発表年:1929年
作者:エラリー・クイーン
シリーズ:エラリー・クイーン1
ようやくエラリー・クイーンにたどり着きました。
本作は、ご存知の通り、エラリー・クイーンによって書かれた長編推理小説第一作であり、彼(ら)の記念すべきデビュー作です。
「彼ら」としたのは、もちろんエラリー・クイーンという筆名がフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーなる二人の人物によるものであり、しかも彼らは従兄弟同士で、さらにその二人の名前でさえもペンネームで、重ねて言えば、エラリー・クイーンは作品の主人公である名探偵であり、作品群はエラリー・クイーンが経験した作品であるとしながらも、それを世間に公表(語り手)したのはJ・J・マックなるエラリー・クイーンの友人で、さらにさらにエラリー・クイーンという名前も仮名です。
文章にしてみると複雑多岐にも思えるこれらの設定を好むあたり、さすがミステリ界屈指のパズラーと評されるエラリー・クイーンらしいといったところでしょうか。
本作の舞台はアメリカ・ニューヨークで事件の現場は、ブロードウェイで上映中の劇場内です。
劇場内で起こるミステリといえば、私はヘレン・マクロイの『家蝿とカナリア』が思い浮かびました。舞台は同じニューヨークだし、探偵役も警察関係者、残された(もしくは残されなかった)手がかりの謎を解き明かすことによって真相を暴くというミステリの核も似通っているように思えます。
違うのは、『家蝿とカナリア』では探偵役が事件の発生を目撃しているのに対し、本作では事件の発生後調査を開始するという点です。似たような設定ではあるのに、この2つの作品を似ていると評する人は誰もいないでしょう。どちらが優れているか、ということではありません。「みんなちがってみんないい」です(誰だっけ)。
他の作品と比べていても仕方がないので(自分で言いだしたのに)、本作の感想といきましょう。
本作の特徴としては、まず、序文で本作をエラリー・クイーンが公表するに至った経緯と、簡単な人物紹介が挿入されます。
ここでエラリー・クイーンの設定がヴァン=ダインの作品と似ていることに気付きます。これはエラリー・クイーン(作者の方)本人が、ヴァン=ダインの影響を公言しており、ヴァン=ダインなくしてエラリー誕生はなかったのかもしれません。
それら序文に続くのが、3ページにもわたって書かれる登場人物目録です。「本リストを頻繁に参照していただくよう」オススメされた私は、それこそ栞を挟んで「頻繁に参照」したのですが、それは謎を解こうと挑戦したからではなく、登場人物を覚えることができなかったからです。
たいていの推理小説には、人物がたくさん登場しますが、全員が重要人物ではないことが多く、そういった人物は一覧から省かれています。
しかし本作では、全員が重要人物であるとは言い切れないものの、ほぼ全員が事件に関係しており(ジューナは別か)、何らかの形でパズルのピースとなる役割を担っています。
この点で冒頭の登場人物目録は必須であり、劇場や部屋の見取り図などが、読者に対し正々堂々提示される点と合わせて、作者のフェアプレイ精神も感じることができるでしょう。
そして極めつけは、第3部最終部に挿入された“読者への挑戦状”です。この時点で全ての手がかりは提示されているのだから、勘の良い読者ならわかるはず、というなんとも迷惑な(笑)ものです。
この時点で私は勘の鈍い凡愚であると通告されたわけで、本を投げ捨てても文句は言われない状況でしたが、そうしなかったのは、なにより本書の提示する謎が魅力的で、クイーン父子の親子愛が温かく身に染みたからです。
もう謎が解けても解けなくてもどうでもよくなっていました。
とにかく『ローマ帽子の謎』が知りたくてたまらなくなり、全ての手がかりを暴かれてなお姿を(私からは)隠し続ける未知の犯人の正体を、教えてほしくてたまらなくなっていたのです。
敢えて手がかりを提示し、読者への挑戦状を突きつけ、知りたい欲望を煽る巧妙な手腕に嵌ってしまったのでしょう。
多少面倒だと感じた点は、解決編を読んだ後でも、見取り図を何度も見返し、手がかりが記されている箇所を何ヵ所も読み返さないと、納得できないところですが、それは私以外の聡明な読者にとっては、全然億劫でも面倒でもないことでしょう。
巻末に載せられている、エラリー・クイーンの影響を多大に受けた日本の有名推理作家・有栖川有栖氏の解説も解りやすくエラリー愛が十分伝わってきます。日本の推理小説に食指が向かない私も、氏の作品を読んでみたいと思わせる内容でした。
最後にこの<国名シリーズ>と呼ばれる長編群は、角川文庫でも出版されているそうなのですが、あちらの表紙はなんか好みではありません。とはいえ創元推理は出版スピードが遅いんですよね…根気強く待ってます。
では!