ミステリじゃない

   はたして、この世にミステリではない作品はあるのか。

 

 

   考えれば考える程、謎の無い物語はないのではないかと思えてきた。

   どんな本を今まで読んできたのか、自分の稚拙な読書体験を思い返してみると、一番古い読書の記憶は小学生の頃だった。

   あれは、少年が出てきたと思う。そして怪人、明智なる人物。そう国内ミステリの祖、江戸川乱歩による『少年探偵団』シリーズだ。今となっては、ほとんどストーリーは覚えていないが、小学校を卒業する6年間で全作読み終えたことだけは覚えている。やはり年齢に関係なくミステリは浸透している、ということだろうか。

   中学生の頃はどうだったか。中学校の3年間で一番ハマった本と言えば、J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズだ。第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』は、東京に住む叔父から誕生日プレゼントとしてもらったもので、ものすごく大切に読書したことをはっきりと覚えている。あのプレゼントがなければ、イギリス文化との触れ合いはもっと遅かっただろうし、海外文学というジャンルとの出会いももっと先になっただろう。そして、『ハリー・ポッター』シリーズ全体を通してみてみると、全作に共通して謎とその解決、つまりはミステリ要素が随所に散りばめられていることにも気づく。

   そして高校生になり、国内の作家にも出会うようになった。東野圭吾伊坂幸太郎奥田英朗乙一、独特の世界観を持ち、決して一筋縄ではいかない謎をテーマに美しい文章を紡ぎだす天才たちの作品を貪るように読んだ。

   やはり小・中・高と、かなり密接にミステリと関わりあって生きてきたようだ。そういうことだから、現在ミステリにハマっている素地はあるのだろう。

 

   ここまで自分の読書人生を振り返ってみて、冒頭の問いかけの発色が、より一層強くなったように思える。はたして、この世にミステリでない作品はあるのか。教科書や図鑑、専門的な論文等は、たしかにミステリではないかもしれない。しかし自伝や史実をまとめた文献を含むノンフィクションは、ここでいう“作品”の中には入れないでおく。言葉足らずだが、あくまでフィクション=架空の作り話の中でミステリでない作品はあるのか。そう問いかけたい。

 

  実際に職場の後輩に問いかけてみた。

 

 

A夫「純文学は?」

私「…」

A「『舞姫』とか、『城の崎にて』は?」

私「読んだことない…」

A夫「なのに『この世に~』とか言ってんスか?」

私「ごめんなさい。」

A夫「『吾輩は猫である』も。」

私「あ、あれは猫の視点という不可思議状況の解明を主体としたれっきとしたミステリ…」

A夫「じゃない。」

 

   はたして、この世にミステリではない作品はあるのだろうか。

   答えはまだ見えない。

 

では!