閉所愛好家の謎【解決編】 

まさか、問題編を超える文字数になるなんて思いもしませんでした。いかに問題編にちゃんと手掛かりを配置できていなかったか、ということでしょうか。

無駄な記述が多いせいかもしれません。トリックに苛立ってもビン・カンを投げないように。危ないです。

 

 

 

まずは問題編からどうぞ。

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閉所愛好家の謎【解決編】

 

「あのう……。もしかすると、あそこかもしれません」

そう言って青年は自信なさげに語り出した。

「なんだって?社長がどこにいるのかわかるって言うのかい?」

青「かもしれないってだけです。社長室に行ってもいいですか?」

「ああ、もちろんかまわないが……」

私たちは、1階のロビーから7階へと向かうため、改めてあの古びたエレベーターの前にやってきた。自動扉の金属板が不協和音を奏でる。青年はほんの一瞬顔を歪めたが、扉が開き切ると同時にそそくさと乗り込んだ。

青「ちょっとはかってもいいですか?」

「測るといっても、この中にはなにもないはずだが」

青「エレベーターの中には社長はいませんよ。例えばエレベーターの上部もしくは下部とかエレベーター棟のどこを探しても無駄です。そもそも通常屋上にあるべきエレベーターの機械室にすら、このビルからは入れないんですよね?」

「たしかにこのビルから屋上に出る手段はない。たぶん隣のビルから連絡橋のようなものを接いで渡ってくるんじゃないのか?」

青「それもありです。あと、はかるのは時間ですよ」エレベーターが沈黙を破って動き出すと同時に、青年は腕時計の2時の位置にあるボタンを押し計測を始めた。どうやらエレベーターが7階まで到着する時間を計るつもりらしい。

青「2階……55秒。やっぱり長いですね。あ、副社長、各階へ到達するまでの経過時間を言うので、記録を取っておいてもらっても良いですか?」

言うのが遅い。そして断りようがない。胸ポケットのボールペンを取り出し、掌に2-55という具合に数字を書き出した。

青「3階は31秒です」

1階分通り過ぎるのに31秒もかかっているのか。この調子なら7階にたどり着くのに3分以上はかかる計算になる。直通でこのペースなのだから、途中で止まるとなると、扉の開閉時間を加えて倍はかかるだろう。早急にエレベーターの修理も必要だな。そんなことを考えているうちに、エレベーターは7階へと到着し、いつもの見慣れた社長室へとたどり着いた。

青「どうなりました?」

私は掌のメモを青年の顔の前に翳した。わかりやすく列挙すると次のようになる。

2階、55秒

3階、33秒

4階、35秒

5階、32秒

6階、33秒

7階、52秒

私の感覚が間違っていたようだ。たった20mほど上昇するだけなのに3分ではない、4分も要していた。カップラーメンの麺だってのびてしまう。往復となると尚更だ。そんなくだらない思考が顔に出ていたのか、青年は眉間にしわを寄せつぶやいた。

青「思ったとおりです」

「何が思ったとおりなんだ?」

青年はすでに社長机に向かって駈け出しており、私の言葉が聞こえたのかどうかはわからなかった。後ろでエレベーターが1階へとUターンしたのがわかった。

青「まずは社長の救出が最優先です。こっちにきて手伝ってください。」

青年はそう言って、社長机の後ろに回り込み、壁に立てかかった3枚の扉を動かし始めた。それらは、”修理中”と書かれた緑色の扉を1/3ほど塞ぐ形で壁に立てかかっていた。

「その扉がどうしたんだ?」

青「早く!とりあえずこの3枚をソファの方までもっていきましょう」

この作業は簡単には運ばなかった。3枚の扉はいずれも一枚板でできた特注品で、一枚当たり約50㎏はある代物だった。しかし、青年(ここにきて青年が彼なのか彼女なのかがわからない)は、華奢な見かけからは想像できない腕力で扉の片側をしっかりと持ち上げ、黙々と運搬をこなした。たった3枚とはいえ、作業が終わるころには二人とも汗だくで、青年の顔にも疲労の色がはっきりと見て取れる。

「この横倒しになっている扉も運ぶのかい?」

青「いや、もう大丈夫だと思います。こっからが上手くいくか不安なんですが。」

青年は”修理中”の扉の前に立ち、そっとドアノブに手をかけた。私の心の中の声がそのまま口から漏れ出た。

「まさか!そんなことがあるわけない!」

A「その、まさか、だよ」

エレベーターに目を向けると、そこには額に大粒の汗の玉を光らせて息を切らすAと救急鞄を大事そうに抱えた救急隊員がいた。Aの右手にはバールが握られている。

「いや、でも、そんな、だって」

しどろもどろになっている私を押しのけ、Aは扉の前に立った。
青「やっぱり鍵がかかっています」

鍵だって?

A「思ったとおりだ。こいつでこじ開ける」

こじ開ける?何を?

Aはバールを両手で持ち、壁にくっついている”修理中”の扉の隙間に躊躇なくこじ入れた。

「危ない!」ここは7階だ。もしその扉が開いたとしたら……。

今でもAは、私のこの一言を忠実に、迫真の演技で声色までも変えながら真似をして小馬鹿にする。私だって、あの時のAと青年の「信じられない」といった表情のシンクロニシティを思い出すと笑いがこみあがってくるのに。

Aにバールをねじ込まれた扉はバキバキと悲鳴を上げ、緑色の木片をばらまきながら傷口を拡げた。数分後、ガチンと金属のねじ切れるような音とともに、扉がすうっと音もなく部屋の外側に向けて開き出した。

 

 

 

 

 

 

この後の記憶はやや曖昧で、扉が開いてからの数時間は、まるで連続写真のように映像が切り取られて頭の中に格納されている。

扉の先にある空間に飛び込むAと青年。そしてその後を追う救急隊員。呆然と立ち尽くす私。茶色い大きな物体に覆いかぶさるようにして声をかける救急隊員。高級な樫の扉に括りつけられエレベーターで搬送される父(これはのちに担架代わりだったと教えられた)。がたごとと轟音をまき散らす鉄の箱を待つ無限にも思える時間。白一色の救急車。病院。

 

 

父は、いったい何を……いや、あの部屋はいったいどこにあったのだろうか??

 

 

 

 

一週間後、私は父が入院している病院の個室でAと青年を待っていた。あの日から私は、自宅と病院を往復する毎日を過ごし、外の世界とは隔絶した生活を送っていた。

父はあの事件直後に行われた2度にわたる心臓手術に耐えた。昨日、集中治療室でのモニタリングと状態管理が完了し、今日ようやく一般病棟への移動が認められたところだった。担当医曰く、あと数時間遅ければ間違いなく死んでいた、と言うのだからまさに九死に一生を得たわけである。

父はベッドに横たわり、天井の一点を見つめている。すでに父の意識は覚醒しているが、まだ強い痛み止めが作用しているのか、眼以外の部分には力が入っておらず、表情も乏しい。

私は父の閉所愛好癖を考慮して、一般病棟の中でも比較的狭い個室を用意してもらった。さらに外に面したカーテンは全て閉め切り、間仕切り用のカーテンでベッドの周囲を囲ってさらに閉塞感を生じさせた。照明も従来の半分しかつけていない。ベッドの辺りは特にうす暗く、昼間に台風が到来したときほどの照度になっている。

 

病室の扉をノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

A「元気か?」

「私はね」

入院患者の部屋を訪れて言う台詞ではないだろうと思いながらも、私は内心で彼らの来訪を喜んだ。

青「失礼します」

青年は片手に花束を持ち、Aは小脇に書類の束を抱えている。

「よく来てくれたね。二人には感謝してもしきれないよ。本当にありがとう」

私は青年から花束を受け取ったが、花なんてどう扱ってよいかわからず、ベッド横のサイドテーブルになるべく綺麗に見える角度で横たえた。

A「感謝するなら、自分の行動に感謝するんだな。もし俺に最初に相談せずに、警察に通報していたら、あんなに早くは見つからなかっただろうな」

「その選択の正否は、解決編を聞いてからにさせてもらうよ。聞きたいことが山積みなんだ。聞かせてくれ、あそこは何だったんだ?」

A「解決編はここにいる青年にまかせよう。なんていったって、俺みたいに捜査したり証拠を集めたりせずに、純粋な推理だけで謎を解いちまったんだからな」

青「完全無欠の安楽椅子探偵ってわけじゃありませんよ。鉛筆ビルの不思議について、悩んで考える時間は、むしろ副社長より長かったので」

「鉛筆ビルの不思議って何だい?窓が無いこととか?」

"完全無欠の安楽椅子探偵"とまでは思っていなかったが、解決してもらった立場で指摘するほど傲慢ではない。

 

青「それも一つです。順を追って話すと、まず社長がいなくなった後の行動についてです。一昨日の状況から考えると、社長が副社長と会った後の行動は、1.ビルの施錠を忘れて退社した2.施錠を忘れたまま退社し翌日出社した3.副社長との会見後もずっとビルの中にいる。この3つが考えられます。1の場合は、誘拐とか事故や事件に巻き込まれた可能性が考えられますが、誘拐なら丸一日外部からの接触が何もないのは不自然ですし、警察から事故や事件の連絡もありません。2と3については細かい状況は違いますが、どちらも社長がビルの中にいる、という点が共通しています」

「そこまではよくわかる。ただ、ビルの中は昨日十分に捜索したはずだろう?」

青「十分じゃなかったとしたら?そこで次にわたしが思いついたのが、社員の誰も知らない、社長だけの隠し部屋みたいなものがあるんじゃないか?ということでした。2階から6階までは、わたしたち社員の部署ですから、社長の個人的な隠し部屋があるとは考えにくいです。逆に社長室はフロア全体が社長の占有スペースですし、隠し部屋の場所としてはもってこいです。さらに、社長は修理や調整が必要な扉を全て社長室で保管していましたよね?しかも全てご自身の手で修繕していた。でも、社長室には机や椅子の他に修繕に必要な工具や機材が全くありませんでした。はじめは社長机を作業台代わりにしていたのかな、とも思ったのですが、ソファはいつも綺麗だし、調度類もほとんど劣化していないことから、社長はどこか別の場所で作業していたんじゃないかと思ったんです」

誰もなにも口を挟もうとしないことを確認し青年はつづけた。

青「次に気になったのが、このビルの構造です。社長が閉所愛好家だということはみんなが知っていましたが、愛好家にしては社長室の広さは中途半端だし、いくら愛好家だとはいえ、2階から6階の窓もなくして社員にまで閉塞感を強要するなんてことがあり得るでしょうか?」

私はちらと父の方を見て顔を窺った。青年は父が起きていて、話をきいていることを知らない。

青「全ての階に窓を設けないのはなぜか。それは外の景色を見せないためではなく、外の景色が見えないことを隠すためなのではないか。つまり、そこに窓があってもし外が見えると、何も見えないということがばれてしまうからじゃないか、と考えました」

「外に何も見えない?それは、つまり?」

A「もし、お前が何階でも良いから鉛筆ビルのフロアから、窓を通して外を見たとしよう。何が見える?」

「何が見えるって、たぶん隣のビルとか表の道路、そうだ、あと空だって見えるだろう」

A「そのとおりだ。でも、もし何も見えなかったら?行き交う人々や時とともに移ろう空模様が見えず、ただ真っ暗の土の壁しか見えなかったら?」

「土の壁って、そんな、まさか!」

「まさか、地下だって言うんじゃないだろうな!?」

A「そのまさかさ。お前たちが毎日出社しているあの鉛筆ビルは、地上7階建てなんかじゃない。地下7階建てのビルなんだよ」

「だって、エレベーターはたしかにうえに……」

青「本当に上昇していたでしょうか?あのエレベーターは1階を通過するのに30秒以上かかります。調べてみたところ、一般的なエレベーターの約15倍という遅さです。それにあの上下左右への振動です。どう考えても普通のエレベーターじゃありません」

「じゃああのエレベーターは、乗客の感覚を狂わせるためにあんなに遅く、あんなに揺れて動いていたのか」

青「そのようです。さらに巧妙なのは、実はあのエレベーター、一度上昇しているんですよ」

もう言葉が出てこない。聞くべき疑問すら思い浮かんでこなかった。

青「わたしたちが社長室に向かうとき、各階への到達時間を計っていただいたのを覚えていますか?あの数字にはたしかに不自然なところがあるんですよ。なんだかわかりますか?」

A「そこまで調べて事実を導き出していたのか。すごいな」

Aは私の呆けた表情を察してか、青年に続けるよう促した。

青「あのデータによると1階から2階へ到達するのにかかる時間と、6階から7階に到達する時間だけが、他の階よりも多いんです。まるで約1階分余分に通過しているみたいに。それでAさんにエレベーターについて図面を調べていただいたところ、あのエレベーターは、まず1階から2階にはちゃんと昇るんですよ。もちろん地上2階にはなにもありません。しかし、実際に地上2階位置まで上昇してから地下1階部分まで降りてくることで、乗客の昇降の感覚を狂わせていたんです」

「ということは、2階のボタンを押すと地下1階、3階を押すと地下2階に行くということか」

青「そのとおりです。全ての工程に、一度地上2階部分まで上昇するという動作が加わっています」

「じゃあなぜ6階から7階も他の階より時間がかかっているんだ?」

A「7階の上に6階があったらどうなると思う?」

「そうか、足音か」

A「ご名答。もし万一、6階で重たいものでも床に落としてみろ。7回の社長室の天井からそんな異音が響いたら、社長室に滞在している人間に上に部屋があることがばれてしまう。その可能性を排除するために、6階と7階の間には約1階分の空間が開いているのさ。だから、他の階に比べ到達に時間がかかるんだ。単純な距離の問題さ」

 

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「これで謎解きは終了か?」

まだまだ事の真相に頭が追い付いていないが、一通り社長のいた場所に関しての答えは出た。私も一度その部屋を見てみたいものだ。

A「あとは細かい点だが、役所からお前の携帯電話に電話したとき、全然繋がらなかったのを覚えているか?電波状況がすこぶる悪いんだよあのビルは。なんていったって地下7階だからな。もう一つ、ビルの背面に見えている2m四方の切れ目だが、3階部分がエレベーターの機械室への入り口で、その他の切れ目はダミーだった。最後に、1階の定礎板に書いてあった建築日をもとに役所に建築図面の写しを請求して、証拠を手に入れたら謎解きはおしまいさ」

そう言ってAはずっと手に持っていた書類の束を私に手渡した。

「父はいったいあんな場所で何をしていたんだろう?」

Aは青年の方を向いて言った。

A「それはきみが仮説立てた通り、扉の修繕だよ。扉に貼ってあったシールのまんまあの部屋は社長の工房だったのさ。ちなみにだが、"清掃中"の扉の奥にはシャワールームが、"廃棄"の扉はトイレに通じていた。工房には簡易ベッドもあったから、たぶん社長があそこで寝泊まりしていたのは間違い無いと思う」

こんな事件があった以上、あそこで生活するのは止めさせないといけないだろう。

 

A「それと警察と消防の件はすまなかった」Aが気落ちした声色で頭を下げた。

「なぜ謝るんだ?きみには感謝しかないと言ったはずだが」

A「本当なら、もっと早く。少なくとも1時間は早くあの扉を開けることができたはずなんだ。それを、俺は決定的な証拠を手に入れるとか何とか言って引き延ばしてしまった。決して推理ゲーム感覚で後回しにしたんじゃないんだ」

「ああ。わかっているよ。父が、もう死んでいると思ったんだろう?二人で扉を開いて、私に目の前で死んでいる父を発見させたくなかった。違うか?」

A「すでに行方知れずになってから24時間は経っていた。何らかの原因で隠し部屋で倒れて出てこられない状況だとしたら、心臓にしろ脳にしろもうダメかもしれないな、と諦めてしまったんだ。本当にすまなかった」

「私から言えるのはありがとう、という言葉だけだよ」

心地よい沈黙。そんなものが存在するなら、この瞬間こそ心地よい沈黙だった。その時、沈黙を破るかすかな呻き声がベッドから聞こえた。

「父さん!」

ベッドに駆け寄り、父の口元に顔を近づけた。何か話したいらしい。

父の眼には生きている喜びの光が感じられ、まっすぐに私の顔を捉えている。口の動きは乏しいが、間違いなく何かを話そうと、伝えようと必死で喉を震わせていた。

僅か数語だったが、父が言いたいことは理解できた。私はその場を離れ、窓際にやってきた。

「そっちのカーテンも開けてくれないか」

そう言って、窓を覆っていたベージュのカーテンを強く引き開ける。青年が反対側のカーテンを壁際のタッセルで留めてくれた。強い日差しが室内に流れ込み肌を差す。外はこんなにも明るく暖かかったのか。

父を振り返り確信した。

 

父も、これですっかり閉所愛好家なんかじゃなくなったらしい。

 

 

 

 

 

 

閉所愛好家の謎【問題編】

短篇ミステリを書いてみた。

きっかけはTwitterでフォローしているこいさんの謎解きクイズ。

こい on Twitter: "【FILE4:100万円で作家デビュー!】 はじめて見取り図というものを描いた(正解者10名で解答公開) #謎解きクイズ… "

めちゃくちゃ面白いのでみんなやれ。

で、変なところに火がついて勢いのまんま書いてみた。

全然推敲できてないし、一丁前に読者への挑戦状とか入れてるし、トリックが二番煎じかもしれないし、ちゃんとオチてるか不安しかないのだが、もうこれ以上考えてもどうにもならないので、出来上がったものを恥を覚悟で投稿してみる。

 

謎解きに挑戦してやろう(というか文章に朱を入れてやろう)という親切な方がいらっしゃったら、暇な時に読んでもらえると大変嬉しい。

解答はコメントでもTwitterのDMでもなんでも良いので気が向いた時に投げつけて欲しい。

 

 

 

 

閉所愛好家の謎

エレベーターは、牛歩の如き速度でのろのろと動いている。人二人がかろうじて乗り込めるほどの狭く古いエレベーターだった。自動扉の上部には製造業者を表す真鍮の札が付いているが、擦り減っていて製作所という文字以外は判別できない。押しボタンは1から7までの数字が縦に並んでおり、1の下に開閉それぞれのボタンが、7の上には緊急と書かれた赤色のボタンと、文字は不鮮明だが黄色のボタンが並列で配置されている。電光表示板の数字はちょうど6から7へと変わろうとしていた。

A「2階を通過するのに1分近くかかったんじゃないか?あと、この振動もどうにかならないのか?」照明以外に何もない染みだらけの天井を見上げながらAが愚痴をこぼした。

「どうにかって、私は業者じゃないんだから」たしかにこのエレベーターの振動は、あまりに不規則で乱暴なため、乗った人間を不安にさせる。私はと言えば、1年間毎日このビルに出勤しているのだ。慣れてしまったのだろう。

「それに」私は電光表示板を指さし言った。

「ここが終着だよ」

心をかき乱す振動音は徐々に収まり、やがて機械音が全て止まった。

A「で?めでたく俺たちは閉じ込められたってわけかい?」

古いエレベーターというものは、一つひとつの動作が遅いものだ。機械音が止んで10秒近く経って、ようやく自動扉はぎいぎいと音を立てて開き始めた。

Aはふんと鼻を鳴らして、まだ開ききっていない扉から飛び出した。

 

 

(十五分前)

私とAは、目の前に聳え立つ細長い物体を見上げていた。その建造物の正体は、私が勤める住宅設備メーカーの自社ビルだ。7階建ての細長いビルで、屋上部にはピラミッドの形状をした屋根が敷かれ、その中心部から避雷針がすっくと伸びている。ビルの間口は僅か4mほどしかなく、それでいて7階建てであるため、地域住民からは、遠くから見たその姿に因んで鉛筆ビルと言われている。

「何を考えて社長はこんな無愛想なビルを建てたんだか」これは、Aがこのビルの入り口でつぶやいた一言だ。

Aと私はエレベーターホールへと向かい、壁に掲示されている各階の案内板を見ていた。案内板によると、2階は一般客用の商談室であり、3階から6階は、営業、物流、経理、設計と部署ごとに分かれている。これから私たちが向かうのは、案内板の最上部に位置する7階の社長室である。

A「社長がいなくなったのはいつなんだ?」エレベーターの上三角印のボタンを押してAが質問してきた。

「一昨日の夜まではちゃんと確認が取れている。退勤前にどうしても話し合っておかないといけないことがあって、私が社長室まで会いに行ったんだ」

「その時はどんな様子だった?」

「どんな様子って、いつも通りだよ。社長はいつも、どの社員よりも早く来て、どの社員よりも最後に退勤することをモットーにしていてね。防犯装置の設定やビルの施錠も全部社長がやっていた。一昨日は、私と社長が一番最後まで残っていたはずだ。社長との会談は数分で終わって、私はすぐに退社したんだが、社長は修理しないといけない扉があるらしくて、その作業が終わってから帰る、と言っていたよ」

A「昨日出社してきた時にビルはちゃんと空いていたのか?」

「ああ、ちゃんと空いていた。いつも通り、社長が早めに出社したんだとみんな思っていた」

A「だが、昨日の退勤時になっても社長の姿が見つからず、それで不安に思ったわけか。」

「そうなんだ。昨日の夕方まで社員の誰も心配していなかったんだよ。なんてったって社長なんだから、好きな時に出社して好きな時に休めるんだからな。それに、今までも一日くらい急に休むことは多々あったんだよ。自宅にもいないし、可能性のある所は全て当たってみたんだ。もうどうしたらいいんだかわからないよ」

A「……。もう一度、社長室の捜査から始めてみよう」エレベーターがごうごうと音を立てて迎えに来た。

 

(現在)

「ちょっと変わっているんで、驚かないでくれよ」飛び出したAの背中に呼びかけた。

狭小スペースに建っているペンシルビルだけあって、社長室と言っても秘書が待ち構えていたり、心地よい待合室なんてものは無い。エレベーターから出ればすぐそこが社長室である。真正面に社長机があり、問答無用で社長と対面するような造りになっている。部屋の中心部に左右対称になるように配置された調度類はどれもセンスが良く、ブラウンを基調にしたアンティーク調の家具で統一されている。来客用のソファーも光沢のある革張りでつい腰を掛けたくなる代物だった。一方、床に敷き詰められた茶色とも灰色とも言い難いパイル地の絨毯は、染みや擦れで劣化し、調度類が稼いでいた高級感を大幅に損ねていた。

「なんだこの部屋は」嫌悪感を隠そうともせずAは悪態をついた。

もちろん社長机やソファを見て言ったのではない。Aの視線は部屋の左右の壁に乱雑に配されたドアとサッシ類を捉えていた。それらは壁に無造作に立てかかっているものもあれば、横倒しになっているもの、木の種類や色ごとにグラデーションを伴って並んでいるものまで様々だった。敢えて一つだけ規則というものが存在しているとすれば、エレベーターから出て右側が窓サッシ類、左側が扉、と分かれていることぐらいだった。

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5/25補足 左側、長方形に見える扉は壁に寄りかかっている扉を表している。

 

A「社長はいったいこの部屋をどうしたかったんだ?もしかして、ここを倉庫としても使っているとか?」

「いやいや、社長の個人的な趣味だよ。社長曰く、最初のうちは社長机と応接セットだけのこじんまりとした空間だったらしいんだよ。でも社長はもともと職人畑の人間で、自分で扉の修理や窓の調整なんかもやりはじめてしまってね。見てもらったらわかるように、当社の扉や窓のデザインは全て、社長自らデザインした唯一無二の商品です。お客様の希望をお聞きし、全てオーダーメイドで製造しております。高級木材の一枚板で作る最高品質の一枚から、監獄の入り口を連想させる重厚感あふれる鉄製扉までどんなご要望も叶えます」

A「おいおい、いつの間にか営業マンが憑依しているぞ。俺はまだ賃貸暮らしなもんでね。ひとつやふたつ興味をそそられるドアもあったが、ドアだけ買っても仕方ないしな。」

A「ひとまず、これだけドアや窓が置いてある理由はわかったんだが、そもそも窓のところはどうしてああなんだ?」

「あの窓は、ご覧のように船舶の丸窓だよ。面白いだろ?実のところあの丸窓は私のアイデアでね。名前も舷窓(げんそう)にちなんで幻想と付けたんだ」

A「いやいや、違うよ。窓が何のためにあるのかという話だよ。本来窓は外の景色を見るためにある。風を取り込んだり、解放感を味わうために窓というのは存在しているはずだ。それが、どうしてこの部屋には窓がないんだ?」

「窓ならそこにあるじゃないか」私は我が子である幻想を指さした。

「窓ガラスと窓サッシはたしかにそこにある。問題は、なぜ外の景色を見えるように取り付けていないんだ?ってことさ。何もない壁に窓がまるで絵画のように引っかかっているだけじゃないか。そもそも、この部屋には、元々備付の窓ガラスさえないんじゃないか?」

「そんなことか。それは社長の性癖というか障害というか個性の一種でね。ちゃんとした名前がついているかは知らないが、閉所恐怖症の反対みたいなもんさ。社長から詳しく聞いたことがあるんだが、大きく開けた場所に長時間滞在すると、まるで体がバラバラに飛び散ってしまうような感覚になるらしくてね。屋根裏部屋や机の下なんかの狭所にいると精神が安定するんだとさ」

「閉所愛好家ってやつか」

Aは、部屋を円をかいて歩きながら一つひとつの扉と窓を調べ始めた。やがて彼は、扉に貼ってある“修理中”“清掃”“廃棄”などと書かれたシールに指を沿わせた。窓についても一つひとつを開閉し、サッシの裏側まで子細に観察しているように見えた。

A「この“修理中”の扉はどこが悪いんだ?」部屋の隅にある緑色の扉の前でAは言った。

「どうも建て付けが悪いらしい。今みたいにしっかりと壁に固定してしまうと、ドア枠と扉自体が接触して開き辛くなるようだ。枠の交換でなんとかなると思うが、同じ製造ラインの扉が何種類かあるので、最悪の場合リコールが発生するかもしれない」

A「おいおい、さっきは客に合わせた唯一無二の扉とか言ってなかったか?」

「もちろん全てオーダーメイドは可能さ。だが、君が思っている以上に、世間の皆さまには独創性が足りてないのさ。いざオリジナリティのあるものを作りたくても、ここに来れば、カタログや写真を見て、結局は誰かが作った同じ物を買っていくんだ。一般的な扉のサイズというのも決まっているし、ドア枠だけは同じ製造ラインで大量生産する方がコストが削減できる」

A「聞きたくなかった話だな」Aはまるで、今の会話の記憶を頭から追い払おうとするかのように頭を振った。そして、ふいに天井に目を向けた。

A「さっき屋根裏部屋って言ったが、社長がここに屋根裏部屋を作ったという線はないのか?」

「屋根裏部屋とは言えないが、ほら、あそこに点検口があるだろ?天井部分には高さ50cmほどの空間があって、空調設備の配管や電気の配線などが張り巡らされているんだよ。たしかに人ひとりが横になるだけの十分な空間はあるけど、そんなところにはいないんじゃないか?」

A「いや、閉所愛好家だとすれば、可能性としてはあり得るだろう。念のため見ておこう。あと、外から見たときにピラミッドみたいな屋根が見えたんだが、あそこにはどうやって行けるんだ?」

「それは私もおかしいなと思っていたんだが、そもそもこのビルには非常階段はおろか階段すらないんだよ。だから屋上に行くとすれば、隣のビルから飛び移るくらいしか方法はないと思う」

A「いろいろと法律に引っ掛かりそうな建築物だな」同感だ。このビルは入り口だけを見れば一般的なオフィスビルだが、外観のほうは、窓の一切ないのっぺりとしたコンクリート造りで、階の継目すら判別できないので、何階建てかすらエレベーターに入るまでわからない。唯一視線を奪うものといえば、自動ドア横の隅に申し訳なさそうに居座る定礎板くらいだ。

「じゃあ、私は脚立かなにかを持ってくるよ」そう言って、私はエレベーターのボタンを押しに行った。

A「ちょっと待ってくれ。今思いついたんだが、閉所は屋根裏部屋だけじゃないぞ。地下室という可能性はないか?」

「カーペットをめくったらすぐにわかると思うが、下はコンクリートなんだよ。あと、ここが7階だってことを忘れていないかい?地下室が―それを地下室と言うなら―あったとしてもそれはただの6階の天井部だから、6階の点検口を覗いた方が早いと思うな」

A「わかった。なら、お前にそっち方面の調査をお願いしよう。各階の点検口や社長が好みそうな狭所を探してもらいたい」

「きみが『社長を見つけてやる』って言ったんじゃなかったかな?探偵さん?」

A「わかってるさ。宣言通り必ず見つけてやる。人一人の命が懸かっているんだからな。」

「なんだって?社長が死んでいるとでも言うのか?」エレベーターに目をやるとちょうど3階を通過したところらしい。

A「死んでいる、とは言っていないさ。だが、死にかけているかもしれない、とは言ってもいいと思う」

「わかった。すぐに社員総出でもう一度、1階から6階までの点検口や狭所スペース、壁の隙間やトイレなんかも徹底的に調べてみよう。きみはその間、何をするんだ?パイプでもふかしながら安楽椅子に座って沈思黙考か?」

A「俺はもう一度エレベーターに乗る。一度ビルを出て、このビルと居室の大体の寸法を測ってみたいんだ。このビルに隣接するビルが無いかも調べてみたい」

「ということは、隠し部屋ってことだな。たしか隣接するビルは無いはずだが、背面はよくわからないな」

A「1時間くらいで戻ってくる。それまでにこのビルの再捜索を頼む」

「1時間も寸法を測るのにかかるのか?」エレベーターの耳障りな機械音が目の前まで近づいてきて停止した。

A「いや。計測はすぐ終わるだろう。行きたいところがあってね。」

「どこなんだ?」

A「決定的証拠が眠る場所だよ」そう言い放って、Aはゆっくりと開いた自動ドアからエレベーターに乗り込んだ。

 

わたしは社長室の点検口を捜索した後、全社員(といっても十名だが)を招集し、Aから依頼されたビルの再捜索に関する指示を出した。しかし、結果は予想通り芳しくなく、改めて社長がいなくなったことを徹底的に証明しただけだった。

調査結果を報告する社員一人ひとりの目が不安と焦燥を物語っている。もうすぐAが出て行ってから1時間が経つが何の音沙汰もない。やむを得ないが警察に通報しよう。こんな時だからこそ、副社長の私がしっかりしなければならない。もし最悪の結果になったら会社はどうなるのか?顧客への対応は?社員の人生は?そんな疑問が次々に沸いては消え、私の思考を圧迫する。

こんな時だからこそ、副社長の私が、いや、息子である私が諦めるわけにははいかない。

私は社員に向き合ってこう告げた。

「今こそ、みんなの力と知恵を結集させるときです。社長は一昨日の夜から姿が見えなくなりました。最後に会ったのはこの私です。その時の社長には、不安や心配を表す何の兆候もありませんでした。部屋はいつも通りの状況で、自らの意思で失踪したり、外部の人間による誘拐の可能性も低いと思います。社長はご存じのとおり、大きな空間や開放的な印象を与える場所を嫌っていました。この会社とビル、あの狭苦しいエレベーターさえも愛していました。社長を、父を救うため、もう一度みんなの力を貸してください。何か、どんなことでもいい、気づいたことや気になったことがあれば教えてほしい。お願いします。」

みんなに思いは伝わっただろうか。顔を上げると、真剣なまなざしで私を見つめる一人の聡明そうな青年と目が合った。あれは、たしか……。だめだ、どうしても名前が思い出せない。

あなた「あのう……。もしかすると、あそこかもしれません」

期待に心拍数が跳ね上がるのを感じた。その場にいた皆の視線が若者に集中した。

 

読者への挑戦状

解くべき謎は社長はどこに居るのか?という一点のみ。現時点で、この謎を解くための材料はほとんど揃っている。「ほとんど」と言ったのは、未だ調査へと旅立ったAによる報告が無いからに過ぎない。「あなた」はこれまでに出揃った手掛かりをもとに推理し「どこ」に社長が居るか指し示すことができる。「あなた」が「わたし」に仮説を提示している間に、以下のようなAによる私信が届いたとしても、それは真実を揺るがすようなことは決して無い。もし「あなた」が言葉に詰まったり、ただ一つの真実に対する自信が揺らいだとき、Aの私信が背中を押すことだろう。

 

至急

何度もお前に電話をしたんだが、全然つながらなかったので、取り急ぎFAXでわかったことだけ伝えておく。

まず、部屋の大きさとおおよその壁の厚さ、そしてビル全体の寸法を比べてみたが、壁に不自然な厚みは全くなかった。壁の中にいるという考えは捨てたほうがいいな。

また、ビルの左右、背面に隣接する建築物も無い。隣のビルに飛び移ろうにも、まずこの鉛筆ビルから屋外に出る手段が無いので不可能だと思われる。唯一、ビルの背面にだけ、しかも3・5・7の奇数階らしき場所に2m四方の切り込みのような線が見られたが、建築時にできた痕跡かもしくは点検口程度の用途だと思われる。少なくともビルから脱出するための出口にはならないだろう。

俺は今、役所にきていて、鉛筆ビルの建築図面の写しを交付してもらっている。これが間違いなく証拠になるはずだ。

最後にもう一つ。あとで謝るつもりだが、勝手に警察と消防に通報させてもらった。十分程度で到着するだろう。俺もすぐに戻る。

追伸 図面の交付手数料400円とこのFAX通信費はお前が払えよ。

『ドラゴンの歯』エラリー・クイーン【感想】遅れてきた思春期

The Dragon’s Teeth

1939年発表 エラリー・クイーン14 青田勝訳 ハヤカワ文庫発行

 

前作『ハートの4

次作『災厄の町』

 

 ついにライツヴィルの入り口までたどり着きました。ハリウッドシリーズ最後の一作です。ハリウッドシリーズと言っても、舞台はクイーンの居城ニューヨークに戻ってきます。

 ハリウッド風の味付けが利いているのはそのプロットです。クイーン警視の友人の息子であるボー・ラムメルという青年とエラリーが育む不思議な友情。二人で始める私立探偵社。大富豪の前代未聞の依頼。遺産相続人とのロマンス。

 いかにもハリウッド的な要素がてんこ盛りで、エンターテインメントの王道をこれでもかと見せてつけてくれます。

 作者エラリー・クイーンがハリウッドで映画関係の仕事をしていた影響か、『悪魔の報復(報酬)』~本作あたりは、特に意識したような作りになっています。本作では、登場する小道具に特に注力されており、映画化したかった作者クイーンの雑念も伝わってきそうです。

 

以下、やや展開バレを含みます。

 

 

 

 遺言書を作った大富豪の死、というありきたりな発端ではありますが、その死の詳細を、探偵が探偵できずに進行してしまう滑稽さが良い味を出しています。急病で倒れるクイーンに成り代わって、急遽探偵クイーンに化けることになるボー青年の波乱万丈の冒険も見どころです。

 特にボーの探偵パート(第二~三部)は、ミステリにおいてもその後の展開や、謎とその解決/結末までを決定づける、重要なパートであるとともに、コメディ要素やスリラー色もあって読み応え十分。

 

 第四部以降、先述の大富豪の死を皮切りに、相続人を中心とする大事件が起こり、今まで積み上げてきた登場人物たちの関係性がガラガラと崩れぐちゃぐちゃになって物語の展開を早めます。ここで、前述の映画にピッタリのプロップが再登場して、「そうだよ、ちゃんとミステリが始まるよ」と告げてくれます。

 

 自身を安楽椅子探偵のポジションに動かし、ボーを実働隊とする構成は、手がかり配置やミスディレクションの面で物足りない部分もありますが、クイーンものであまり見ない仕掛けなので、純粋に楽しめます。

 そもそも、ヒントの提示方法/手がかり配置については、物足りないというよりも、クイーンの手練の老獪さ/円熟が感じられる出来になっています。隠すのが巧くなったなあという印象です。

 

 解決の舞台が王道の探偵オン(ザ)ステージになっていうのも、好感が持てる部分。往生際が悪い犯人にイライラしないでもないですが、ここは探偵もだいぶとグレーな捜査をしてきただけに、我慢しないといけません。

 

 ハリウッド、ハリウッド五月蠅いとは思いますけど、最後にもう一回だけ言いますね。

 過去2作でハリウッドの負の面を描いてきたクイーンですが、本作では、陽の部分を表に出して書いているように思いました。わざわざそこ(ハから始まってドで終わる)を舞台にするのではなく、そこの慣習というか様式をニューヨークに逆輸入することで、劇的でありながらポップで明るいミステリを完成させることに成功しています。

 最後の一文まで、お花畑感が強いですが、これって嵐の前の静けさってやつですか?ライツヴィルに行くの怖いです。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 開始数ページでクイーンと仲良くなってしまうボーに惚れる。

 クリスティが男性をマヌケに、セイヤーズが女性から見た理想像に描くのに対し、クイーンは悉く良い面だけを全面に押し出そうとしているように思える。力強さ、誠実さ、行動力、男性的な魅力に満ちた偶像/虚像なのかもしれない。

 

 コール氏の摩訶不思議な依頼から作品のボルテージが高い。

 クイーンの生死の境を彷徨うハプニングが、ボーの探偵パートに繋がる流れも美しい。さすがクイーン、ハリウッドで仕事をしてきただけのことはある。

 ボーが遺産相続人に恋してしまう流れは王道過ぎてクサすぎるが大好き過ぎる。

 結婚してしまうと、相続人から外れるというネタも巧い。

 

 事件が起こらないぞ、と思っていたら、被害者に名乗りを上げたのはもう一人の相続人マーゴ。これくらい露骨に被害者を演じてくれる女性はまあいない。ありがたく死ぬのを待つ。

 

 ケリイの目の前で、マーゴが死ぬ、という演出は意外だった。これで少なくともケリイの単独犯の線が消える。ボーはアリバイがあるため違う。偽装結婚の事実があるため、動機としてはあり得るが……。

 登場人物を整理すると、犯人候補は意外に少ない。ケリイの友人ヴァイ、遺産管理人で弁護士のグーセンス、大富豪の友人で同じく遺産管理人のデ・カーロスのたった三人。

 ヴァイであってほしくは無いが、犯人だったら面白くはなりそう。

 まあ誰一人としてアリバイを確認されないところに、クイーンの手抜き展開重視/偏重の傾向が強まっている部分が読み取れる気がする。

 

 今まで我を通してきた男が、たった一人の運命の女性に出会い、いかに自分がちっぽけで無力な人間かを思い知らされる。というドラマチックな展開でもうお腹一杯。さあクイーンよ、答えを答えをくれ(おれはもうわからない)。

 

推理

ロイド・グーセンス(ヴァイでもデ・カーロスでもないから、というか偽マーゴとタッグを組めるとなるとキャラクター的にグーセンス以外には無さそう)

 

真相

ロイド・グーセンス(偽マーゴと共謀し遺産を奪おうとした。既に本物のマーゴとロイドは結婚しており、マーゴは死んでいる。そこでアンを抱き込み、マーゴの身元証明書類を持たせ遺産を奪うつもりだったが、アンが裏切ったため殺した。トリックはとくになし。万年筆の齟齬は、デ・カーロスが近眼のため、グーセンスの噛み癖がついた万年筆を取り違えたうえに、デ・カーロスがコールに扮装していたため、三重の勘違いが起こった。)

 

 

 『ドラゴンの歯』に関するダブル・ミーニングについては、よくできていますが、メインをはれるほど大物ではありません。容疑者候補3人の誰が偽マーゴとの共犯者であってもあまり大きな影響もないように思えます。ここが、クイーンの美しいロジックから遠ざかっている部分でしょうか。

 エラリーの証拠隠避などの犯罪スレスレの捜査もあって、美しいミステリとは言い難いですが、ハリウッド帰りのエラリーが、おしゃれなニューヨークに戻ってきて、上流社会で生きるクイーン警視を引っ掻き回す物語で、遅れてきた思春期だと思えば納得できないこともありません。

 

 

 

 

        ネタバレ終わり

 

 クイーン中期のミステリには『途中の家(中途の家)』や『ニッポン樫鳥の謎』など、メロドラマを中心にした作品が数多くあるのですが、本作でもハリウッド的な躍動する物語にメロドラマがうまく融合しています。

 そう考えると、中期の作品って、初期のガチガチのロジカルなミステリに比べるとだいぶと軽めの読み口になっている作品が多いので、ミステリ初心者には中期がおすすめなのかもしれませんねえ。

では!

 

 

創元推理文庫版も読みたい。

 

ドラゴンの歯 (創元推理文庫 104-20)

ドラゴンの歯 (創元推理文庫 104-20)

 

表紙、カッケェ……。

 

『エラリー・クイーンの新冒険』エラリー・クイーン【感想】物語同士のギャップも魅力

The New Adventures of Ellery Queen

1935~1939年発表 エラリー・クイーン 中村有希訳(旧版:井上勇訳)創元推理文庫発行

前作『エラリー・クイーンの冒険』

 

各話感想

『神の灯』(1935)

 今回、新旧の『新冒険』と併せて嶋中文庫の『神の灯』も読みまして、合計3回読んだことになるんですけど、読むたびにすげえが溢れました。

 本作は消失系ミステリの超傑作です。恐怖を煽るオカルティックな筆致で書かれる事件そのものが見どころの一つなので詳細は省略します。消失トリックのすごさは言わずもがな、超常的な事象に有無を言わせず論理的な解決を用意するその手腕だけでも称賛に値します。

 さらにこの中編を傑作たらしめているのは、物語の奥深さ。純白の雪の絨毯に隠された、クイーンの最も憎む犯罪が顔をのぞかせる終盤は、その性質と相俟ってゾクゾクとした怖ろしさすら感じさせます。そして、最後に用意された大どんでん返し。もう完璧ですよ。

 ちなみに某有名漫画で、似たようなトリックが使われていたので、トリックについてだけは推測ができてしまったのがほんの少しですが残念です。ミステリ系漫画も良いですが、まずは本作を読んでからでも遅くはありません。

 

『宝捜しの冒険』(1935)

 盗まれた宝飾品を巡る、よくある盗難事件が題材です。真相はかなり見えやすく、手掛かりも明示されているため、難易度はそれほど高くありません。見どころは手の込んだトリックではなく、解決までのクイーンの鮮やかすぎる手腕そのもの。今まで数々の難事件を解決してきた名探偵だからこそ通用する洒落た解決編が秀逸です。

 

『がらんどう竜の冒険』(1936)

 日本人の富豪が登場する一作。日本が物語のプロップに影響を与えているとはいえ、まだまだ日本の文化について浸透していなかった時代、クイーンの目を通して語られるそれは、あくまでも東洋的神秘の一種に過ぎなかったように思えます。

 トリック、真相ともに凡庸な出来ではありますが、こちらも真相までのプロセスは冴えていて、クイーンが手掛かりを得る手段や、犯人の犯したミスに工夫が凝らされています。

 

『暗黒の家の冒険』(1935)

 タイトルどおり、目の前の手すら見えない遊園地の遊戯「暗黒の家」の中で起こる事件が異彩を放っています。一種の不可能犯罪をテーマに、ハウダニットに特化した一作ですが、トリックの奇想はまあまあ。本書で注目してほしかったのは、もう一つの登場人物の特性にあると思うのですが、こちらも投げっぱなしになっている印象は拭えず、論理的な解決、とは程遠い短編です。まあジューナが久々に登場しただけで読む価値はあったと思います。

 

『血をふく肖像画の冒険』(1937)

 万人を魅了する背中をもった魅力的な美女が登場する一編。作中で美女に翻弄される狼たちと同じく、クイーンもふらふらと付いていき、勝手な正義感に燃えて騎士よろしく振る舞う様がユーモラスです。

 一方で彼女を取り巻く状況は不穏で、流血をともなう恐ろしい伝説が物語に怪奇の色を添えています。解決編が多少肩透かしな感じがしないでもありませんが、探偵クイーンの最後の立ち姿は画になるくらいカッコよく、強く印象に残ります。

 

『人間が犬を噛む』(1939)

 『神の灯』を除けば、本書いち「好き」な作品。本作以降は全てスポーツを題材にしたミステリで、スポーツそのものと人々がそのスポーツに懸ける熱量がミステリに上手く組み込まれています。

 それでも物語の中核は、興味をそそる謎とアッと驚かせる解決編。本作は「野球」が題材で、ハウダニットとフーダニットにそれぞれ違った捻りが加えられているのが秀逸です。ポーラ・パリスを絡めた小気味良いオチとエラリーの様子が笑わせてくれます。

 

『大穴』(1939)

 本作のテーマは「競馬」です。ミスディレクションに多少粗があるかな、と思わないでもないのですが、トリックとホワイダニットに工夫が凝らされています。競馬そのものにあまり興味が無いクイーンですが、解決編では短期間で得た競馬知識を駆使し鮮やかに真相を指摘します。

 

『正気にかえる』(1939)

 「ボクシング」がテーマの作品。フーダニット、ホワイダニット、ハウダニット、ともに謎の物量のバランスが取れた作品です。犯人あての難易度は低めですが、真相を当てるロジックに、クイーンらしい論理的な美しさを見出すことができます。

 

『トロイの木馬』(1939)

 「アメリカンフットボール」がテーマの作品。短編ミステリではおなじみの盗難系の作品。失われた宝石の行方を探るオーソドックスな造りで、こちらもトリック自体の難易度は易しめ。しかし、トリックを暴いたところで、パッと頭の靄が晴れるかのように現れる意外な犯人の姿が印象に残ります。

 

おわりに

 ベストは中編『神の灯』を除くと『人間が犬を噛む』でしょうか。「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」この言葉を誰が最初に行ったかは諸説あるそうですが、本書の物語のど真ん中を射抜く的確なタイトルに違いありません。『神の灯』がどちらかと言えば神秘的な、秘教めいた雰囲気に包まれているのに対し、『人間が犬を噛む』はかなり俗っぽくて、ありきたりな題材なのに、ミステリとしての希少価値やサプライズがある、このギャップが魅力です。

 

 どの作品にも明確な見どころが用意されている贅沢な短編集ですが、後半4作に長編『ハートの4』(1938)の関係者が登場する点は注意。物語のネタバレがあるので該当作を読んでからチャレンジすることをお勧めします。

では!

 

 

 

 




 

『十角館の殺人』綾辻行人【ネタバレ感想】自分にとっては遅効毒だったみたい

1987年発表(2007年新装改訂) 島田潔(館シリーズ)1 講談社文庫

次作『水車館の殺人』

 

粗あらすじ

 調度品の悉くが正十角形を模り、摩訶不思議な幽霊騒ぎや陰惨な怪奇事件が纏わりつく十角館を訪れた、大学の推理小説研究会のメンバーたち。推理小説研究会のメンバー全員には、死者からの奇怪な手紙が届いていた。そして、なんの前触れなく”殺人遊び〈マーダーゲーム〉”開幕の鐘が鳴る。

 

 日本における新本格ブームの火付け役綾辻行人の鮮烈なデビュー作をついに読みました。同氏の「館シリーズ」の中でも特に人気が高く、数多の推理小説作家に多大なる影響を与えた、ミステリ史上最高傑作の呼び声高い作品です。

 結論から言うと、もう思いついたもん勝ちというか、このスタイルを生み出してしまった時点で読者の負けは確実です。個人的には、衝撃が強すぎて「ん?」と一瞬思考停止してしまい、最大限に本書の醍醐味を味わえたとは言えませんでした。読み終えて、ようやっとジワジワ/ピリピリと効いてくる、自分にとっては遅効毒のような作品でした。そのスタイルの話のネタバレラインがめっちゃシビアなので、今回はネタバレ前提で感想を書きます。

 

 

 

 

ネタバレを飛ばす

以下、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』および『ABC殺人事件』のネタバレを含みます。該当作を未読の方は、ネタバレを飛ばしてください。

 

 

超ネタバレ感想

 本書は、「陸の孤島」と「クローズドサークル」というミステリファンなら垂涎ものの要素が組み込まれています。これは、紛れもなくミステリの女王アガサ・クリスティの作品『そして誰もいなくなった』のオマージュです。

 閉ざされた限定的な空間で起こる事件の解決として、予定調和的な解決を見た『そしてだれもいなくなった』に比べると、格段にブラッシュアップされ、驚きという一点だけで言えば、『そして-』に匹敵する傑作です。

 比べる必要もないんですけど、サスペンス面では、様々な階層の人間が集まってドロドロとした人間ドラマを展開する『そして-』に軍配が上がります。ただ、舞台が近代日本なのですから、これくらいライトな物語だからこそ、多くの人に受け入れられているのかもしれません。登場人物のキャラクターがそれぞれ特定のステレオタイプに乗っかているのも読みやすい部分。その時代時代に適応して様々に形に変身するのがミステリというジャンルなのだと改めて感じさせてくれます。

 

 もう一つビビっと来たのは、やはり大胆な二場面構成。結局これは、島田潔という安楽椅子探偵を描くためのものでは断じてなく、本書の核となる巧妙なアリバイトリックだったわけなのですが、この事件パートと違う場面を交互に描くパターン。どこかで見たことあるなと思ったら、これもクリスティの作品に有りました。そう、それが『ABC殺人事件』です。

 『ABC-』では、猟奇的な殺人事件と交差して、持病を持ちコンプレックスを抱える青年の葛藤や混乱を描くことで、あたかも事件の犯人がその青年なのではないか、というミスディレクションが仕掛けられていました。もちろんミステリファンが素直に騙されることはないでしょうが、作者による殺人事件とその挿話を結び付けようとする試みは成功していますし、全く関係ない挿話ではなくちゃんと真犯人による策略の一部であることが丁寧に明かされます。

 丸っきり一緒ではありませんが、本書でも『ABC-』同様、島での連続殺人事件と並行して本土の様子が逐一描かれます。『ABC-』の場合は、挿話の人物が犯人ではなく、事件の真犯人によって巧妙に操作されていましたが、本書は逆に(挿話にあたる)本土の人物が島の人間を巧妙に操り、事件を構築しています。だから何だって話なんですが、怪しげな挿話や一見本筋とは関係の無いような話に登場する人物こそ犯人だったら?という視点で作者が本書を生み出したと仮定するなら、『ABC-』と読み比べてみても楽しめそうです。

 もちろん上で述べたことはただの駄弁です。やはり本書最大の美点は、他に類を見ない強烈な叙述トリックでしょう。初めてこんなド直球の叙述トリックものを読んだので、その瞬間はマジで面食らってしまって、驚くより先に思考が停止してしまう情けない読書体験でしたが、今改めて読み返すと、その凄まじさを痛感しています。

 本土での真犯人の様子は懇切丁寧に描写されていながらも、台詞や態度は、アンフェアのアの字も見当たらないほど、また絶対にボロを出さないよう徹底的に計算され尽くして書かれているのがわかります。また、島での犯人の素行や心理描写に、犯人であるが故と言える点が多いのも説得力を高める部分。

 最後に、ちょっと気づいたところとか、巧い!と思ったところだけ書き出しておきます。

  • シンプルに一番最初に島について「諸々の準備」(頁27)をしているのが怪しい。
  • メンバーに出された手紙は本土にいる河南にだけオリジナルで他はコピー(頁110)

  →自分のアリバイを作らせるため、まずは河南を動かした。

  • 探偵・島田にアリバイについて直接聞く度胸(頁112)
  • 守須は「島に誘われたが断った」と言っているにもかかわらず、島のメンバーはそのことに何も触れない(頁114)
  • 自分で安楽椅子探偵を名乗る度胸(頁117)
  • ずっと体調不良のヴァン(二日目・島)
  • 明らかに、島にいる6名の中に犯人がいるという読者への挑戦状(頁151)

  →巧みに本土から目を遠ざける妙手

  • 序盤で一度「守須」という名前に着目させる(頁170)

  →モーリス(・ルブラン)を読者に連想させる。

  • 殺意についての意味深な講釈(頁181)
  • 外部犯の可能性を最初から最後まで捨てていない

  →島と本土がボートさえあれば気軽に行き来できること、紅さんというレッドへリングが冴えている

  • 終始、エラリーとアガサ(主にエラリー)が喋りまくり、進行のための狂言廻しのように動き回るので、ヴァンに目がいかない。というかヴァンがあまりしゃべらない。

 

 

 

      ネタバレ終わり

おわりに

 個人的な好みで言えば、常にミステリを通して旅する感覚を求めているため、普段は海外ミステリ一辺倒なのですが、改めて素晴らしい国内のミステリを読んで思うのは、シンプルにめちゃくちゃ読みやすいということ。本格的に謎解きに挑もうとすると、物語の中の場景とか小道具を細部まで想像することを求められますが、国内のミステリなら、いち読者として識っている/観たことがあるものでしか出来上がっていない世界なので、読みやすいうえに謎解きに挑みやすい。さらに、解決編も飲み込みやすいし、登場人物の性格や行動原理にも納得しやすいことが多いように感じました。

 

 綾辻行人の作品では『霧越邸殺人事件』というのが凄いとよく聞くので、そこまではちゃんと追ってみようと思っています。順番はどれがいいとかありますかね?

では!

 

 

『誘拐殺人事件』S・S・ヴァン=ダイン【感想】ハードボイルドの勢いに押され蹴躓いた一作

The Kidnap Murder Case

1936年 ファイロ・ヴァンス10 井上勇訳 創元推理文庫発行

前作『ガーデン殺人事件

次作『グレイシー・アレン殺人事件』

 

 

 

ネタバレなし感想

 さてさてファイロ・ヴァンスシリーズもいよいよ10作目となった。今までのレビューで、本シリーズについては色々とグチグチ言ってきたが、あと2作でシリーズ全てを読み終えてしまう、と考えるとそれはそれで名残惜しく思う……なんてことにならないのは、本作『誘拐殺人事件』に全責任がある。

 

 言うだけ野暮なのだが、『誘拐殺人事件』というタイトルが煩い。まず本作は、由緒ある旧家のドラ息子が誘拐されるところから始まる。なんと二階の自室から大の大人が窓を伝って誘拐されたらしい。窓敷居には5万ドルもの身代金の要求書。ザ・誘拐事件な展開だ。それでもファイロ・ヴァンスは意味深長な間合いで「やっこさん、もしかすると、もう死んでるよ」と宣う。でしょうね。だって誘拐“殺人”事件だものね。

 もちろん、ヴァン・ダインは並大抵の作家じゃないので、ここに様々な物語の展開を用意していて、自作自演だの、苛烈な銃撃戦、第二の誘拐事件が嵐のように巻き起こる。ここは一筋縄ではいかない。

 単純に“誘拐”と“長編ミステリ”を掛け合わせるという試みは面白いのだが、そもそもの誘拐事件に緊張感が全く無いので、興味が全然増進しない。誘拐とミステリ、と聞いてもパッと思いつくものは少ないが、日本の推理作家法月綸太郎の『一の悲劇』は、誘拐が長編ミステリに巧妙に組み込まれ、タイムリミットサスペンスの緊迫と、魅力的な殺人事件のバランスが良い作品だったと思う。それに比べ、本作は誘拐される人間に魅力が無い

 当たり前だが誘拐される人間というのは、誰かに「必要とされ」「愛されている」人間であるべきだ。どれだけお金を積んでも返してほしい、命を代えても犯人と交渉する、そんな気持ちにさせるような人間が誘拐されてほしい。しかし、本作で誘拐される人間は親類や知人にお金をせびり、放蕩する問題児。誰にも感情移入できず、別に誘拐された人間がどうなってもかまわない、そんな荒んだ心理状態になる。

 

 誘拐殺人事件というタイトルに引っ張る力は無いが、中盤以降ちょっとずつ面白くなってくるのも事実。特に第二の誘拐事件が起きて以降だ。なぜ第二の誘拐が行われたのか?複雑に絡み合う(単純だけど)誘拐犯の思惑と、背後に潜む暗黒街の悪党どもとの関係は?関係者たちの証言の食い違いは何を意味するのか。二転三転とまではいかないが、倒立前転くらいの小技は見せてくれる

 

 作品全体の意匠に、当時隆盛期だったハードボイルドの脈動が感じられるが、そこは不整脈気味。オチはいたってオーソドックスなもので、古典的なミステリを踏襲する形で王道を逸脱しない。最後、ヴァンスが全くの無表情で犯人に近づき、正確無比な手練で鉛玉を胸に三発撃ち込んだ、とかならもしかすると時代は変わっていたのかもしれないが、やっぱり変貌し続けるヴァンスは見たくないとも思う。古の老紳士カーリーに給仕され、同じくらい古びた美術品を眺めながら蘊蓄を浴びせるクールな探偵に魅了されたのだから。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 推理という推理はないのだが、まず自作自演はない。普段から金をせびっていて、最終手段が誘拐、は考えられない。誘拐するシチュエーションも現実的でない。どちらかというと、自分から出ていった可能性の方が高い。(出ていった現場で誘拐、そのまま殺されたか?)その後、犯人が部屋に細工し、自作自演の可能性を演出した、と考えれば、部屋の不自然さの答えとミスディレクションが揃う。

 身代金受け渡し時のドンパチがあって、明らかに真犯人と誘拐の実行犯は共犯関係にあると思われる。

 ここで俄然怪しく見えてくるのは弁護士フリール。ケンティング家の財産管理人で遺言の共同執行人である彼が不正をしていた、と考えると、ケンティング家から金を巻き上げる口実になる。放蕩息子のカスパーは良い当て馬になるはずだ。そう考えると、フリールへの銃撃はギャングからの脅しに違いないし、ケンティング夫人誘拐も、身代金が支払われないことに痺れを切らしたギャングたちの強行だという説明がつく。

犯人

エルドリッジ・フリール

 まあ、これくらいなら推理とは言わず、ただの消去法だろう。

 ひとつだけオシャレだな、と思ったのは、ケンティング夫人が誘拐された後フリールに送られた脅迫状が、フリール本人にあてた共犯者からの真の脅迫状だったということ。本文中に暗号が書いてあったことから、ここでフリールが犯人なのは確定するが、二度目の誘拐事件なので、どんな脅迫の文句もそれらしく見え、一見直接犯人を告発する手掛かりになっていないのは巧い。

 一方で、エメラルドの香水はやりすぎに思えた。フリールの秘書がブロンドじゃなくて、エメラルドの香水がブロンドの人向けじゃない……って、直接的すぎでしょ。まあ嫌いじゃないけど。

 

 

 

 

 

 

 

      ネタバレ終わり 

 もう一つ言い忘れていたが、本書には、30頁弱のあとがきという名のヴァン・ダイン自らが筆を執った自伝が掲載されている。(実際には1936年に発表されたファイロ・ヴァンス殺人事件集という長編作品集の序文)これは一部評伝によると、粉飾だらけと聞いたことがあるのだが、嘘か誠かはどうでも良い。シンプルに面白いのだ。

 1935年ニューヨークにて書かれたこの自伝は、当時のアメリカを飲み込んでいたミステリのビッグウェーブを描写しているし、なにより大ヒットに大ヒットを重ね、懐がほくほくとあったまったヴァン・ダインの余裕とか(過剰な)自信、葛藤(というか言い訳)、(強がりにも聞こえる)老後の悠々自適な展望/願望など、作者のそのままが投射されている。さらに、この序文を書いた僅か四年後に51歳という若さで亡くなったというのがまた無常の感を強くさせる。

 もっと長く生きていたら、ミステリ界の重鎮として、鋭い目線と豊富な知識を駆使し、若手ミステリ作家の作品に辛辣なダメ出しをしていたのじゃないか、エラリー・クイーンを愛弟子とか言っちゃってたんじゃないか、と想像を逞しくしてしまう。まあその儚さも、ファイロ・ヴァンス特有の輝きだったのかもしれない。

では。

 

 

誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)

誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)

 

 

 

『骨董屋探偵の事件簿』サックス・ローマー【感想】フー・マンチュー以外にも面白いのあるはず、もっと翻訳しませんか?

The Dream Detective

1920年発表 骨董屋探偵モリス・クロウ 近藤麻里子訳 創元推理文庫発行

 

 

 

サックス・ローマーという男

 サックス・ローマーことアーサー・ヘンリー(サースフィールド)・ウォードは1883年にイングランド、バーミンガムに生まれました。仕事一徹の父親とアルコール依存症の母親という複雑な環境に育ったローマーは、公務員や銀行員、ジャーナリストなどの経験を経て、劇場の脚本や戯曲を書く仕事に落ち着きました。当時の高名なパントマイミストであったジョージ・ロービーの歌やひとり芝居の台本を担当し一定の成功を収めたそうです。

 ローマーの名をさらに知らしめたのは、東洋人による世界征服という野望のため、西欧で暗躍する中国人フー・マンチューが登場する『フー・マンチュー博士の謎』(1913)でした。西欧を破滅へと導く中国人という設定は、良くも悪くも当時世間をにぎわしていた「黄禍論」という東洋人を蔑視・危険視する思想と結びつき、大衆の強い支持を受けました。その人気は、あのシャーロック・ホームズやゴシックホラーの代表格であるドラキュラに比肩する勢いだったといいます。

 彼が創造した探偵の一人は、本書で主人公を務める骨董品屋の店主モリス・クロウです。彼の元には、スコットランドヤードのグリムスビー警部補が解決しきれずに持ってくる難事件が集まります。クロウの推理方法はかなり異端で、現場に枕を持って赴き、そこで一晩過ごした後みる夢のお告げ/神の啓示/インスピレーション/精神感応から謎の真相を暴く、というもの。かなりオカルティックな内容ではありますが、意外にも結末は現実的で、東野圭吾『探偵ガリレオ』のような摩訶不思議な超常現象に論理的な解決があるミステリのはしりなのかもしれません。

 設定や題材に特徴がありますが、それよりも本書の魅力は、モリス・クロウを取り巻くキャラクターたちにあります。クロウの事件を記録するビビりの語り手サールズや、絶世の美女でクロウの助手であり娘でもあるイシス、クロウを利用し出世を目論むグリムスビー警部補など、キャラクター同士のバランスというか、強弱の塩梅が良く、物語に引き込まれます。

 このままだとちょっとわき道に逸れそうなので、各話感想に入ります。

 

 

各話感想

『ギリシャの間の悲劇』

 死の部屋系(入るだけで死んでしまう部屋)のはしりとでも言えそうな一作。博物館の間の一つで起こる不可思議な現象と、連動して起こる関係者の死、というオカルティズム満載のストーリーが見どころですが、解決はやや肩透かし。

 黄金時代の某巨匠の長編にも同じテーマのミステリがありましたが、やはり短編くらいのボリュームが丁度良いと思います。しかし、トリックに頼り切りにならず、怪奇現象と紐づけてちゃんとオチ(着地点)を用意しているのは巧みです。

 

『アヌビスの陶片』

 エジプトから出土した曰くつきの陶器という魅力的な小道具に、ザ・オカルトな降霊会が組み合わさって摩訶不思議な盗難事件へと繋がります。仕掛けはいたって小粒ですが、本だからこそ通用する、むしろ本でしか出せない味わいがあります。

 

『十字軍の斧』

 グロテスクな事件と調和する小道具“十字軍の斧”が異彩を放っています。最有力容疑者に思える人物は、殺害が不可能だった⁉というある種の不可能犯罪をテーマにした作品です。強固な不可能状況に加え、手掛かりから読者の目を背けさせ、煙に巻く探偵の手腕(文字通りの)が秀逸です。

 

『象牙の彫像』

 本書で登場するトリックは。盗難系のトリックの中では、やや使い古された感もありますが、事件の演出力が高いのでなかなか侮れません。彫像の特徴が巧く事件の構築に組み込まれている点もさすがですし、探偵クロウの解決のプロセスの神秘的な様も雰囲気に合っています。現実的かどうかはご愛敬ですが……。

 

『ブルー・ラージャ』

 『象牙の彫像』以上に陳腐なトリックがややげんなりさせますが、たまにはこれくらいベタな作品も悪くありません。それだけ。

 

『囁くポプラ』

 怪奇要素が全面に押し出た、本書の中ではベストの作品。サプライズは及第点でも、伏線の張り方が上手く、演出から解決まで隙のない一作です。

 また、捨てキャラが無く、主要キャラクター全員が物語に影響を与え存在感がしっかりあるのも推しポイント。特に語り手サールズのビビり具合が面白いです。

 

『ト短調の和音』

 トリックも何もあったもんじゃないですが、あえて言うならホワイダニットに工夫が凝らされた作品です。死体の痕跡と夢の中の和音というアイデアだけで突っ走る強引さは爽快ですが、ミステリとしては物足りない部分も。

 

『頭のないミイラ』

 ここにきてモリス・クロウの可愛いさが爆発しています。次々と首を切り落とされるミイラという謎も魅力的ですが、本書で初めて失態を犯すクロウと、彼に軽口をたたくグリムスビー警部補とのかけ合いも楽しく、本書次点の出来です。その分、謎解きの質には目をつぶりましょう。

 

『グレンジ館の呪い』

 恐怖をあおる作品の雰囲気は上々ですが、やはり障壁はトリック。エポックメイキングな仕掛けと歴史ものの要素を組み合わせてはいますが、さすがに現代の読者には通用しないのではないでしょうか。本作でもビビりまくるサールズが見どころです。

 

『イシスのヴェール』

 ビビりまくるサールズその3です。タイトルからして本書の掉尾を飾る作品になる……かと思いきや……という作品。

 サールズ曰く「自然と超自然の間」に位置し、『頭のないミイラ』の属する作品とされていますが、該当作の解決の説得力と比べてもどうも釈然としないところがあります。

 根底にあるテーマは科学と怪奇の融合した上質なものだけに、論理的な穴が多いのが玉に瑕。まあ、あえて詳しく解説しないという「粋」なところもあるのかもしれません。

 

おわりに

 冒頭も言いましたが、謎と解決はさておき、キャラクターものとしてかなりちゃんとした部類に入るミステリなので、本作で終わってしまった悲しさと勿体なさが強く残ります。「一晩で解決が視えてしまう」という特性上長編向きではありませんが、もう何作か短編で読みたかった……。グリムスビーのイシスに対する視線も気になるところですしね。

 今回記事を書くときに色々調べたんですけど、サックス・ローマーという作家の情報自体がなかなか出てこなくて、出てきても怪人フー・マンチューのことばっかりでした。ってゆうか、ローマーが書いた約70の著作のうちフー・マンチューものってたった13作なんですよ。ローマーって伝説の奇術師フーディーニと友人だったらしくて、彼に影響を受けて書いたオカルトの本だったり、魔術師をモチーフにしたキャラクターがいたりと、絶対他にも面白そうな本がたくさんありそうなんだよなあ。是非、翻訳家の皆様、各出版者の皆様、面白そうな本があったら邦訳してくれませんか?ちゃんと布教しますよ。

では!

 

 

骨董屋探偵の事件簿 (創元推理文庫)

骨董屋探偵の事件簿 (創元推理文庫)

 

 

『ハイヒールの死』クリスチアナ・ブランド【感想】説得力は無いが確かに傑作の萌芽が在った

Death in High Heels

1941年発表 チャールズワース警部1 恩地三保子訳 ハヤカワ文庫発行

次作『ジュゼベルの死』(コックリル警部4) 

 

 

 

 クリスティやクイーン、カーと並び称される推理小説作家クリスチアナ・ブランドの処女長編です。まずは作者紹介をば。

クリスチアナ・ブランドという女

 1907年現在のマレーシアに生まれる。幼少期はインドで過ごし、その後イギリスに帰国するが、17歳の時に父親が破産し、独りで身を立てなければならなくなる。以後10年にわたって、モデル・家庭教師、ダンサー、ホステス、秘書など職を転々とするが、転機となったのは、売り子の仕事で職場の女性の売り場主任に虐められた苦々しい経験だった。この女性主任を被害者のモデルに書いた作品がデビュー作『ハイヒールの死』(1941)である。

 ブランドが創造した探偵のうち高名なのは、本作で登場する女性にめっぽう弱いチャールズワース警部と、彼と同じ世界線で活躍する〈ケント(イギリスの州)の鬼〉ことコックリル警部。コックリル警部ものはまさしく”傑作”と称される作品が多い。魅力的な謎、エキセントリックな登場人物たち、大胆な手法で仕込まれる伏線と手がかり、鮮やかかつ驚愕のトリック、アクロバティックなどんでん返しの数々。こう聞くだけで只者じゃないことがよくわかる。それら傑作を読んだことが無いので創造だけが膨らむが、今はクリスティ、カー、クイーンを合体させたかのような超人が思い浮かぶ。

 

 

ネタバレなし感想

 第一章からめちゃくちゃ読みにくい。中身は、事件の舞台になるであろう服飾業界とそこで生きる女性たちの紹介が主になる。随所にユーモラスな(笑わせようとする)記述が散らばり、「面白いんだろうな」とは思うが実際には面白くはない。ここは国柄(言語)の違いだろうか。

 また、登場人物に彩はあっても、個性が感じられないのも入り込めないポイント。もちろん彼女たちの人生は千差万別だし、抱える悩みや野心もそれぞれ違う。それでも、なんだかよくわからない現象が生じるのは、たった1章に詰め込まれた登場人物とカタカナの多さのせい。

 人物だけでイレーネ・ハリス・ヴィクトリア(あだ名はボビイ・ダズラー)・レイチェル・ドゥーン・ベヴァン・アイリーン・ホワットシット・グレゴリイ・ジェシカ・ジュディ・マカロニと大洪水。それに加え、クリストフ衣裳店やドーヴィル(地名)の店、ミッチェルの店などがぼこぼこと増殖する。細かいところで言うと、“グレイの服”とかも鬱陶しくなってくる(イが腹立つ)。同じ登場人物なのに、名前と苗字どちらも多用されるのもきつい。

 さらに難儀だなと思ったのは、とにかく会話が多いこと。さらさらと読み進めることができる叙景描写や説明文がほとんどない。事件に関係してきそうな手掛かりが会話の中にちりばめられているので、しっかり読まないといけないにも関わらず、誰が喋っているのかよくわからないまま進行するのでかなり疲れる。蛇足だが、改めてヴァン・ダインってすごいなと思った。彼の作品のいくつかは、それこそ衒学的な記述を丸々読み飛ばしてしまっても、ミステリとしては読めてしまうし、推理だって成立してしまうこともが多い。逆に、凝った記述の部分は、自分の知識欲を刺激する場合にはミステリと関係ないところで楽しい読書になるし、頭を休める機会にもなる。その点本書はまるっきり違い、どこも気が抜けない。もちろん登場人物同士の会話から、相互の関係(動機探し)や、事件前後の詳細な動き(アリバイ)に関する手掛かりを得られるのだが、重要であろう手掛かりの合間に、冗談めいた記述や、世間話がどんどん侵入する。気が抜けない。しんどい。そんな状況が400頁以上続くのだ。

 

 ただ、肝心のミステリの部分はと言えば、一点を除いてよくできていると感じる。アリバイと動機を事細かに洗い出し、犯人と犯罪のありとあらゆる組み合わせを試しながら真実を絞り込んでいく過程は、なかなか旨味がある。解決編自体は登場人物の派手さに比べ地味だが、終盤の展開は豊富だし、伏線の回収も丁寧に行われている。それでも、前述の会話の煩雑さに刃毀れしてしまっている印象は拭えないのだが。

 

 クリスチアナ・ブランドの持ち味は、二転三転する驚愕の結末、張り巡らされた伏線とその回収、精巧細緻なプロットにあるらしい。ここにユーモラスで生き生きとした登場人物たちが配役されていることがクイーンと違うところだろうか。しかしながら、本作ではまだ覚醒前なのか、その魅力が100%伝わってこない。ブランドは傑作揃いと聞いて最初に手に取ったのが本作だったら、一定の割合で落伍者が出るんじゃないかというレベルで物足りない。

 唯一というか、個人的にしっくりきたのは、探偵役チャールズワース警部のキャラクター。恋愛体質の名探偵って今までに無かったように思う。しかも、手あたり次第恋に落ちるというタイプではなく、ちゃんと探偵としての観察眼が備わったロマンスになっているのが良い。というか恋に落ちて多少観察眼と判断力が曇るのがさらに良い。

 また、チャールズワースとタッグを組む中年のビッド部長刑事も渋い。この立場が逆転したベテランと若手というバディーは決して派手なドンパチを起こすわけではないが、堅実で忍耐的な捜査で着実に真相に近づいてくれるし、何より厭味がない。

 中盤以降登場するチャールズワースの同期生でライバルのスミザーズも同様にキャラがたっている。このあたりのキャラクターの掘り下げやプロットのブラッシュアップが今後進む、と考えると、次作以降大いに期待できると思う。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

今回、いつも以上にまともに推理ができていません。ごめんなさい。

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

 第一章から頭が痛い。印象に残った人物は、誰からも好かれそうにないミス・グレゴリイとおっちょこちょいなマカロニだけ。他の販売員たちは覚えれる気がしない。

 

 少し読み進めれば慣れるだろうと思ったが、何章になっても朧気にしか記憶できない。

 衣裳店のオーナーは誰彼構わずちょっかいを出しているようだが、誰と、いつ、くっついているのか情報の整理が捗らない。シンプルに物語だけ楽しむか……。

 

 第二の事件が起きてようやっと容疑者が絞り込める。グレゴリイ、ヴィクトリアレイチェルアイリーンジュディの誰か。

ヴィクトリアではない(チャールズワース警部が惚れているから)。

 

この時点で解決できていない謎は

・別の薬局で蓚酸を買った人物

・イレーネの遺書を書いた人物

・そもそも何故ドゥーンを殺さなければならなかったか

全然わからん。お手上げ。

 

犯人

ミス・グレゴリイ(トリック:僅かな空き時間で別の方法で毒薬を入手するアリバイトリック。動機:愛した男の近くに居るために、恋敵を殺した)

 

 あらためてさらっと見返してみて、頁34~35に動機がそのまんま書かれていた。第一章こそがめちゃくちゃ大胆不敵な伏線の塊だった……。

 遺書を偽造した大きな手の手がかりも頁340でひっそり忍ばされている。会話の中でさりげなく配置するオシャレな叙述のテクニックは、ブランドの十八番なのかもしれない。次も気を付けよう。

 

 

 

 

      ネタバレ終わり

 400頁を超える雄編ですし、登場人物のややこしさもあるんですが、意外とするすると読めるんですよね。ユーモラスな会話や解決を競う若手警部同士の火花散らす推理対決も背中を後押ししてくれます。まあ逆に気を抜いて読み過ぎて、重要な手がかりをいくつもすっ飛ばしていたわけですが……。

 後の傑作を読んでいないのになんの説得力もないですが、傑作の萌芽”っぽさ”は確かにありました。デビュー作でここまで大きく物語を広げて、かつ綺麗に畳めるだけでも凄いです。また、ちゃんと強めのミスディレクションがあって、それをおざなりにせずに論理的に解決してしまう技巧もデビュー作とは思えない完成度でした。

では!

 

 

『フレンチ警部と漂う死体』F.W.クロフツ【感想】名作のポテンシャルはあり

Found Floating

1937年発表 フレンチ警部16 井伊順彦訳 論創海外ミステリ

前作『船から消えた男

次作『シグニット号の死

 

ネタバレなし感想

 本作のテーマは王道中の王道、富豪の一家に巻き起こる親族間の争いです。人生の晩年に差し掛かり気力体力ともに衰えを感じている経営者、才能はあるが不真面目な甥と望まれない後継者、一家を切り盛りするため悪戦苦闘する女性と何かをひた隠しにする姪。彼らが一堂に会する場所で騒動が起こらないはずはありません。

 設定は王道ですが、その後起こる事件はまったく予想だにしない展開をむかえます。ここはクロフツの意外に器用なところというか、遊び心がある部分です。そして、この遊びの部分の中に、しっかりと本編の伏線と手がかりが含まれているのは言うまでもありません。

 

 クロフツもののもう一つの楽しみ、作者のマニアっぷりがわかる詳細過ぎる描写も健在です。本作が発表された前後数年は、たぶん船ブームだったようで『ヴォスパー号の喪失(遭難)』『船から消えた男』『シグニット号の死』と立て続けに船が登場するミステリを世に送り出しています。本書でも、中盤の一番大事であろう二、三章がほとんど船の描写で埋まっているのは、なんともクロフツらしいと言えるでしょう。

 また、地中海クルーズの魅力を伝える中東の叙景描写も精緻で、旅行好きのフレンチ警部の捜査そこのけの熱中ぶりがユーモラスに描かれています。

 

 フレンチ警部の捜査、と言いましたが、実際に登場するのは中盤以降。フレンチ警部の出番が来るまでは、事件が起きた地元の警察が担当していて、いつものように地元警察では解決できない難事件がまわりまわってスコットランドヤードに到達してくるというわけです。

 ここも「クロフツ、巧いなあ」と思う部分なのですが、持ち込まれ型の事件を捜査するフレンチ警部のよくある導入っていうのは、事件について「ちょっと知ってるけど、詳しくは知らない」レベルのぼんやりとしたもの。ここで地元警察がやってきて、一から丁寧に説明を始め、その後フレンチ警部は自問自答のようにおさらいをしながら、疑問点・不可解な点を一つずつリストアップしてゆきます。この過程が読者に対するフェアプレイ&カインドネスの表れなんですよねえ。一度関係者の目線で物語をなぞってから、改めて探偵の視点で事件を検討させてくれる、この徹底した親切心こそクロフツ作品の長所と言っても良いかもしれません。

 

 じゃあ、2回も丁寧に事件を検討できるんだから、謎解きだって軽めでしょ?とお思いかもしれませんが、本作の難易度は高めです。というのも、ある重要な手がかりが完全に(しかも意図的に)隠されているからなのですが、決してフェアプレイを遵守していない!と非難される類のものではなく、手がかりが隠された必然性、そしてその他の物的・状況証拠はこれでもかと揃っています(というかフレンチ警部が勝手に揃えます)。

 

 他にも細かい点で推しポイントが多いんですよ。例えば、ホームズものを彷彿とさせる味わい深い解決編では、古典ミステリの醍醐味をとくと味わえる形になっていますし、ロマンスも“古き良きイギリスのラブコメ”って感じがして実に良き。短いながらも温かみのあるエピローグは読者に寄り添った証だし、フレンチ警部ファン向けにはフレンチ夫人の久々の登場というサプライズも待っています。

 トリックだって、切り取って眺めてみるとめちゃくちゃ手が込んでて、しかも新奇ですからね。添え物が渋めなだけで、名トリックのポテンシャルは秘めてますからね。

 

 元々地味なフレンチ警部シリーズの中で、際立った名作というわけではありませんが、見どころのとても多い作品なのは間違いありません。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 舞台設定はよくあるパターンなので、このまま行けば邪魔者のマントもしくはウィリアムが消され、ジムに容疑がかかる展開になるだろう。

 慣習通りの推理にはなるが、もちろんジムが犯人ではないだろう。遺産目当てのジェリコーとかだと面白そうだが。

 

 屋敷での中毒事件は誰にも犯行の機会があるので一端推理からは外しておく。船で起こったマント殺害のトリックを解き明かすほうが先決。

 

 気になったのは、マントの死体の傷。足首に巻き付いたロープ痕と切断傷。閃いたのは、船から死体が遺棄され、それが船のスクリューに接触して切り傷がついた。これは良い線いっている気がする。

 問題は船からマントが下船した記録があること。入れ替わりトリックぐらいしか思いつかないが、なんとなく前提条件としてはマント下船は確実に見える。

 となると、犯行に人数をかけることができるダグデール夫妻が疑わしいが、下船したマントを殺して改めて船内から遺棄するメリットがあまり無いように思える。地中海のど真ん中で沈んでくれれば見つからずに済むのは確実だが。

 

 最終盤、ウィリアムの過去/身辺調査をするに至って、ようやく犯人が見えてくるがこれではほぼ負けと言っていい。

犯人

ウィリアム・キャリントン(動機:過去に犯した過ちをネタに被害者から脅迫されていた。トリック:親族ゆえに似ていることを利用した変装トリック。)

 

 遺体に結び付けていたロープが船のスクリューで切られなかったら間違いなく完全犯罪になっていただろう。それだけ完成度が高い事件だった。

 一件目の中毒事件であっさり死んでいれば、ウィリアムとは違う別の人間が誤認逮捕されていたかもしれない、と考えると、これで良かったのかもしれない。

 

 ウィリアムとマントの関係が周到に隠されていて、仄めかしすら無いのが一見アンフェアにも思えるが、よくよく考えてみるとそうでもない。

 たとえ彼らの関係が手がかりとして提示されていたとしても、マントの招集とウィリアムの療養/転地/引退が、ウィリアム自身の意思で行われているように書かれているし、船でウィリアムが体調を崩したのもジェリコー医師によって保証されているので、真っ直ぐウィリアムを疑う状況に無かった。また、ジェリコー医師が客船での旅行を勧めたように見えているのも巧い(頁136)。スクリューの不運を除けば、ウィリアムは上手く時機を掴んで犯行を実行したことになる。ウィリアムが泳ぎが得意な伏線もちゃんとあった(頁5・274)

 

 あえて気になるところを挙げるとするなら、ウィリアムじゃなくてもジムでもジェリコーでもルーク(・ダグデール)でも誰でもマントに変装できた可能性を排除していないこと。よく見たらウィリアムがマントに「似ている」それだけで、ウィリアムが犯人だと論理的に証明できているわけではない。まあ、この中で上陸せず船に残っていた人物はウィリアムただ一人なので、①船内から遺体を遺棄しなければならなかった(遺体への工作の時間が必要)、②マントに化けて一度上陸し、泳いで船に戻ってくる必要があった(濡れたまま再上陸は不可能?)という理由から、ウィリアム犯人説はかなり強固になる。

 

 

          ネタバレ終わり

 2004年になってようやく初訳、ということですが、これは論創社天晴!ってゆうか本書って、論創社の“論創海外ミステリ”の創刊に際し発表されたんですね(発表順は4番目)。今では250作を超える長寿シリーズの最初期を支えた一冊ということでしょう。面白くないわけがないですよ。

では!

 

 

 

『その裁きは死』アンソニー・ホロヴィッツ【感想】次もめっちゃ期待しているのは秘密だ

The Sentence Is Death

2018年発表 ダニエル・ホーソーン2 山田蘭訳 創元推理文庫発行

前作『メインテーマは殺人

 

 

 

ネタバレなし感想

 『メインテーマは殺人』に次ぐ、ホーソーン&ホロヴィッツシリーズ第二作。メインキャラクターの紹介や、探偵と語り手の特殊な形の提示に頁を割いた前作に比べて格段に読みやすくすっきりとしている。一方でシリーズものの特徴が出すぎて単体として読めない弊害があるようにも思えた。

 

 前作では、事件そのものが派手でセンセーショナルだったが、本作はいたって普通。なんてことない人物がなんてことない死に方をする。もちろん現場に残されたダイイングメッセージは、本書の大きな謎として機能している。

 また、事件が起こった背景は叙景描写から丹念に造り込まれ、堅牢な下地の上に建つ物語も、作者の綿密なリサーチや蓄積した知識の賜物だと実感する。この信頼感というか、このクオリティの作品なら絶対に大ゴケしないだろうという安心感がすごい。どの章でも、(ホーソーンや作者を通して)どの描写が手掛かりですよ、と明示されているし、その明かし方(順序や大小)のバランスがまた巧い。どのヒントも、頁を繰れば自然と集まってくるような一方通行のものではなく、時には物語を遡ってみなければ、見方が変わらず手がかりの新たな側面が見えないような造りになっているのもさすがとしか言いようがない。

 

 そして圧巻は、解決編の鮮やかさと、傑作級のサプライズ。久しぶりにミステリの醍醐味であるゾクゾクとしたあの感じを味わった。とはいえ、その驚愕のラストも推理の枠外から突然飛び出てくるタイプのものではなく、犯人を指し示す伏線以外にちゃんと読者を説得させる特殊な描写があったように感じている。ここらへんはネタバレ感想で。

 

 本書の核をなす事件に関連する謎だけでなく、容疑者たちに秘められた謎にも余念がない。それは、本案件に自らどっぷりと浸かり、かつ業界の内情や作家としての経験に裏打ちされた著者ホロヴィッツの卓越したテクニックの集大成である。

 さらにシャーロック・ホームズ愛に満ちた描写が多い点も見逃せない。ただ、シャーロック・ホームズを全作読んでいるのが当たり前!と言わんばかりにネタバレ気味な箇所があるので未読の方は注意されたい。

 

 最後に探偵ダニエル・ホーソーンについて。本作では、新たにホーソーンが現職時代の同僚や関係者、彼の隣人が登場し、彼のプライベートがのぞき見できる。しかし、本作で彼の過去が全て明らかになる、なんてことはなく前作以上に謎めいてきたのも事実。同性愛者への怒りみたいなものの源泉や、彼が過去に犯した失態の真相も闇の中。過去に繋がりのあった人物には悉く嫌われているが、隣人たちの評価は高い。敵(尊敬に値しない)と判断した人物には容赦がないし、真相を知るため、秘密を暴くためにはどんな手段も厭わない。真実を追い求める者とは、修羅と化す必要があるのかもしれない、そう思わせるほど、徹底的に自分を「あるべき姿」に同化させていく。その言動の奥底には何があるのか。全十巻で構成される予定のホーソーンシリーズ(著者談)のどこかで、全て明らかにされるに違いなく、これからも目が離せないシリーズになりそうだ。

 ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

まずは謎の整理

ダイイングメッセージ「182」の意味

→Blink-182しか思いつかんかった(冗談)。順当にいけばアキラへのミスディレクションだが、そんな簡単な答えじゃないだろう。

被害者の「もう遅いのに」の真意

→何かの事後に来訪者があった?=もう取り返しはつかないぞという脅し?←殺害の動機

実際に遅い時間だった?=誰かが被害者になりすました?

その人物にとって遅い時間だった?=本来なら寝ている時間、生活が逆転している人物?←アホンダラ

アキラ・アンノの隠し資産

→犯罪まがいのこと。ホロヴィッツが一矢報いる流れ?

「長路洞」で起きた本当のこと

→間違いなく事故ではない。故意だとするなら、死んだチャールズ・リチャードスンの妻ダヴィーナが最有力。←作者の思う壺

 

 

 第一の事件は、グレゴリーの轢死事故。第二がリチャードの殺人。となるとリチャードがグレゴリーを殺害したという線もあるか。

 チャールズの死の真相を知るグレゴリーがリチャードを脅迫する→口封じのためグレゴリーを列車事故に見せかけて殺害→リチャードは別の理由で誰かに殺される。こんな流れもあるかもしれない。面白くないけど。

 ただ、グレゴリーのリチャード脅迫に説得力がない。なぜ今になって脅迫し始めたか、とか、グレゴリーの妻のスーザンに秘密を打ち明けていない保証がない中グレゴリーを殺す可能性が無いなど、欠陥だらけ。

 

 もしかすると「長路洞」で何が起きていたか疑っていた人物=デイヴがリチャードとグレゴリーを脅迫していた?グレゴリーに金が無くなって、標的をリチャードに変えたのかもしれない。

 ダヴィーナの発言「男の人がいてくれないと―どうにも役立たず(頁230)」はダヴィーナと繋がる男性の影を示している。これがデイヴだったら?長年グレゴリーを裏切り続けていたとしたら?デイヴがグレゴリーに保険金を残して死ぬ方法をこっそり伝授していたら?デイヴとダヴィーナが手を組んで、リチャードを強請ったが突っぱねられたら?逆にデイヴとの仲を見抜かれ、脅迫の罪で裁判を起こすと訴えられたら?ありかもしれない。

 まあそうなると、デイヴが自らホーソーンに「長路洞」の事故に疑いがあるって進言した意味がようわからんけど(捜査かく乱のため?)。

推理

デイヴ・ギャリヴァン

ダヴィーナ・リチャードスン

真相

コリン・リチャードスン

 

 はあ……久々にガツンとやられた。「もう遅いのに」が言われた人物にとって遅い時間だった、とかグレゴリーの自殺の真相、とか所々で真相を掠めていた。

 

 もしかしてホロヴィッツ、もの凄いことしたんじゃない?というのは、ホーソーンの読書会メンバーの一人で筋ジストロフィーを患っている少年ケヴィンの配役である。

 ホーソーンとケヴィンの関係性は、単純にシャーロック・ホームズで言うところのベイカー街遊撃隊(ベイカーストリートイレギュラーズ)のようなものかもしれないが、その詳細が本作で語られることはなかった。さらに、ケヴィン自身がホーソーンとの関係を否定している。

 しかしここで注目したいのは、彼が重大なプライバシー侵害と違法なクラッキング行為を行う犯罪者としての側面を持っていた、ということ。つまり“子ども”が“犯人”であるというモチーフが既に提示されていたのだ。大人が思っている以上に子どもは狡猾で悪賢く、油断できない存在であり、文明の利器を駆使し大人が考え付かないような方法で犯罪を犯す実行力/行動力があるという伏線が巧妙に張られていたのだ。だからこそ、犯人あてのシーンには、サプライズと同時に、強い説得力があるのだと思う。

 

 

 

 

       ネタバレ終わり

おわりに

 目が離せない、とか言っときながら恐縮だが、今後ホーソーンの謎と事件の謎のバランスが悪くなると、かなり評価がブレる作品群になると思う。

 そもそも、ホーソーンを始め(作者ホロヴィッツも)キャラクターに愛着が全然沸かないので、“ホーソーンの謎”と言われたところで、あまり興味がない自分もいる。

 前作は、“メインテーマ”である殺人事件の謎>ホーソーンの謎になっており、本作は、“裁いた”者>ホーソーンの謎だったから、ぐいぐいと読むことができたのだと思っている。

 さて次は何なのだろうか。少なくともホーソーンの謎を遥かに上回る魅力的な謎が用意されない限り好評価はできない(めっちゃ期待している)。

では。

 

その裁きは死 (創元推理文庫)

その裁きは死 (創元推理文庫)

 

 

 

『テニスコートの殺人』ジョン・ディクスン・カー【感想】終わり良ければ全て良し

The Problem on the Wire Case

1939年発表 ギデオン・フェル博士11 三角和代訳 創元推理文庫発行

前作『緑のカプセルの謎

次作 『震えない男

 

 

 “足跡のない殺人”を扱ったギデオン・フェル博士シリーズ第11作。怪奇や密室といったカーお得意の要素が無いので、もちろん名作になる。怪奇や密室満載の作品を貶しているのではなく、そういった装飾を剥ぎとるからこそ、王道の本格ミステリを堪能できるというわけ。

 

 カーは『白い僧院の殺人』で“雪に残った足跡”を用いた名作ミステリを生み出したが、本作では“雨後のぬかるんだテニスコートに残った足跡”を用意した。それも飛び道具などで殺されたのではない、紛うことなき絞殺死体を用意している。

 本旨は正編を読んでいただけるとわかるのだが、実際には“足跡のない殺人”ではなく“足跡がある殺人”である。いや“足跡がなかった殺人”か。絶対に犯人であって欲しくない人物の足跡があることが物語をややこしくしており、ここらへんはさすが物語を生み出す天才カーだと唸る部分。

 第一章が「恋愛」で始まるのもユニークだ。章題どおり混み入った恋愛が邪魔をして足跡を出現させているし、素人探偵ならぬ素人犯人がどたばたと事件をかき乱す様も面白い。また、傲慢で「けしからん腐った男」を始め、殺人罪で告発された過去を持つ未亡人、切れ者の若手弁護士、偏屈で奇矯な老人、復讐に燃える軽業師など登場人物の創造にも工夫が凝らされている

 フェル博士の鋭い眼光を避けるように立ち回る登場人物たちには笑いを禁じ得ないが、彼らの背中を押すかのように都合よく偶然の要素が介入し、捜査をかく乱するのもカーらしい部分。怪奇や密室がなくワンアイデアの不可能犯罪でも面白いミステリが書けることをカーは証明してくれている。

 また、偶然の要素を演出する登場人物の役どころも良い。事件の渦中で昏迷する二人の男女を救う救世主として、事件解決のキーマンとして、印象に残る人物だ。

 

 ちょっと変なことを言うが、やはり本書の根底にあるのは愛だと思う。それは、ときに歪んでいたり、真っ直ぐ情熱的だったり、奥ゆかしかったりと、登場する箇所によって表情を変えるが、人間愛がミステリを作る好例としてカーの著作の中でも特色ある一作だと思う。

 そして、愛情はカーから読者に対しても顕著に表れている。「登場人物のその後」と題した後日談が該当するが、このクリスティを連想させるラストが心地よい。カーは本書に関して、「中編にすれば良かった。無理に引き延ばすべきじゃなかった」などと言ったようで、もしかするとこの後日談も全体の不和を誤魔化す読者サービスなのかもと穿った見方はできる。しかし、本書のオチにもあるように「終わりよければ全て良し」である。クリスティ風と括ってしまうのは乱暴だが、犯人の醜悪さを緩和させる優しいミステリとして、カーが苦手という読者にこそ進んで手に取ってほしい作品だ。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 テニスコートで起こる殺人ということでアンテナを張ってみると、序盤からニックの怪しさが目立つ。テニスコートを設計したのはニックだった(頁33)し、絞殺のアイデアを持っていたのもニック(頁89)だ。

 意外性という観点からも、車いす生活のニックは犯人にしやすい。もう治っているというのも手か?

 また、別の場所で絞殺して、彼を担いでテニスコートの真ん中に運ぶ。そのあと、付けた足跡を戻ってく、というベタなやつは、どこかで消去されていたか?

 

 フェル博士は捜査開始からすぐに足跡がなかった殺人であることは気づいている様子(頁142)

 ハドリー警視が警戒する若手弁護士ヒュー、そしてヒューが「手強い」と認識しているハドリー警視、という二人の構図がイカす。だからか、一瞬だけヒューが真犯人か?と疑ってしまった。アリバイはなく、候補には入っている。

 

 終盤まで、ヒューとブレンダが犯人と疑われないよう偽装する、警察とフェル博士が少しずつ嘘を暴く、というループを繰り返すので、不可能犯罪のトリックに関する手掛かりが出てこない。

 

 被害者ドランスに復讐を誓うチャンドラーが登場すると、物語は進みだす。彼は何かを撮っていた?彼が死ぬと容疑者はぐっと絞り込まれる。もちろんヒューとブレンダではない。動機らしきものがあるのはブレンダに心を寄せているらしきニックのみ。

 テニスコートのトリックは皆目見当がつかないが、犯人はニックでいいだろう。金網のドアとネットに何らかの仕掛けを施して死体を中央まで運んだ、とかでいいと思う。

 

推理

ニック・ヤング

 トリックについてはさすがというほかない。さらっと3ページ目でテニスロボットを登場させる奸計にも頭が下がる。

 カーは「中編にしておくべきだった」と後悔を述べているが、十分長編でも読みごたえはある。後半のサーカスでのごたごたや巻き込まれ型のカップルなどは、パトリック・クェンティンピーター・ダルース夫妻を連想させるし、犯人の造形もグロテスクで良い。

 やや手を抜いたかに見える決定的な証拠が残念な部分だが、あれはもしかするとハドリーのハッタリか?

 

 

 

 

          ネタバレ終わり

 本作のネタを忘れるのが困難なほど、全てにおいて映像として印象に残る衝撃的/劇的な作品でした。

 探偵対犯人というオーソドックスな形ではなく、間に入った闖入者によって話の筋が混線しているというややこしさはありますが、総じてカー特有のとっつきにくさは少ないので、カーの入門書としてはお勧めしやすい作品です。一方で、カーのクセのある出汁は出ていませんが。

では!

 

 

『四つの凶器』ジョン・ディクスン・カー【感想】どんな作り方でもカレーは美味しい

The Four False Weapons

1937年発表 アンリ・バンコラン5 和爾桃子訳 創元推理文庫発行

前作蝋人形館の殺人

 

 

 パリ予審判事アンリ・バンコランシリーズ最終作がついに新訳で登場しました。1958年発表のポケミス版が全然手に入んないんですよねえ。この8年間で第一作『夜歩く』から本書まで全てを新訳化した東京創元社には、感謝しかありません。ぼくねこは、これからも紙の本を買い続けます。

 

ネタバレなし感想

 さて、本書は、あのパリ警察で数々の難事件を解決に導き、極悪人たちをも恐れ慄かせた傑物アンリ・バンコランの掉尾を飾る長編です。パリ時代は、悪魔然とした容貌とその容貌に違わぬ激烈な性格と態度から、犯人だけでなく身内からも恐れられる冷酷非情な探偵でしたが、本書では既にパリ予審判事を引退しており、地主として暮らしながら釣りや狩猟に勤しむ平穏な日々を送っているようです。魔王のような風貌は和らぎ、作中の描写を借りると「そこはかとなくきさくな」「親切そうな目」をした紳士となっています。過去四作での衝撃的な活躍を体験した読者には、いささかショックではあるものの、もしかするとパリ予審判事時代こそパフォーマンスであり、本書のバンコランこそ真の姿なのではないか(作中でも示唆されています)と考えると、“バンコラン最後の事件”に相応しい転換といえるでしょう。

 

 肝心のミステリに移りましょう。まず発端から魅力的です。非日常を追い求め、冒険小説の世界に没入して妄想に耽る弁護士のリチャード・カーティス青年がユニークです。念願のミッションに胸を高鳴らせ、パリへと飛び立つ若人に読者もワクワクしながら、事件の舞台となる黒い森に包まれたマルブル荘へと一直線に突き進みます。

 さらに、ここからの展開の速さも流石です。タイトルが示す“四つの凶器”に彩られた死体と、互いに空転し齟齬だらけの証言の数々が構築する不可思議な事件が読者をぐいぐいと引っ張ります。ここにスパイ要素だったり恋愛要素が少しずつ重なり、厚みと複雑さが増していくわけですが、それでもバンコランの推理は序盤で一気に解決へと飛躍します。悪魔超人バンコランの本領発揮と言えるでしょう。

 

 カーが得意とするファルス味たっぷりのユーモラスな記述も序盤に集中しています。時に作中世界と読者との間にある第四の壁を破壊するかのようなメタフィクション記述が登場したり、ポーが創造した名探偵オーギュスト・デュパンを名乗る犯罪研究家の寄稿もその一種です。超個性的な登場人物たちが誰一人端役にならず、それぞれの役割を全うしているのも作者カーの手腕の賜物です。

 さらに、冒頭のカーティスの冒険物語を忘れることなく、ある女傑の仕切るダイナミックな賭博場での圧巻の解決編が終幕に花を添えます。

 

 ミステリとしては、様々な要素や手がかり、挿話を盛りに盛り込んだ厚みのある作品で読み応えのあるミステリなのですが、残念なのは、やはり全くもって初心者向きでない点。カーの派手派手しい『火刑法廷』や『三つの棺』に比べると散かり過ぎているし、十八番の怪奇も密室もありません。

 カレーで言うと、ターメリック・コリアンダー・ガラムマサラがカーの本領である密室・不可能・怪奇趣味なら、クミンやカルダモンがカーの作品のもう一つの側面である“やり過ぎ”です。このクミンやカルダモンが多すぎなんですよね。何言ってるかわかんないと思うのでもう少し粘ると、カルダモン自体は単体ではめちゃくちゃ爽やかで華やかな良い香りがするのですが、カレーに入れ過ぎるとちょっと邪魔。

 本書もカー特有の“やり過ぎ”の分量が少し多いので、うーん入れ過ぎかなあとは思うのですが、ちょっとまって、カレーって結局どう作っても美味しいよね?ってことで、明らかにやり過ぎてるのに、結局は美味しく感じる不思議な現象が起きてるんですよ。人によっては、これは食えねえってなっても、筆者ぼくねことしては「ねえ、でもそれカ(レ)ーでしょ?美味しいよね?」ってなるわけです。

 その最たるものが最終盤の賭博ゲームでしょう。まるで男塾の民明書房かのように、脚注で『賭博大全』なる著作※を参照して解説する力業には脱帽というか、改めて帽子を被り直して敬礼したくなる演出です。

※ちなみに『賭博大全』を著したとされているチャールズ・コットンで検索したところ、『釣魚大全』というニアミスな本がヒットしました。これかな?(じゃない)

 

 カーの著作の中では、そこまで名の上がらない作品ではありますが、個人的にはめちゃくちゃ大好きな作品ですし、傑作シリーズの最終作なので、ぜひ一作目『夜歩く』から多くの人に読んでいただきたい作品です。

 またカーファンからもバンコランの劣化を悲観し残念がる声も聞こえるのですが、ここも変化を楽しむというか、むしろ今までバンコランに騙されていたという事象を楽しむ意味も込めて、再読・再評価して欲しい作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 いやもう最初っから最後まで完全にお手上げ状態。

 推理というか推測というか勘は、ラルフに扮した男が兄のブライスっぽいこと。兄弟なら似てて当然だ。

 しかし、ブライスを始めとして、愛人のド・ロートレックやラルフのアリバイは堅いし、犯人らしき人物が他にいない。

 裏で糸を引いているのが、ラルフの婚約者マグダの母ミセス・トラーというのはあり得る。ラルフとマグダの婚約を解消させるために、ブライスにラルフの元愛人を殺させたか?何もそこまでするとは思えないが。

 

 中盤に差し掛かって判明した容疑者Xの正体がマグダだったとは驚かされた。

 茶色のレインコートの男が犯人だとして、もう一人のXという人物が誰なのか……と思っていたらマグダ!こんなストーリー思いつくわけがない。

 

 その後に明かされる驚愕のトリックしかり、カーの巧みなストーリーテリングに頭がくらくらする。

 つまり、茶色のレインコートの男は、偶然の事故によって計画とは違う方法でローズを殺してしまった。しかし、その後男はマグダに罪を着せようとしている。これだとブライスやミセス・トラーの共犯説は薄まってしまう。

降参。

 

真相

ブライス・ダグラス

 読み終えて改めてタイトルを見て気づいたのだが、本書は「Four False Weapons」つまり「四つの“偽の”凶器」が登場するミステリだった。邦題がただの「四つの凶器」だったので、四つの中に本物の凶器がある、もしくはそれらを複合させた犯罪という先入観が脳内に居座っていた。

 四つの凶器は、入り組んだ物語が生み出した残滓で、関係者たちが意図せず持ち込んだ遺留品で、ただの常備薬だったのだ。この時点で、多くの偶然や運が重なって構成されていることは明らかで、複雑な物語をすっきりと整理し、他に類を見ない殺人事件を創り上げるカーの剛腕が炸裂するのを予見できたはずだ。

 

 

 

 

      ネタバレ終わり

 偶然の要素が多く、リアリティには欠けるきらいがありますが、芸術的な犯罪って案外運だとか幾重にも重なった偶然の産物みたいなこともあって、これはこれで全然アリなんじゃないかと思います。むしろ偶然の痕跡はそこここに明示されているので、フェアプレイ精神は守られているかと。

 もちろん舞台設定から、解決編の演出まで手抜きが全く無いので、海外ミステリを読む醍醐味がちゃんと詰まっています。

 

では!

四つの凶器 (創元推理文庫)

四つの凶器 (創元推理文庫)

 

 

『幸運の脚(幸運な足の娘)』E.S.ガードナー【感想】ミステリ史初の解決編?

The Case of the Lucky Legs

1934年発表 ペリー・メイスン3 中田耕治訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリー発行

前作『すねた娘(怒りっぽい女)

次作『吠える犬』

 

ネタバレなし感想

 「“幸運の脚の女性”マージョリーというモデルが詐欺にひっかかった」彼女の未来の伴侶になる予定だった男からの依頼を受け、メイスンは、探偵ドレイクの力を借りながら、マージョリーを陥れた筋金入りの詐欺師パットンを追い詰める。しかし、彼の滞在していると思われるホテルで事件が。はたしてメイスンは、どっぷりと罠にハマった女性を救えるのか。

 

 当初の命題は、詐欺師の発見と女性の救出なのだが、物語がスピーディに目まぐるしく転換するため、次々とメイスンの進むべき方針もくるくると変わっていく様がなんとも心地良い。また、第一作『ビロードの爪』と同様に、自ら死地へと飛び込んで火中の栗を拾う如く奮迅する冒険家気質のメイスンの活躍も見どころとなっている。

 第二作『すねた娘(怒りっぽい女)』のような法廷が舞台にはならないものの、解決編でメイスンの醸し出す雰囲気は裁判そのものだし、周囲の人間が裁判官のような役を演じたり、記録官がいたりと十分に法廷ものの魅力は備えていると言える。

 

 作者ガードナーは、本書を書くのにだいぶと苦労したそうで、前作・前々作とは違ったものを出版したいという強い思いがあったようだ。(その苦悩や出版社/編集者とのやりとりは、ドロシー・B・ヒューズ『E.S.ガードナー伝』で詳しく書かれている)一部参照すると、「原稿を破り棄てて最初から書きなおしはじめた」というのだからその苦悩ぶりがよくわかる。

 もちろんその苦悩の原因は、本書の核心であるプロットにある。過去の2作と同様に嘘をつきまくる関係者たちが物語を上手く搔き乱す。しかも、依頼人や弁護すべきはずの被告を含むのだから憎たらしい。また、メイスンが窮地に陥いるのも似通っており、ある一点を除いて目新しいところの無い作品だ。しかしその“ある一点”を成功させるために、メイスンは思いつく限りの工夫と策を弄さなければならなかったと思われる。何をどう弄ったのか正確なところはわからないが、かなり綱渡り的なプロットであるだけに、「めちゃくちゃガードナーは大変だっただろうな」と思うし、彼の憂悶がひしひしと伝わってくる。

 

 ただ、上記のプロットは、決して推理小説史上に残る歴史的なものではない。ミステリの黄金時代でさえ使い古されたのもかもしれない。しかし、それを成立させるための細工は多彩かつ美麗なので、間違いなく読む価値がある一作だ。

 

 あとは解決編にも触れておきたい。解決編こそ、本作最大の魅力と言っていいと思う。ここでは、もちろん探偵として事件の真相を明らかにしてしまうのはもちろん、弁護士として、さらにはある重要な立場の人間としても大立ち回りを演じる。メイスンだけでなく登場人物たちのキャラクターも際立つ解決編は、今までのミステリでも類を見ない内容なので、是非とも多くの人に読んで体験して欲しい。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 依頼人にすら信を置かないメイスンの確固とした方針が良い。また、序盤からメイスンの心優しい一面が顔をのぞかせ、また彼が好きになる。

 パットンという大者らしい詐欺師を追い詰めるため、どんな策を弄するのか期待に胸が膨らむが、あっけなくパットンは死んでしまう。ブラッドバリイの忠告通り、ドォレイが殺したのか。

 もしくは明らかに嘘をついているマージョリィの友人セルマだろうか。

 物語が進むと、事件の輪郭ではなく、登場人物たちの怪しい光が見えてくる。もちろんブラッドバリイだ。

頁96のメイスンの台詞

はじめてあなたというかたがわかりましたよ、ブラッドバリイ

は二人の間に散る火花が見えるかのようだ。

 

 メイスンによると、彼がわからない謎というのは、パットンはナイフで殺されたのに、なぜ現場にブラックジャック(砂などを固めた棒状の武器)が残っていたのか、という点。メイスンは残されたブラックジャックの謎さえわかれば、事件全体が解決すると明言している。(頁111)

 簡単な推理は、ナイフで殺した後にブラックジャックを遺留物として捜査を混乱させるために残した。ブラックジャックはパットンのものだった?パットンが誰かを殺そうとして、逆に殺されたのか?こんな軟な推理では真相は見通せないだろう。いったん保留。

 

 第八章のメイスンの捜査への拘りを吐露する場面は名シーン

 秘書のデラはメイスンにこう尋ねる。なぜ他の弁護士のようにオフィスにすわっていて、事件が向うからやってくるのを待たないのか?なぜ自分からわざわざ前線に出て、事件それ自体に捲きこまれるような真似をするのか?これに対するメイスンの返答は、アメリカの大都会で活躍する洗練された弁護士らしからぬ、冒険気質に満ち、猛々しく侠気溢れる理由になっている。

 

 閑話休題。

 中盤では、デラに成りすました女性の共犯者がいることが示唆される。誰だ?やはりセルマか?と思っていたら、すぐにその女はヴェラ・カッターと名乗る女性だとわかる。その後、ヴェラを尾行させる手はずを整えるメイスンの手際のいい差配がまた痺れる。ドレイクとの関係性も良い。

 

 終盤になると事件の構図は明らかに。マージョリーとドォレイは互いにかばい合っている。セルマもマージョリーを庇って嘘をついた。ヴェラ・カッターはドォレイに気があり、そこをブラッドバリイに利用された。ブラッドバリイはマージョリーと結婚するため、ドォレイに罪を擦り付け、メイスンに弁護させた。これだな。

 

推理

J.R.ブラッドバリイ

真相

正解

 うん。犯人当てについては成功したものの、そのディティールは全然わからなかった。殺害の経緯というよりも、なぜメイスンがブラッドバリイが犯人だと気づいたのか、という点。

 実は、メイスンがブラッドバリイを全然信用せず裏をかこうとする序盤から、彼が犯人であるというフラグは立っている。他にも、ドォレイをやっつけろと言ったのに、のちに弁護しろと言ってきたり、電話を盗聴してメイスンの詳細な動きを探ったり、と堂々と犯人だと名乗るかのようなシーンが多々あった。しかし、それでもなお彼が犯人だと思えなかったのは、決定的な証拠がなかったから。彼の怪しい言動が、どのように殺人事件に関わっているのか結びつけることができなかったからだ。

 ここが、作者ガードナーが苦悩して、書きなおした部分なのではないか。ブラッドバリイとメイスンが対立するという構図上どうしても犯人が見え易くなるリスクを回避するために、どこに手がかりを隠し、何をヒントにするのか。悩みに悩みぬいたうえでの盗聴と、アリバイ工作、そして共犯者だったのだ。そして、本作の出来を見る限り、それらの努力は報われたと言って良いと思う。

 

 あとは、ギリギリの綱渡りだった解決編が凄まじい。自ら事件現場を混乱させた罪を、“自供”という形で告白しながら、それがそのまま証人尋問や証言などの王道の法廷ミステリになっている部分は圧巻だ。

 

 一点だけ不満というかモヤモヤするのは、いくらブラッドバリイが知恵の回る闘士だったとして、同じく闘士であり高名なメイスンを選んで依頼したのはやや不自然に感じる。もうちょっとバカな弁護士に頼めばいいのに……ってのは完全な蛇足。

 まあメイスンの性(さが)というか、弁護士魂のようなものを感じることができただけで読めて良かった。

私は、いつでも危険に身を賭けている。私が仕事に手を出すときはいつでもそうだし、自分はそういう生きかたが好きなんだよ(頁256)

カッケェ……

 

 

 

          ネタバレ終わり

 前2作以上に、包容力があり、男らしく、頼れるメイスンを見ることができるので、ぜひ多くの人に読んでもらって彼の魅力に痺れてもらいたいです。それにはまず、全作新訳化ですね!各出版社様改めてお願い申し上げます。

 

 そういえば最近、本シリーズが原作のアメリカのドラマ『弁護士ペリー・メイスン』がリブートされるという情報が入ってまいりました。

 なんとその制作は『アイアンマン』でお馴染みのロバート・ダウニー・jrのチームが関わっており、9月18日からAmazon Prime Videoの有料チャンネルで配信されるようです。どうせならAmazonオリジナルの無料版でやってくれよ……そして日本でも人気が出て、本がばんばん再版されるようになったらいいなあ……。

 


『アベンジャーズ』のロバート・ダウニーJr.&HBOとタッグ!『ペリー・メイスン』予告編

一応、予告編が出てたので貼っておきます。

 

では!

 

幸運の脚 (1957年) (Hayakawa Pocket Mystery 333)

幸運の脚 (1957年) (Hayakawa Pocket Mystery 333)

 

 

『金蠅』エドマンド・クリスピン【感想】鋭いトリックのその先に

1944年発表 ジャーヴァス・フェン教授1 加納秀夫訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリー発行

次作『大聖堂は大騒ぎ』

 

 

 初エドマンド・クリスピンということでまずは簡単に作者紹介から。

エドマンド・クリスピンという男

 エドマンド・クリスピン(本名ロバート・ブルース・モンゴメリー)は、1921年イギリス生まれ。名門オックスフォード大学を卒業した才人であり、教職や作曲家としても活躍しました。彼が推理小説家として活躍するようになったのは、密室の帝王ジョン・ディクスン・カーの名著『曲がった蝶番』を読んだことが切欠でした。こうして彼が大学在学中に書きあげた作品が本書『金蠅』で、カー同様に濃い密室状況が魅力となっています。シリーズ探偵は大学教授のジャーヴァス・フェンで、文学に造詣が深く、なんでも明け透けにものを言う少し変わった人物。エドマンド・クリスピンが発表した全9長編2短編集で活躍します。

著作リスト

長編

1 The Case of the Gilded Fly(1944)加納秀夫訳 HPM『金蠅』 ※本書

2 Holy Disorders(1945)滝口達也訳 国書刊行会『大聖堂は大騒ぎ』

3 The Moving Toyshop(1946)大久保康雄訳 ハヤカワ文庫『消えた玩具屋』

4 Swan Song(1947)滝口達也訳 国書刊行会『白鳥の歌』

5 Love Lies Bleeding(1948)滝口達也訳 創元推理文庫『愛は血を流して横たわる』

6 Buried for Pleasure(1948)深井淳訳 ハヤカワ文庫『お楽しみの埋葬』

7 Frequent Hearse(1950) 未訳

8 The Long Divorce(1951)大山誠一郎訳 原書房『永久の別れのために』

9 The Glimpses of the Moon(1977) 未訳

短編集

1 Beware of the Trains(1953)中野康司訳 論創海外ミステリ『列車に御用心』

2 Fen Country(1979)一部翻訳『ミニ・ミステリ傑作選』ほか

 

 著作リストを見てもわかるように、かなり邦訳は進んでいて、1940年代の作家の中でも日本ではかなり優遇されています。

 彼がミステリ作家としての活躍した時期は40~50年代の僅か20年ほどで、以降は筆が止まりますが、それも彼が大好きだったお酒が原因だったそうです。1977年のThe Glimpses of the Moonは20年振りのフェンシリーズ復活でしたが、その僅か1年後の1978年に惜しむらくは逝去してしまいました。プロットを見る限りめちゃくちゃ面白そうなので、是非とも邦訳化をお願いしたい作品です。

 

 

ネタバレなし感想

 第一章「列車中のプロローグ」でタイトルどおり本書の登場人物紹介が始まります。これが結構かったるい。物語の最序盤で一気に情報を出されても頭に入らないし、そもそも彼らの関係性はありきたりなので新鮮味もありません。そんなモヤモヤも第一章の最後の一文を読むまでの話。事件が起こるまではやや退屈ですが、それでも波乱を予想させる煽りの手法が毎章に用意されています。

 また、大学教授ジャーヴァス・フェンの魅力も十分です。

フェンには人の嫌がるのを平気で根ほり葉ほり仕事のことを訪ねる癖があったが(頁69)

 職業柄か話したがり/講釈したがる性格が滲み出ていますし、明け透けな物言いや図々しさも素人探偵の素養が備わっていることを示しています。かといって下品な詮索好きというわけではなく、教養ある辛辣さが逆に心地良く感じさせます。

 

 ミステリの核はカーのお株を奪う特殊な舞台での殺人事件。アクロバティックな密室トリックに着目したいところですが、魅力は他にあります。

 ですが、その魅力に全く触れさせることなく(もしくは気づかせることなく)淡々と物語が進んでしまうため、読んでいる間はいたって普通。どちらかというと退屈にすら感じてしまいます

 劇団員を取り巻く人間ドラマは、痴情の縺れがあったり役を巡る確執があったりと波乱に満ちているので、本来ならもっとドキドキワクワクするはずなのですが、初版が1957年という時代ですから致し方の無いところでしょうか。新訳化されれば間違いなく楽しくなるはずなので、是非早川書房さんお願いします。

 

 退屈とは言いましたが、読書自体はスイスイ進みました。特に、登場人物たちがごっちゃごちゃになっていく様はある意味ドタバタコメディですし、たしかにカーを思わせる演出の一つなのかもしれません。

 

 あと触れておきたいのは最後に訪れるショッキングなオチ。オチに至るまでの演出力の高さも見どころですが、やはりオチのインパクトには敵いません。特に最後の瞬間まである人物の独白によって雰囲気が盛り上がっていく部分は、その後に訪れるある種の呆気なさとともに読書後に強い余韻を残します。あとエピローグの古典っぽさも最高なので、古き良き黄金時代のミステリの良さも併せ持っています。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。 

 

 

 さてさて、第一章ではどうなることかと思ったが、最後の一文でちゃんと心を掴まれた。連続殺人ものね(違った)。

 殺人が起こるまでがかなり間怠っこいがイズーが死ぬのは間違いない。で死んだ。

 銃声が聞こえた時間だが、改めてナイジェルが確認するところに若干の不自然さを感じる。「八時二十三分」ね。

 まず何故イズーがフェロウズの部屋に行ったのか。現時点では保留。

 動機に関してはフェン教授の分析が意味深だ。

「動機はそこら中にあり余るじゃないか。(中略)色情犯罪は信用しないことにしてるよ。(中略)金銭、復讐、自己の安全~そのなかから、一つの動機を選びたいね。」頁121

 

 第二の事件まで淡々と物語は進むがここらで一度整理。

 アリバイの観点からロバートニコラスジーンシーラは除外。動機の点は全員がそれなりにあるが、金銭・復讐・自己の安全となると?

 読み返してみて気になったのは、ロバートがイズーをたしなめた時、イズーがロバートをゆするような発言があったこと。(頁64)また、イズーの役者としての能力が低いにもかかわらず(頁28)、ロバートに演者として抜擢されている事実。さらに、舞台監督のジェインにイズーの代役をさせる準備ができていたことなどから怪しく見えてきた。

 現場の一番近くにいたので、方法さえわかれば彼で間違いなしか。

 

推理

ロバート・ウォーナー

結果

 正解……したが、密室と誤認させるトリックには全く気付かず。冒頭の見取り図ではかなり隙があるように描かれている気がしていたが、まさか中庭を挟んで部屋の窓を貫通させて狙撃したとは……。

そんなの思いつくわけない!

 まあ見取り図が立体的でないので全然想像できなかった、という愚痴はある。

 

 一方で、密室ものだと思わせる特殊なミスディレクションは有効的に機能している。本当はアリバイものなのに密室ものに偽装しているという指摘は黄金の羊毛亭を参照されたい。

 

 もう一つ、犯行時刻を誤認させるトリックはそれ自体珍しいものではなく、アリバイ確保のための常套手段なのだが、これを密室トリックと組み合わせて不可能犯罪に注視させる手腕はさすが。

 あとは犯人のロバートの存在感も大きい。フェン博士との堂々たる問答(頁164)はなかなかの曲者。

ロバート「大急ぎで便所から出る、あの女を射つ、また急いで便所に入って、頃合を見計らって出てくる、そんなことも考えられますね」

フェン「残念ながら(中略)そんな軽業は到底できない話ですよ。あなたに嫌疑はありません」が巧い、というせこい。

 ロバートは実際にこの供述の順序を変えて実行しただけだし、フェンの台詞も前半部は核心を突いていて、後半は犯人を油断させるための罠だった。

 ミステリとしての技量が高いかはともかく、トリック頼みの強引さがなく、カーを連想させるストーリーテリングの上手さで読ませてくれるので、次作以降も期待できる。

 

 

 

            ネタバレ終わり

 初心者に不向きな読み難さ、入手難易度の高さから中々オススメしにくい作品ではありますが、カーの二番煎じなどでは全く無く、トリックの尖り具合とその先にある奥深さこそこのミステリの醍醐味です。機会があればぜひ。

では!

 

 

『ガーデン殺人事件』S.S.ヴァン・ダイン【感想】予定調和が心地良い

1935年発表 ファイロ・ヴァンス9 井上勇訳 創元推理文庫発行

前作『カシノ殺人事件

次作『誘拐殺人事件』

 

 

 結論から言うと普通に面白かったです。「普通」というと失礼かつ曖昧な表現になってしまいますが、古き良き時代の雰囲気を保ったまま、ミステリにおけるお約束づくめの、健全で理想的な一作でした。なんか過去作の感想記事では色々思うところを率直に述べたけど、全部赦してあげたいです(謎の上から目線)。

 

 

 起こる事件そのものには特別な捻りもなく、かなりオーソドックスな類なのですが、舞台設定と小道具にしっかり注力されているので、事件の発生まで読者を引っ張る力があります。なんてったって競馬レースの出馬表(しかも折込みで)が入っているくらいの力の入れよう。事件の前兆としてファイロ・ヴァンスに届けられた意味深長な警告文は、導入のための撒き餌に成り下がらずに物語を進めるのに役立っていますし、見取り図が推理に活用できる重要な手がかりになっているのも見逃せません。

 

 あと、単純に推理ゲームのためのミステリとしてクオリティが高い。今までのファイロ・ヴァンスものに比べて登場人物も多いですし、彼らが一つ屋根の下で怪しげにそれぞれの役を演じてくれるので、ちゃんと皆を疑えます。ここに、先程の屋敷の見取り図を比べてみて、アリバイを始めとするフーダニットから推理するもよし、警告文や人間ドラマからホワイダニットを探ってみるのもよし、はたまた機械仕掛けの小道具を調べてハウダニットに注目しても読みごたえがあります。

 

 ファイロ・ヴァンスものを読んでいると、ヴァンスの一見論理的に聞こえる強引なこじつけ論と、ペダンティックな会話の数々に辟易する瞬間が少なからずあるのですが、本作ではそれが少なく、あったとしても、複数の手がかりで補完されていることが多いのも、説得力を高めている要因のひとつ。

 また、フワッと仄かに香るくらいの邪魔にならないロマンスが作品に色を添えていますし、怪しげに見えた登場人物たちの挿話も解決編までに整理されるなど、どの角度から見ても齟齬がなく、かなり優等生な作品です。

 

 あえて難点を挙げるなら、推理ゲームとしての趣向が高いのにもかかわらず、解決のまさにその瞬間のボルテージが全く上がらないところ。盛り上げ方の下手さとそもそもの難易度の低さ、でしょうか。

 難易度が低いのは別に悪いことじゃないんですが、解決編の派手さが変な方向に向いちゃって、「いや、それじゃない」と感じないでもないというか。まあ、その不器用さも含めて、名作古典ミステリと読んであげたいんですけどね。

ネタバレを飛ばす 

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 出馬表を見た時はガックリきた。いや、これが手がかりだとしたら、絶対に何かを読み解ける自信がない。

 まずはミス・ビートンが怪しい。階上から降りてきた、という目撃証言と食い違った発言がある。(頁119)

 

 ヴァンスによる被害者の自殺が殺人だったという説明はちゃんと筋が通っていて面白い。この中で銃声は二度鳴ったことが示唆された(頁135)。一度目は金庫室(実際の殺害現場)。二度目は殺害時間を誤魔化すための空砲。これは、間違いなくガーデン家のメイン・フロアーのどこかから窓を開けて撃たれたのだろう。だから、関係者による証言で銃声が聞こえた方向が違う。ここまでは簡単。

 

 ミス・ビートンの殺害未遂事件はピンとこないが、動機の面から考えてみると、単純に財産目当ての殺人にしか思えない。となると最有力はフロイドだが彼に想いを寄せている風のザリアとミス・ビートンも容疑者に入るだろう。

 むしろミス・ビートンにいたっては、序盤に怪しい言動があるし、二つ目のガーデン夫人殺害の機会と動機の面で真っ黒だ。彼女自身の毒殺未遂事件も、自分で仕組んだものだと考えればしっくりくるし、電話線の故障を見つけ報告したのもミス・ビートン、凶器の銃が入ったコートの持ち主もミス・ビートンとくれば、“自作自演”という符合を無視できない。これだな。

 

推理

ミス・ビートン

結果

大勝利

 久々に全部まるっと当て切ったと思う。ヴァン・ダインの旺盛なサービス精神のおかげか、手がかりもしっかり強調されていたし、ザリアに対する強いミスディレクションも露骨だったので、難易度はかなり低め。

 ただ、犯人の行動に心理的な符合があったり、犯人の策謀が全て効果的に作用していたり(読者にはバレバレだが)と中々侮れない箇所もある。

 それ以外には秀逸なネタがあるわけでもなく、白眉のトリックも無いいたってオーソドックスなミステリだが、こういう王道のミステリが恋しくなった時には必ずばちっとはまる良作だと思う。

 

 余談だが、最後にヴァンスが“会心の一撃”(たった一つの言動で犯人だとわかりました、みたいなオサレなやつ)を振るおうとするのだが、盛大に空振りしている感があって、そこも好き。

 

 

 

 

        ネタバレ終わり

 サプライズはほぼ0だと思います。本来ミステリにおいて、予定調和的な要素ってタブーなはずなんですが、本作ではなぜかそれが心地よく感じちゃうんですよねえ。その理由をこの記事の中でバシッと言語化したかったんですが……。

 ファイロ・ヴァンスシリーズは前半6作と後半6作で大きく評価が変わるとよく言われるのですが、それって物的/状況証拠を廃し、心理的な証拠を元に論理的な推理行うはずのファイロ・ヴァンスが徐々に直感で捜査を進めるようになってきたからだと思うのです。

 それが本作ではかなり改善されて、原点回帰を果たしてるんですよ。だからこそ、物語の展開やオチが予定路線でも、輝きを感じられるんじゃないかと。

 まあ、さすがに黄金時代の後期の作品ですから、他の名作たちとは比べないであげましょう。

では!

 

ガーデン殺人事件 (創元推理文庫)

ガーデン殺人事件 (創元推理文庫)