発表年:1924年
作者:ハリントン・ヘクスト(イーデン・フィルポッツ)
シリーズ:ノンシリーズ
作者のイーデン・フィルポッツは、もともとイギリスの田園小説や歴史小説を得意とする作家だったそうで、推理小説に挑戦したのも、なんと60歳を超えてからだったというから驚きです!
そんな彼が書いた50作ほどの推理小説の中でも、日本では「赤毛のレドメイン家」が、江戸川乱歩が自身のベスト10第1位に挙げたこともあって、今でもなお根強い人気があるといいます。しかし、そんな著名な作品よりも先に本作を読んでしまいました。
私が知っていたフィルポッツの前評判はというと、冗長な恋愛描写や人間模様が執拗に繰り返され、肝心の推理小説に辿りつくまでに辟易してしまう、とか、唯一評価できるのは、アガサ・クリスティの少女時代に彼女の作品に的確な助言を与えただけ、という散々なものでした。
たしかに、本作が純粋な推理小説として万人におススメできないことは明らかで、初めて触れる推理小説が本作だったなら、推理小説を嫌いになってしまうこと請け合いです(笑)しかし、そのようにハードルが下がりきったところで本作に挑むと、其れほど酷くはなかったように思います。
本作は、医師の青年ノートンが美女に一目惚れするところから始まります。彼女もまた美青年ノートンに心奪われ、二人は、周囲の反対を押し切ってまで結婚に至るのですが……二人を包む恋の大炎は、いつしか周囲を巻き込み、破滅へと誘うのでした。
この恋の成就から破滅への道程が驚くほど遠く長い。
この長い導入部で脱落せず、人間関係や散りばめられたヒントたちを忘れることなく読み進めることができるかが、本作を楽しめるかどうかの大きなポイントでしょう。そして、ここまで読み進めた読者なら、タイトルの「誰がコマドリを殺したのか?」がマザーグースの1篇であることも気になってくるでしょう。
この童謡の歌詞を知っていれば、本作の見方は大きく変わっていたかもしれません。この点はネタバレになるかもしれないので、最後に表記することとします。
今作のトリックについては、大方予想通りの展開で、動機にしても、物語の中に織り込まれているので、発見は容易です。登場人物一人一人に計算された台詞が用意されており、キャラクター造形という観点では、フィルポッツの面目躍如だと思うのですが、それだけではねぇ…
以下に気になった点を挙げておきます。
- 「のちに大きな事件へと繋がることをこの時まだ彼らは知らない」的な描写の氾濫
邦訳のために出てきた問題なのか、もとからそうなのかはわかりませんが、「この決断が二人の運命を別つことになったと知ったのはまだ先の話である」的な文章が随所に見られ、無用の長物、というか帯に短し襷に長し、というか……ないほうがいいんじゃない?という数の多さが目立ちました。
- 主人公のクズっぷり
詳細は控えますが、主人公ノートンに感情移入できません。
これは結構致命的です。たぶん自分自身が燃えるような恋をしたことがないからではないと思います。確かに恋は盲目であり、まわりの忠告や助言など耳に入らない程、恋い焦がれたゆえにこの物語が成立するのは理解できます。しかし、そんな愛とも呼べないペランペランなものを手に入れるために、人が死に、最後はハッピーエンド?どうも納得できません。
そして最後
- ダイアナの妹マイラの愛称
ミソサザイ
そんなあだ名ありますか?マイラの姉ダイアナの愛称“コマドリ”はなんとなく妥協できます。「コマドリちゃん」というと、どこか可愛く聞こえるからです。「ミソサザイちゃん」などと呼ばれて誰が喜ぶのでしょうか?邦訳と原文の違いで、英語では“Wren(レン)”というらしいので、まだ納得できますが、もう少しどうにかならなかったかなぁ?いや、ならないか。あわれなるミソサザイちゃん、人生を悲観するのも無理はありません。
すべての小説に「納得」を求めるのも酷ですかね。完璧など無いのですし、むしろツッコミどころが多い作品ほど愛されるというか…文句たらたらでアレですけど、結構好きです。
最後に中ほどで述べたマザーグースの童謡について書いておきます。
以下ネタバレの可能性。
大事なのは、童謡「クックロビン」の歌詞に隠れてありました。
この童謡は、コマドリの死から葬式までが様々な動物たちによって分担される物語を歌ったもので、第11章に登場するのは、なんとミソサザイなのです。歌詞については各自で調べてください。本作の探偵役ニコルが、童謡の歌詞“Who killed Cock Robin?”を思い出し、事件と関連付けた真の理由がわかるはずです。
では!