発表年:1936年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:エルキュール・ポワロ12
まずは粗あらすじ
看護婦のエイミー・レザランは知人の紹介と推薦により、考古学者の妻ルイーズ・ライドナーを看護することとなった。ライドナー夫妻がいるバグダット近郊の遺跡で待ち受けていたものは、遺跡発掘調査隊の男女たちが醸し出す張り詰めた緊張感だった。そしてその雰囲気に呼応するかのように不可思議な事件が発生する。この難事件に挑むのは、偶然シリアからバグダットに向かっていた私立探偵エルキュール・ポワロ。はたしてポワロは、過去から現在へと複雑に絡み合った人間模様を解きほぐすことはできるのか。
まず特筆すべきは、本作が看護婦エイミー・レザランの手記という形の一人称で書かれているという点でしょうか。
レザラン自身が(頁9)
わたしには作家のようなととのった文章は書けないし、文章を書くことについては無知に等しい。
と言っている通り、多用される「!」や彼女自身の感情の文章へのぶつけ方にかなり初々しさが感じられます。
それが一種の読みにくさに繋がっていることも事実なのですが、そこは読み慣れるしかないのかもしれません。
しかしながら逆に、クリスティが書いたお馴染みのポワロシリーズにもかかわらず、こういった新鮮味が感じられるのも良点なのでは?とも思ったり。
さらにレザランの初々しさと裏腹に、ポワロが登場してからは空気が一変するのも見逃せません。
レザランがワトスン役を演じ、彼女が得た情報をもとにポワロが恒久的な灰色の脳細胞を駆使する、という二人の安心感あるバディが読者にも同様の印象を与えるでしょう。
一方でミステリの核になるトリックについては及第点止まり。ジャンルで言えば密室トリックなのですが、既視感があり、トリックがわかれば犯人も自ずと…といった具合に連鎖的に犯人に辿りついてしまう点はマイナスポイントかもしれません。
そもそも私は、ミステリにおける犯人当てやトリック当てといったものが苦手で(そもそもがっつり当ててやろう!という気概がない)、誤ったミスリードにはほぼほぼ誘導され、伏線にもほとんど気づかずに結末部で驚愕するというケースが多いです…
ただ、今作に関して言えば、それらミスリードが仇となったのかなー、と。巧妙でそれらしい伏線が早い段階で明かされる一方、これみよがしに「覚えておいてね」と言わんばかりの怪しいワードが全然明かされない。これでは、ミスリードもなにもあったもんじゃないって感じです。もうひと捻り欲しかったところです。
さらに結末部では、ミステリの論理性にも疑問符が付くため、ミステリ玄人にとっても不満が残る作品になってしまうかもしれません。
ただし、本作の一番の良点は、トリックの奇抜さや動機の異常性などではありません。それはやはりクリスティの人間描写です。
もちろんポワロが言っているように、被害者の人格を起点として推理するためには、キャラクターの人間描写を決しておろそかにしてはいけません。
しかし被害者の精確な人格描写はかなり難しい部分でもあります。それは被害者が早い段階で物語から退場してしまうからです。
そんな中、読者が被害者の人格を知る唯一の方法が、クリスティが創りだした生きている登場人物たちの心情であり、登場人物同士が感じている感情であり、さらにはその中に紛れ込んだ真犯人の心理です。
彼ら(または彼女たち)の言動と、その裏に隠された心理を読み取ることができれば、本作はもっと楽しめるに違いありません。かくいう私も、ある人物の心理から犯人の推察ができました。
そして本作がクリスティの二度目の結婚(老古学者マローワン)があったからこそ生まれたことを知ると、さらに本作の重要性とクリスティ自身の人間性の豊かさと深さを感じるでしょう。
では!