控えめに言って傑作【感想】イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』

発表年:1892年

作者:イズレイル・ザングウィル

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:吉田誠一

 

ひと月以上前に読んだ作品ということもあって、いかんせん記憶が曖昧で、抜けているところがあれば申し訳ないのですが、まあ面白かったのは覚えています。

再度片手に本書を持ちながらぼちぼち書いてみようと思います。

 

まず第一印象で言うと、表紙が途轍もなくカッコいい。自分が持っている海外ミステリの中でも群を抜いてカッコいいです。(逆にカッコ悪い部門代表は、レックス・スタウト『毒蛇』)

 

そして、表紙をめくってすぐ現われる、作者による序文がまたクール、そして面白い

自身の作品を自画自賛しながらも、読者諸氏と出版社に感謝の気持ちを述べ、ミステリというジャンルの核心にふれながら、最後にはクスリとくる小技を忍ばせています。

この序文だけ読んでも、イズレイル・ザングウィルがどんな作家だったか窺い知れるというものです(書けませんが)。

 


あらすじは至ってシンプルです。

濃霧立ち込める冬のロンドンで、ある朝、下宿屋を営むドラブダンプ夫人は戦慄の光景を目の当たりにします。凄惨且つ残忍な事件ははたして自殺なのかそれとも…最有力容疑者を前に、ロンドン警視庁の敏腕刑事と退職した元刑事が事件の解明に火花を散らせるが、裁判の日は刻一刻と近づき…

 

約200頁という頁数からわかるように、序盤から数程よいテンポで事件が起き、登場人物が紹介され、着々と捜査が進展します。

その中でも謎の中心はやはり密室トリックです。

1892年という年代を考えると、どんなトンでもない眉唾物のトリックが使われているのかと訝しんだのですが、物語が纏う雰囲気はいたって王道で堅実なのがなんとも不思議な感じでした。

 

また、密室トリックに頼り切ることなく、登場人物の人間描写にも磨きがかけられています。彼らの会話は無味乾燥なものではなく、謎に直接関係が有るものから全く無いものまで、ユーモラスで生きた会話に思えます。

もちろん被害者のライバルが有力な容疑者なのは言うまでもありませんが、その他の登場人物からも、それとなく怪しい臭いがするのが巧みです。

 

そして、ここに探偵同士の推理合戦の趣向がびたっとハマっているのも見逃せません。無実かもしれない容疑者を死刑執行までに救う、というタイムリミットサスペンスの趣もあって、よくぞここまでミステリの旨味を全て詰め込みながら、物語を綺麗に畳んだものだと、ただただ驚くよりほか在りませんでした。

 

驚き、でいうと、犯人・トリック・物語のオチの3点すべてにサプライズが用意されているのも圧巻です。

今まで読んだ海外ミステリの中でも一種の凄味すら感じる素晴らしいミステリでした。

 

ここからはやや蛇足です。

本書に登場する稀代の密室トリックはカーに、ユーモラスな文体はセイヤーズに、センスあふれる会話とキャラクターはクリスティに、といった具合に、本作から数十年後に産声をあげる黄金時代の作家たちに多大な影響を与えたと妄想すると、本書がミステリ界の歴史の1ページ目に飾られるべき、傑作ミステリという評は、あまり大きく的を外していないのではないかと思います。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


冒頭から冬のロンドンの叙景描写だけでも笑わせられる。すごいな。

個人的には、景色や無機物に温か味を付加する文章を書ける作家はたいてい好み。

 

序盤からサクサク事件が進み、検死審問、探偵たちによる捜査開始、となるのも良い。

最有力容疑者はもちろんモートレイク

ドラブダンプ夫人の時計が狂っていたのもアリバイトリックを連想させるし、動機も十分。

あとは密室トリックだが…


詩人のキャンタコットがどんどん怪しく見えてきた。

美を重んじ、“社会のため”という労働運動指導者の考えを唾棄する彼の特性は、この事件に妙にマッチするように見えてならない。

クラウル家に滞在していながら、家賃すら払わず、「催促する側の怠慢」などと平気で言ってのける捩じくれた精神の持ち主を、簡単には信用できない。

 

被害者の婚約者が消えたのも事件の香りがする。

キャンタコットが彼女について情報を知り過ぎていたのも気になるし、男女関係が原因の殺人もありえるか。

問題は彼が底抜けのバカっぽいことと、密室トリックが全く分からないこと。グロドマンがなにかしらの手がかりを見つけることをただただ願う。

 

いよいよモートレイクが逮捕され、裁判で密室トリックが明かされるが、中々イイ線行っていると思う。

ただ頁数的にこれで終わりじゃない?

トリックは合っているが、動機と犯人が違うということだろうか。ここらでお手上げ。

 


推理

デンジル・キャンタコット 

結果

ジョージ・グロドマン

 

 

ジョージ・グロドマン!!!!?

いやいや、そんなはずはありません。

事件を発見した時、ちゃんと彼は死んでいたはず……

書いてませんでした

うまくはぐらかされていました。

脱帽です。

 

検死審問時での再現のための証言は、当然の如く犯人なので嘘をつくわけで、叙述における仕掛けと、裁判での嘘という現実が境目なく繋ぎあわされているのが美技です。

 

グロドマンの動機については、少し難易度が高いかなとは思うのですが、退職し(やりきった)刑事ということと、犯罪者たちについて異常な興味があるという伏線から、その臭さに気付けた気もしないこともない…です。

改めて読み返すと、キャンタコットの「あなたはすぐ相手をとっつかまえる」というからかいに対して、

頁80「いや―もう引退したよ」

は、やや闇を感じます。

 

また、ドラブダンプ夫人の時計が狂っていたのが全く事件に関係なかった点は、控えめに言って好きです。

この伏線が、物語の謎と解決の中心になっていたら本書を投げ捨てていたでしょうが、その他の要素の出来が良すぎで何も気になりません。

これだけやりたい放題して、その水準も高いんだから、後世の作家たちは頭を悩ましたに違いありません。ご愁傷さまです。

 

 

 

ネタバレ終わり


解説を読んで気付かされるのですが、本書には若干の違和感があります。

作者の信条というか思想がちょっと漏れ出ている点です。

ここらへんがチェスタトンっぽい、と受け容れることができるか、なんだかよくわからず鬱陶しいと感じるかは人それぞれですが、もしキツくなっても是非我慢して読んでみてください。

 

古典ミステリの傑作?

いやいや…

 

ちょっと語彙があれなんでアレしますが…

 

いやいや(笑)最高です。

なんだこれ…

では!