ベスト・オブ・バンコラン【感想】ジョン・ディクスン・カー『蝋人形館の殺人』

発表年:1932年

作者:ジョン・ディクスン・カー

シリーズ:アンリ・バンコラン4

 


アンリ・バンコランものは約1年ぶりでした。前作『髑髏城』は、ドイツの古城を舞台に、禍々しい雰囲気がダイレクトに伝わってくる作品で、仏独の二大探偵同士の推理合戦にも捻りが加えられた、バンコランものではベストだと感じたミステリでした。

ただ、それも本作に挑戦するまでの話。

バンコランものというだけでなく、今までのカーの作品の中でもベスト級の作品かもしれません。(個人差がございます)

 

まずは

粗あらすじ

行方不明の令嬢が最後に目撃されたのは、グロテスクで妖しげな蝋人形館だった。捜査の為、蝋人形館を訪れたバンコランとジェフ・マールは、そこで蝋人形以上に怪奇で恐ろしい光景を目撃する。おどろおどろしい蝋人形館と、退廃的な仮面クラブを繋ぐ不可思議な謎と、謎を取り巻く人物たちの秘密を、バンコランは解くことができるのか。

 

まず、導入部の空気作りが完璧です。これだけで海外ミステリを読むだけの価値というか、お金を払った元は取れたんじゃないかってくらいの見事な造り。

典型的なザ・悪党が登場したかと思うと、すぐに蝋人形館へと誘われ、次々と不可解で怪奇の趣たっぷりの事件が起こります。

 

今までのバンコラン作品と比べても、探偵バンコランの行動範囲や、事件の展開がかなり広く、大きくなった感があります。

所々で怪しい手がかりやヒントらしきものが披瀝されるので、カーが何かひっかけようとしていることは判るですが、舞台の移り変わりの多さ=読者の視点が巧妙に散らされるせいで、真相が一層見えにくくなっています。

 

登場人物に工夫が凝らされているのも作品の魅力でしょう。

暗黒街の大物ギャランや蝋人形館の窓口係マリーなんかはその代表格。

バンコランに敵うかと言われれば、到底勝ち目はないように思えるのですが、それでも対抗しようという意思は見え、一筋縄ではいかない事件全体の雰囲気を押し上げています。

 

また、蝋人形館だけでなく、舞台が曰くつき仮面クラブに移った後でも、雰囲気を損なうことなくむしろ盛りあがっていく点は、カーの素晴らしいストーリーテリングの賜物です。

助手で語り手であるジェフ・マールの、手に汗握る冒険劇も含めて、読者の興味と興奮を、常に高いレベルに維持したまま、完成度の高いミステリを成立させているのも特筆すべき点です。

 

そして極め付けは、遊び心と言うにはブラックすぎるオチ

オチの少し前には、驚愕の真相が明かされますが、その余韻に浸る間もなくもうひと波乱起きるのには、ただただ拍手。

もう本当カーって最後の最後まで容赦ないというか、働き者というか…読み返してみると、カー特有のやりすぎ感はこれでもかと感じるのにもかかわらず、巧みな筆致と高尚なフェアプレイ精神でもって、それを気付かせないところに本作の魅力は詰まっています。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


蝋人形館で起こる事件は、怖いもの見たさで何度も読み返してしまう。

『夜歩く』や『黒死荘』よりもわかりやすい直接的な怪奇描写なだけに、今の読者にも伝わり易い一方、シンプルで素朴な題材をちゃんとらしく、しかも恐ろしく描けるところに、やはりカーの天賦の才を感じる。


仮面クラブの存在が明るみになったことで、典型的な悪党ギャランがちゃんと事件に絡んでくるのも巧い。

悪党であることには変わりないが、本殺人事件の犯人ではない…と思っていたが、決定的なアリバイがあるのは怪しいし、殺人の機会は十分にあるようにも思える。


被害者から推理してみよう。

オデット、クローディーヌジーナという3人の娘を取り巻く人間関係が手がかりなはず。

オデットの婚約者ロベールがオデットのスキャンダルを知り激怒しての犯行も考えられるし、オデットの幼馴染でクラブの会員ロビケーも彼女たちに思いを寄せていた節がある。

オデット、クローディーヌ、ロベールの三角関係も薄ら見えてくるので、交換殺人の可能性もあるかもしれない。

 

個人的には、蝋人形館の館主オーギュスタンを推しておく。

マリーがクラブの窓口かかりになって、毎夜多くの客を館内に引き込み、報酬として多額の収入を得ている事実を全く知らないというのが考えられない。馬鹿を演じている可能性は無いだろうか。

つまり、クラブを牛耳っているのはギャランではなくオーギュスタンなのでは?

そして、ギャランではなく、オーギュスタンを強請ったオデットを殺し、目撃者のクローディーヌも殺したのではないか。

論理的に提示できる証拠は皆無だが、オーギュスタンの証言(館の閉館時間について頁49)の裏付けをしていないのは気になる。

彼がウソをついていれば、たった数分だが殺人とその後の細工は簡単にできたはず、彼がクラブの会員であればすんなり逃走経路も確保でき犯行も可能だろう。

いや、そもそも彼がクラブの経営者なら何の問題もない。

これでいこう。

 


推理

オーギュスタン

結果

マルテル大佐

惨敗です。

こんなの当てれる読者はいるんでしょうか。

かなりトリッキーなのに不思議と読後感は悪くありません。蝋人形館の入場券に関する手がかりなんかは意地が悪すぎます(良い意味)。

犯人であるマルテル大佐の、堂々とした手がかりの提示が、彼の性格(キャラクター)と齟齬が無く一致しているのも、ストーリーに説得力を持たせている要因です。

なにより探偵のフェアプレイ、ではなく犯人のフェアプレイ精神というだけで、肌が粟立つのを感じます。こんなの見たことない。

そして彼の姿と絶妙にマッチするのが、白眉の結末です。

一見ミステリでよく見かける凡庸なラストかと思いきや、『蝋人形館の殺人』犯を暴いた後で、さらなる謎を提示し、明確な解答なしに物語を終了させてしまうカーの手腕には、驚嘆しかあり得ません。(この手の物語をリドルストーリーと言うそうです)

この点『火刑法廷』とは違い、ジャンルを怪奇と限定してしまう幅の狭さではなく、物語の余裕さえ感じられます。

 

何度も言いますが、カーのベスト級としても、推理小説界に輝く名犯人・名ラスト作品としても、見かけ(タイトル)以上に大きな存在感を放つ作品でした。ちなみに他のカー名犯人作品は『魔女の隠れ家』を推します。

 

 

 

ネタバレ終わり


カーの作品は、よく出来不出来に差がある、などと評されますが、今まで読んできて、悪いところにはそれなりに「悪い」という良さがあるように感じています。

本作にも、敢えてお約束を破るような意地の悪さはあるのですが、それが全部美点に変換されているような気がしてなりません。

 

本作は時系列順に読む必要があまり無いので、カーのフェル博士やH・M卿もの以外をお探しの方は、是非新訳版『蝋人形館の殺人』を手に取ってみるのをオススメします。

 

では!