発表年:1929年
作者:T.S.ストリブリング
シリーズ:ヘンリー・ポジオリ教授1
日本ではなかなか聞く機会が少ないストリブリングという作家ですが、彼は弁護士や雑誌記者の顔をもち、南アメリカやヨーロッパでの生活を経て、アメリカ南部や黒人問題を取り上げた小説を発表し文豪デビューを果たします。
そういった純文学を書く傍らで、心理学者ポジオリ教授を主人公とする短編推理小説の連載を始めたのです。
ポジオリ教授ものは.大きく3期に分かれていると言われており、本書が属する第一期を以て完結したかに思われましたが、その後エラリー・クイーンの説得もあり復活。その後も<エラリー・クイーン・ミステリ・マガジン(EQMM)>に連載するなど30年以上も活躍します。
ポジオリ教授の経歴や容貌などは、私が読んだ国書刊行会発行の解説部分に詳しく書かれているため省略して、本書について解説しようと思います(といってもやはり国書刊行会の解説の方がボリューミーなんだけど)。
まず一作目「亡命者たち」ですが、トリックと動機にはまだ頷けるものの、そのトリックが果たして本作の結果を生み出したか(=因果関係)が証明できていません。
本作の見どころとしては、多種多様な登場人物たちの織りなす人間模様とその結末でしょう。序盤で登場するアメリカ人の宿泊客は最後まで、自己中心的な性情を隠そうとせず、ベネズエラの独裁者も似たようなもので、独善的で猜疑心に満ち、彼の因果が物語を決したと言っても過言ではありません。
ポジオリ教授はと言えば、たしかにトリックを解き明かし、謎の究明には一役買ったものの、彼の素人探偵のとしての立場は曖昧で、謎と事件、犯罪と犯人という別箇では成立しえない成分を繋ぐキーマンとしての役割が多いように感じました。
そして全5作中4作で、彼はその立場を不動のものにします。
「カパイシアンの長官」では、ポジオリが、ハイチの都市カパイシアンの長官に招かれ、敵対する武装農民カコたちの長が持つ奇怪な能力の解明を依頼されます。ここでも、動乱のハイチで、“巻き込まれ型”の探偵を演じるポジオリですが、その結末はやはりすっきりするものではありません。
ヴードゥーの司祭であるカコの長が持つ異能の力の解明も中途半端にしかできず、その冒険で得た代償も小さいものではありませんでした。死者は累累と横たわり、ハイチの人々を支配する大きな力は、依然として大国の思惑に操られ、変革は遠い先のことになるのです。
ハイチはラテンアメリカの中でも植民地からの独立は早かったのですが、その後も最悪と形容される独裁体制の誕生や、大地震や流行病コレラのエンデミックなど独立以来の混乱が今もなお続いています。
本作の中でポジオリは
いつかこんな日がやってくるかもしれないよ。―どの人種もお互いを大事に思い、相手の自分にはない知と精神に目を瞠って、戦争などしない……そんな日が。
と述べていますが、少なくとも、90年近く経った現在、この希望の日は訪れていないようです。
「アントゥンの指紋」は、本作の中では、最終話「ベナレスへの道」を除いて一番お気に入りの作品です。
舞台はフランスの海外県マルティニーク島で、コロンブスにして「世界で最も美しい場所」を言わしめる観光地ですが、ヨーロッパの進行により原住民は虐殺され、今では純粋な先住民は一人もいないと聞きます。
“カリブのパリ”とも謳われる県庁所在地フォール=ド=フランスで語り合うポジオリ教授とド・クレヴィソー勲爵士は、「建築物が犯罪にどの程度影響を及ぼすか」というテーマで賭けを行っており、折しも絶妙のタイミングで2人の前に銀行強盗の報せが舞い込みます。2人は実地調査と称して、調査を始めるのですが
その真相については想像に難くありません。
ポジオリの提唱する犯人の人物像もぴったり符合し、初めてポジオリが探偵らしい活躍を見せるのかと思われましたが、やはりそこも一筋縄ではいきません。
推理小説の山場と言えば、謎の解明から犯人の逮捕までが一般的ですが、本シリーズでは違うようです。どうしても目を引くのは、ド・クレヴィソー勲爵士による犯罪講義でした。
彼は
法律は金庫破りを禁じてはいない
と述べたうえで、
捕まったら、懲役二十年と書いてありますよ
と反論する警視総監にこう講釈します。
もし捕まったらというその条件は、捕まらなければいいというふうにがらりと趣を変えるんですよ。―劣っているのは、実際には捕まるような未熟なやつじゃないですか。
犯罪に関するこの心理は、誰の心にも存在していることに疑問の余地はありません。「言わなければ」「バレなければ」という安易な気持ちで、小さな嘘をつく人間は山ほどいます。後に残るのは、それが法律に抵触するか否かという問題だけなのです。
続く「クリケット」では、ポジオリはバルバドスに滞在しています。バルバドスもまたカリブ海に浮かぶ島国の一つであり、著名な出身者に、歌手・モデル・女優としてアメリカで絶大な人気を誇るリアーナが挙げられます。
本作では、ポジオリ教授は
『人間狩り』はこんりんざいやりたくない
と言いながらも(前三作でもできていないが)、虚栄心に煽られて事件に首を突っ込みます。
本作もまた、事件の謎や解決にではなく、ポジオリ自身の人間性やユーモア部分に重きが置かれており、ドタバタとしたラストの大捕り物でも、彼は戸惑い、躊躇い、人間臭さがにじみ出ているのではないでしょうか。
そして最終話「ベナレスへの道」です。
この白眉の短編は、その結末の意外性・独創性おいて他の短編を大きく凌駕しており、前話「クリケット」最終部を読んでニヤニヤしたまま読み進めていると、その驚きのラストに愕然とさせられるでしょう。
ここで出てくる“ベナレス”とはヒンドゥー教の聖地であり、ガンジス川の西岸に位置するインドの都市ワーラーナシーのことです。そしてベナレスのガンジス川で死を迎えたものは、輪廻から解脱し転生することができる、という考えから、インド中からこの地で死を迎えるべく人々が集まると言います。
そんな輪廻転生への道を準えた本作ですが、トリックと呼べるほどのものはなく、その解決方法もいたって単純です。
しかし、興味深いのは犯行の動機と解決までのプロセスです。動機の孕む謎は、本格ミステリと呼ぶに堪える上質なものであり、ポジオリ教授の心境や直観によって感取した情報がしっかりと手がかりになっています。
解決に至るプロセスについては、ここで委細は明かしませんが、急に異世界に入り込んでしまったかのような感覚に陥る、とだけ言っておきます。
本格ミステリだと胸を張って紹介できるわけではありませんが、本作は前4話から連なる壮大な長編小説とも捉えられ、結末部の必然性は読み込めば読み込むほど納得させられることでしょう。
気になるのは、今後のポジオリ教授の活躍であり、未だ邦訳されていない短編を含め、全ての邦訳が完了されるのを待ち望むばかりです。
では!