そんな感じ。
悪しきミステリの要因⑤
登場人物にイライラ
もちろん好みの問題が多少あったとしても、全く感情移入できない、ぺらんぺらんのキャラクターがいれば、読む気力が失せてゆく。特異なキャラクターを作ればいいわけではない。ありきたりでもいいと思うのだ。
例えば、クリスティに登場するキャラクターは誰もが似たような造形をされているとはいえ、彼らの台詞ひとつひとつからは妙に生気が溢れている。一種のスターシステムだと考えれば、ありきたりなキャラクターでも演じる役割は様々だと思わされる。ここに納得させるだけの文章力が伴ってるかどうかでミステリの評価はガラリと変わる。
悪しき?ミステリの要因⑥
好み
ここまで来てコレを言っちゃあおしまいな気もするが、どうしても好みはがっつり影響してしまう。ただ、好みは変えられるとも思うのだ。なぜか。
例えば、ワースト10の中で好みで評価が低くなっている作品は『陸橋殺人事件』と『ベンスン殺人事件』どちらも古典ミステリの代表作であるにも関わらず、個人的にはあまり好きな作品じゃない。ただ、実はどちらの作品に対しても、自分自身の無知さが影響を与えていることに最近気づいたのだ。
『陸橋殺人事件』については、勝手に古典的名作だと思い込んで読んだ節もあって、パロディやアンチ要素があったり、矛盾した歪な美しさ、みたいなものが秘められていることを知らないゆえに、評価が低くなっている気がする。
『ベンスン殺人事件』に関しても、ファイロ・ヴァンスという探偵のキャラクターの奥深さや、一見欠点にも思える薀蓄披瀝の悪癖に対する違った見方を、他者の感想記事等で見ることができたので、今ではガラリと印象が変わっている。たぶんもう一度読めば、評価は格段に上がるのではないか。
好みはたしかに作品の善し悪しを判断する重要な材料だとは思う。ただし、好みは自分の無知さ、固定観念、判断材料の有無などの要因によって変わることも信じているし、理由もなくただ好きとか嫌いとか言ってるうちは、まだまだ作品に対して正しい視点で向き合えていないなかもしれない。これは少し反省しなきゃいけない。
まとめ
悪しきミステリの要因を冷静に考えることで、良いミステリとは、という点でも頭の整理ができたし、なにより、自分の知識が蓄積され、考え方や好みが変わっていくことで成長していると感じることができて少し嬉しい。できれば、一度読んだ作品を読み返す作業をしてみる時間もとってみたい。
では。