ミステリだと思い込んで読むのはアリ【感想】G.K.チェスタトン『木曜の男』

発表年:1908年

作者:G.K.チェスタトン

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:吉田健一


いつも「ミステリ」の書評を中心に書いてるせいか、今回は久々に筆というか、キーボードがノらない感想書きになりそうです。なんたって、ミステリじゃあないんですからね…

ただ、チェスタトンのブラウン神父シリーズを読破した人なら、誰しも一度は通ってみたい道なのは確かなはず。

全然畑は違うのですが、とりあえずメモ代わりに感想を残しておきます。

 

粗あらすじ

詩人であるサイムは、同じ詩人で無政府主義者のグレゴリーからある秘密を打ち明けられることになった。警察にも、その他誰にもその秘密を打ち明けないことを誓わされたサイムは、薄暗いバーの地下でその「秘密」を見る。はたして裏社会の大物「日曜」とはいったい誰なのか。そしてその真の目的とは。

 

チェスタトン唯一の長編推理小説という触れ込みで、意気揚々と読み始めたはいいのですが、最後の一行まで読んで、てえい!と投げ捨てたくなりました。

違う、想像していたものと違う!

 

想像していたものと違う、ということは、ミステリにおけるサプライズと言ってしまえばそれまでなのですが、どう考えてもミステリの純度が薄いのは事実。

ミステリ要素がだいぶ希釈されているのを念頭に置いて読むほうが良いと思われますが、ひとまず長編ミステリとして眺めてみましょう。

 


まず、本書に組み込まれている物語上の謎を整理しておきます。

 

  1. 無政府主義者たちの真の目的
  2. 日曜および幹部連の正体
  3. サイムが辿る数奇な物語の真相

 

これらが序盤から感じ取れる本書の中核を成す謎です。

1については、ある程度序盤に明示される情報を信じれば、謎でもなんでもなくなってしまいます。

2の日曜~土曜と名のついた組織の幹部たちについては、その小出しにされる情報の性質と、サイムと彼らとの関わりあい方から、スパイ小説風の趣も感じられます。ただスパイ小説にしては物語の起伏がなく単調です。

とはいえ中盤以降、3のサイムが辿る数奇すぎる数々の事件の形が朧げに見えてくると、再び1、2の無政府主義者≒日曜の真の目的というメインの謎に帰結し、あとは驚愕の結末へ向けてまっしぐら。

日曜の正体についての伏線も前半にしっかりあって、こうやって文字に起こすと、ミステリの枠内に収まっているようにも思えます。

 

 

やはり取り上げなければいけないのは、オチの性質上の問題、そして逆説が詰め込まれた文章です。

単純にそれら逆説だらけの表現が、読者を煙に巻くためだけのもの、と決めつけるのは如何なものかと思います。

また、チェスタトンの宗教観や思想観が詰め込まれた哲学書、思想小説という捉え方も納得はできない(しよくわからない)。

もっと砕けた読み方をしてみます。

 

後半は、オチについてネタバレありで感想を書きますので、未読の方は読了後ご覧になることをオススメします。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 


これ、大人版『不思議の国のアリス』じゃないですかね?

読み終えて一番最初に頭に浮かんだワードが『不思議の国のアリス』でした。

 

主人公サイムがアリス、グレゴリーが未知の冒険へと誘うウサギだとすると、その後次々と登場する特異なキャラクターたちも『不思議の国のアリス』と共通するところがあります。サイムとグレゴリーもテーブルごと地下へ落ちてゆくシーンなんかは、まんまアリスが穴に落下して物語がスタートするのと同様です。

また、サイム一行が黒服の群衆に追われるシーンも、さながらトランプの軍隊に追われるアリスのように見えます。

 

そして、夢オチという共通点も見逃せません。

『不思議の国のアリス』が従来の教訓物語を脱し、純粋に子どもを楽しませるために作られた画期的な文学だったのと同様、『木曜の男』も当時流行に乗りつつあったミステリという仮面を被りながら(ミステリを基幹に敷いた)、その実は大人向けに書かれた童話(変だけど)ないしは、ごくごく一般的な娯楽作品だったのではないでしょうか。

 

よく読み返すと、ミステリに拘らずに、思想小説や哲学書、宗教論が織り込まれているのもターゲット層を広げるためだと受け取れますし、逆説が盛り込まれているのもコメディやユーモア小説に近しいものを感じさせます。

 

 

最後にあと少しだけの部分を掘り下げてみます。

どこから夢なの?

この部分だけでも読み返して見てみると、めちゃくちゃ面白いんです!

キーパーソンは、サイムが覚醒後に出会うグレゴリーの妹ロザモンドです。

彼女は、最初ロマンスめいた雰囲気で登場した後すぐに退場し、最後にチラッとしか登場しないにも関わらず、なぜか鮮烈な印象を残します。

創元推理文庫版の頁18前後を歪んだ目線で見てみると、それっぽい部分を見つけたので、以下にメモしておきます。

 

彼の周囲にはライラックの花がしじゅう匂っていて、

  1. ライラックの香りにはリラックス効果がある。
  2. 最後に登場するロザモンドもライラックの花を摘んでいる。

 

立ち上がると、驚いたことに、もう庭には誰もいなかった。

何か、シャンパンを飲んだ時のような気持がして、

  1. 急に誰もいなくなる。
  2. 酔っ払ったような感覚

 

サイムがその家を出てから起こったことは夢とでも思うほかない

夢でした。

 

 


以上、誇大妄想も多分に含みますが、大人になって読む『不思議の国のアリス』だと思えば、それほど悪くない本だとは思いますし、オチの伏線探しをしてみてもかなり楽しめる作品なのではないでしょうか。

 

 

 

 

ネタバレ終わり

チェスタトン独特の文体はやや読みにくい部分がありますが、情景描写や色使い豊かな文章にはウットリしてしまうこともしばしば。
ブラウン神父をはじめとする短編集では、サラリと流してしまう絵画的な筆致も、長編のボリュームで延々と脳内に刷り込まれると、その情景の数々が容易に思い浮かべることができるのはまさに驚きです。

ミステリを読もうと思って手に取ることは避けた方がいい作品だとは思いますが、本書(『木曜の男』)をミステリだと思って読むのは大いにアリな作品です。
ふふふ、逆説。

 

では!