学寮祭の夜【感想】ドロシー・L・セイヤーズ

発表年:1935年

作者:ドロシー・L・セイヤーズ

シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿10


ついにシリーズも佳境に入り、第10作目になりました。ここ何作か続いて膨大なページ数に圧倒されてきましたが、本作はそれらをさらに超える700P…

セイヤーズ女史は、シリーズ一の物量を持って私たち読者の記憶を司る海馬を破壊しようとしているようです。もちろん彼女の見事なストーリーテリングにかかっては、膨大なページ数もさらりと読み終えてしまうのですが…

 

まずは

粗あらすじ

母校オクスフォードの学寮祭に参加したハリエット・ヴェインに届けられた悪質ないたずら書きが全ての事件の始まりだった。次々と学内で起こる怪事件の数々に学校は混乱を極める。第三者として調査に乗り出したハリエットだが事件はさらにエスカレートし、ついにピーター卿も事件に乗り出す。


本作は純然たるミステリとは到底言い難い作品です。もちろん『謎』を『解く』という最低限の過程が書かれているとはいえ、全体で言えば10あるうちの2、ないしは3くらいがミステリ要素でしょうか。最初から最後までちらほらと事件が起きては落着きを繰り返すため、意識の中では「これはミステリだ」という声が聞こえるのですが、ミステリ以外の記述が多すぎます。むしろ体感的には1あるかないかというレベルです。

ただ最終章の解決編まで辿りつくと、そこには驚愕の事実が待ち受けています。「驚愕」といっても単純なサプライズと言う意味ではありません。むしろ真相に関しては、想像の範囲内で、犯人当てについても私が当てれるくらいだから大したことは無いのかもしれません。ヒントの出し方や配置のバランスも良く、しっかりと真相に繋がる伏線も張られているので、ミステリの構成としてはさすがの一言。

 

では何が驚愕なのか。

700Pもの膨大なページ数を経て、濃縮されコトコトと煮詰められた負の感情が、解決編で爆発しているとでも表現しましょうか。

一般的なミステリの解決編では、利己的な犯罪者を前に、探偵が悪事を堂々と暴き正義の鉄槌を降りおろします。尻尾を掴まれた犯人は結果的に人生の敗者で、探偵をはじめ登場人物の多くは、犯人に対し一種の征服感を覚えるのが普通です。しかし本作では、そのでした。

 

真相が明かされ、犯人の一方的な告白を聞くとき、息が詰まるような胸が苦しくなるような閉塞感を感じます。これが、いつもユーモラスで明るいテキストで溢れるセイヤーズの作品なのかと疑いたくなるほどでした。

 


本作の物語の中心となっているのは女性です。登場人物のほとんどが女性で、さらに彼女たちは世の男性にひけをとらない頭脳と逞しく生きる力を見に纏っています。

それが些細な事件から揺らぎ、疑心暗鬼になり、狼狽えます。そしてまた団結し、難局に立ち向かう。作中ではそんな力強く頼もしい彼女たちの生き様をありありと見せつけられます。

 

もちろんハリエット・ヴェインとピーター卿のサイドストーリーも見逃してはいけません。推理小説にロマンスはいらねぇよという読者もいるでしょうが、本書に登場するロマンスはただのロマンスではありません。

解説で横井司氏がこう述べています。

ハリエットの(ピーター卿との結婚を考える)モノローグはきわめて知的なものである。窓辺にもたれて恋人を思うといった体のロマンティックさは持ち合わせていない

学術的とまで言うと大げさかもしれませんが、ロマンスをただ情熱や勢いだけで進めるのではなく、論理的にまさに知的な思考で恋をし、愛する。そんな美しい過程にも、しっかりと本書の特徴が表れています。

是非シリーズ順に読んでほしい一作です。

 

では!