僕の猫舎

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クリスティの復讐成るか!?中期の意欲作【ネタバレ感想】アガサ・クリスティ『愛国殺人』

 

愛国殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

愛国殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 


発表年:1940年

作者:アガサ・クリスティ

シリーズ:エルキュール・ポワロ19


   今日はですね。当ブログでは珍しく、最初っから最後まで完全にネタバレありでお送りしたいと思います。なので、当然のことながら未読の方は本書をまず読んでから進んでください

   また、ネタバレなしには書けないというわけではなくで、ネタバレして当ブログのポリシーに反してまでも記事にしたくなる作品だ、という点に注目していただければ幸いです。ようするに面白いってことです。

 

   あとは個人的な解釈がほとんどですので、「へぇそう思うんだ」くらいの軽い気持ちでご覧ください。

 

 

 


   ではさっそく本書を語る際にかかせない特徴を挙げながら、考察していきましょう。

タイトル(日本・アメリカ版)に秘められたダブルミーニング

   本書が書かれたのが第二次世界大戦直前ということもあって、扱われているテーマには時事的なものが含まれ、一見ミステリにも巧く組み込まれているように見えます。

   ただ、邦題の元にもなったアメリカ版の原題『The Patriotic Murders』を見ても明らかなように、愛国者による殺人の真意を捉えることさえできれば、真相はかなり見え易いものです。かといって原題『One, Two Buckle My Shoe(いち、にい、私の靴のバックルを締めて)』は英語だから伝わる数え歌ですし、そのまま邦題化するのが難しいのも事実。とはいえ、後述のスパイ要素と併せて、クリスティが本作を書いた真の目的が、純粋なミステリとしてのサプライズに無かったと考えると、そこまで真相の見え易さは気にならなくなるでしょう。

 

 

あからさまなスパイ要素

   本作では最初から最後まで、謀略の臭いがプンプンと香ってきます。登場人物には、退職した政府の役人や、命を狙われている権力者が登場しますし、実際に捜査を妨害する上層部からの圧力がかかるなど、かなりリアルに描写されています。

   しかしですね。あのクリスティともあろう天才女性作家が、まさか再びスパイ要素てんこ盛りで、長編ミステリを書くとお思いでしょうか。ましてや、『ビッグ4』の失態から何も得ず、同じようなコンテンツの焼き回しを繰り返すはずがありません。

   つまり、本書に用いられている、あからさますぎるほどスパイ要素のごり押しは、逆に狡知で冷酷非道な犯人をばっちり指し示しています。『ABC殺人事件』と同じように、事件同士を繋ぐ環を探すことが大事だと序盤から気付かされるのです。実際にポワロもこう述べています。

58頁 本当の犠牲者はたぶんアリステア・ブラント氏のはずだった。いやそれとも、これはほんの序の口―恐るべき事件の序幕というもんですかな?どうも臭い。

   この時点でポワロは、真の目的がブラント氏ではない、という点に注目しています。やはりどう考えても、クリスティの意図が、謀略関係のミスディレクションに無かった、というのは確定です。

 

 

破壊力のある最終章

   では、クリスティの真の目的はなんだったのか。人気絶頂の真っ只中、物語をペランペランにして、真相を見え易くしてまでも、スパイ要素を随所にあしらった長編ミステリを書いたのはなぜでしょうか。それを推察する手がかりは間違いなく最終章にあります。

   最終20章では、既に犯人は逮捕されており、ポワロと退職した政府の役人バーンズ氏との会話だけで構成されています。ここでバーンズ氏はポワロを驚愕させる一言を放ちます。

   要約するなら、バーンズ氏は死んだと思われていた元情報部員チャップマンであり、妻などもったことが無かったのです。この告白は、チャップマン夫人は架空の存在であり、誰かがチャップマン夫人を演じていたことを意味します。

   もしバーンズ氏が本書中盤でその事実を明かしていれば、そこから数珠つなぎに、殺人の真の対象がミス・セインズバリイ・シールとアムバライオティス氏であることも判明し、真犯人まですぐさま辿りついてしまうはずだったのです。

 

   よく読み返してみると、そもそも最終章を含むバーンズ氏の登場自体、謎解きにおいては全く不必要なものです。19章の解決編で十分サプライズは満たしており、極端な話、マザーグースの童謡と絡めた章立てや、国際的な時代背景でさえ無意味だと言って過言はありません。

 

   にもかかわらず、この形式にこだわったのは、もしかすると、復讐のためだったのではないでしょうか。

   『ビッグ4』をさんざん扱き下ろし、プライベートをほじくり回した世間と読者に対する、ミステリ作家としてミステリを用いた復讐。

「スパイものを書いたら難癖つけるくせに、結局こういうのが好きなんでしょ」

「だいぶ頭を悩ませたようだけど、この最終章で全て崩してあげる」

   遊び心というよりかは、クリスティの黒い部分を垣間見るような構成に、読了直後は戸惑わせられました。

 

   しかし、少し時間を置いてさらっと読み返してみると、クリスティが心からミステリを愛していたことも読み取ることができます。

   ひとつは真犯人に対するポワロの姿勢です。『オリエント急行殺人事件』から脈々と繋がる人命の重さに関するポワロ(クリスティ)の持論は、『死との約束』や『死の猟犬』でも感じる取ることはできますが、本書ではかなりストレートに何の仄めかしもなく熱い思いが語られています(362頁)。これこそ、クリスティがミステリを通して世界に伝えたかったことに違いありません。

   また、ミス・セインズバリイ・シールの失踪に際して、今までは新聞などを用いていたにも関わらず、本書では初めて警察がBBCに協力要請をしたことも描かれ(146頁)、新たなチャレンジと工夫も見られるなど、前向きな姿勢も感じられます。

 

   僅かながら出来得る限りの作家としての抵抗と、作品に対する深い愛情、それら複雑な感情が練り込まれた本作は、物語の厚みを犠牲にし、不快に感じる登場人物を多く登場させるなど、面白さを書くことを承知で創り上げられた挑戦的な一作なのかもしれません。

   ストレスを十分発散させたデトックス効果が、次作以降の作品に貢献することを期待しています。

 

では!