安楽椅子探偵のようで安楽椅子探偵に非ず【感想】バロネス・オルツィ『隅の老人の事件簿』

発表年:1904年~

作者:バロネス・オルツィ

シリーズ:隅の老人


   本作は、シャーロック・ホームズのライバルの一人としても有名な隅の老人が登場する短編集ですが、日本で独自に編纂された短編集のため、この1冊だけではシリーズの魅力を語り尽くすことはできません。

   しかしながら、私が読んだ創元推理文庫版では第1話『フェンチャーチ街の謎』と最終話『隅の老人最後の事件』の時系列だけはしっかりと守られているので、ひとつの短編集としては読み易くなっています。

 

   たしかに後世の探偵たちに大きな影響を与えたかもしれない最終話のトリッキーな展開には目を白黒させられますが、それ以外の短編はどれも似たり寄ったりのトリックが用いられている為、マンネリ感は否めません。

   ただし、単純なトリックが使われているとはいえ、そのバリエーションは豊富で、読者に真の意図を図らせない構成には一見の価値があります。

   中でも偶然の状況を好機へと変じた『ミス・エリオット事件』や、読者の盲点を上手く突く『商船<アルテミス>号の危機』あたりは秀作です。

 

   そもそも短編と言うのは、話の短さや登場人物の少なさから犯人が見え易くなる宿命を負っています。それでも時々「おおっ」と唸らされる作品が(チラホラ)あると、全編読まずにはいられませんでした。

 

 

隅の老人、その正体

   彼の本名については一切明かされないものの、風来については作中に全て描写されています。

   「蒼ざめた」「やせこけた」風貌に「薄い色の髪」が「禿げ上がった頭頂」になでつけられ、「かすかにふるえる指」で「手にした紐の切れ端をしきりにいじくりまわし」「目をみはるような複雑な結び目をつくっている」

こわい。

   こういう痩せ形で超人的な雰囲気は、どことなくシャーロック・ホームズを彷彿とさせます。個人的には、彼がホームズの晩年の姿だと言われてもさほど驚きません。

 そういえば、モリアーティ教授が正体という評もどこかで見ましたね

   

   隅の老人は“安楽椅子探偵”のはしりだとも言われています。彼は喫茶店≪ABCショップ≫に腰を下ろし、チーズケーキとミルクを食しながら淡々と事件について解説し、一方的に真相を告げます。

   これだけ見ると、たしかに安楽椅子探偵っぽいのですが、読み進めてゆくと、彼の他の一面、例えば、朝一番に誰よりも早く検死審問に並んで傍聴し、時には関係者の写真を撮って資料を集めるなど、かなり精力的に捜査をしていることがわかってきます。

   つまり、物語開始の時点で、誰よりも多くの情報を持っているのは隅の老人自身で、ワトスン役のポリー・バートン含め、読者はただの聞き手以上の存在ではないという点はかなり興味深いです。それでは、読者は事件を紹介されているだけで全然面白くない、とお思いかもしれませんが、決して勘違いしてはいけません。

   隅の老人のプレゼン能力を疑ってはいけないのです。

   驚くほど優しく、そして細かい事件のあらましや検死審問の経緯、登場人物の描写は、ただのワトスン役には重荷と言うものでしょう。

   教師と生徒の関係を思い浮かべてみるといいかもしれません。

   数学の難しい法則や定理について、生徒が教科書に書いてある説明をただ読むのと、実際に理解し識(し)っている教師が読むのとでは、聞き手の理解度に大きな違いがあるはずです。

 

   以上の興味深い探偵としての立ち位置や犯罪に対する彼のスタンスからは、後世の老探偵を連想してしまったりもします。

  だからこそ、古典的名作としてだけではなく、推理小説ファンとして是非読んでおきたい一作です。

 

では!