僕の猫舎

主に海外ミステリの感想を綴るブログです

ミス・テリー殺し

   日曜の朝早く、ミス・テリー嬢が屋敷内の自室で死んでいるのが発見された。口許には嘔吐の跡が見られ、横たえた躰から伸びる華奢な右手には、齧りかけのリンゴが握られていた。容疑者は、ミス・テリーの死亡時間帯に屋敷にいたとされる4人の人物。

 

 

登場人物紹介

パーキンソン夫人・・・テリー嬢の義母

スコット大尉・・・・・テリー嬢の婚約者

ベスナー医師・・・・・パーキンソン夫人の主治医

ロマン・・・・・・・・屋敷の執事

 


   死の一報を受けた、ロンドン警視庁が派遣したのは、スコットランド・ヤードきっての敏腕警部テイラーテイラー警部は、屋敷へ赴くタクシーの中で、検死医からの報告書に目を通していた。ミス・テリーは21歳の才気煥発な女性だった。体は健康そのもので、こちらも壮健で前途有望な陸軍士官スコット大尉との婚約が、つい最近報じられたばかりだった。胃の内容物から、朝食を全く摂取していないこと、死因は青酸カリによる中毒死で、口内と食道から薬物の痕跡が見つからなかったことから、青酸カリ入りのカプセルを摂取したと推測された。

   以下は、テイラー警部の捜査と尋問により得た状況証拠と証言のあらましである。

  • テリー嬢の部屋は施錠されておらず、事件が起こったとされる時間に、誰しもが他の人間に見られずに彼女に近づくことができた。屋敷は厳重に施錠されており外部犯ではない。
  • 殺害現場になんの遺留物もなく、犯人の痕跡は皆無である。屋敷から出るゴミや郵便物の中にも不審なものはない
  • パーキンソン夫人は居間で編み物をしており、不審な物音や出来事は無かったと言っている。他の3人もパーキンソン夫人を目撃している。
  • スコット大尉は敷地内で乗馬を楽しんだ後屋敷を訪れ、パーキンソン夫人とテリー嬢に挨拶をした。ベスナー医師の姿は見ていない。
  • ベスナー医師は、テリーの死亡時刻頃は屋敷内の図書室で調べものをしていた。執事のロマンが飲み物を給仕している。調べものが終わってからはずっとパーキンソン夫人とともにいた。
  • ロマンはベスナー医師とスコット大尉の両方を出迎えたことを認めている。スコット大尉を最後に見たのは乗馬後の汗を流すためにバスルームに入るところ。ベスナー医師はパーキンソン夫人と談笑していた。

 

  そして以下は、真偽のほどは不明だが手がかりとなり得る証言である。

  • パーキンソン夫人「スコットとテリーはうまくいっていなかったわ。もちろん悪いのはスコットよ。」
  • スコット大尉「テリーとうまくいっていなかったことは認めます。悪いのは僕だし、僕自身長く続かないだろうとは思っていました。でも、殺したりなんかしません。怪しいと言えば、僕はベスナーだと思います。たびたびテリーを変な目で見ていましたから。」
  • ベスナー医師「私はたまたまパーキンソン夫人を往診しにきただけですからこの事件には無関係です。たしかに図書室で毒物の専門書を見ていたことは隠しませんが、青酸カリなんて素人が使う毒です。私ならもっと上手にやりますね。そもそも動機がありませんよ。一番動機があるのはス…やめておきましょう、根拠のない告発はみっともありません。」
  • ロマン「わたくしめに嫌疑がかかるなんてもってのほかです。テリー様には本当によくしていただきました。テリー様には。ここだけの話ですが、パーキンソン夫人はベスナー医師にぞっこんです。テリー嬢を見る目にいつも良くない光が宿っているのに気付いておりました。」

 

   テイラー警部はこれらの証言と手がかりを得た後も、精力的に屋敷内の綿密な捜索を徹底した。彼は知らぬ間に抜け落ちたジグソーパズルのピースを探しているかのようだった。そのピースはどこにでもあるような風景の一片かのように思われたが、一枚の絵を完成させる最後のピースである、という確信がテイラー警部にはあった。

   徹底かつ完璧な捜索の結果むなしく、パズルのピースはおろかパンくずひとつ出てこなかった。意外なことに、テイラー警部の目には落ち込んだりがっかりしたり、という表情は浮かんでいなかった。眉にぐっと力を入れ、心には強い決意と確信を持って関係者たちを一同に集めた。

   パーキンソン夫人は、そわそわと編み針を不安げにいじり、スコット大尉はジャケットのポケットに手を入れて踏ん反り返っているが顔色は決して良くない。ベスナー医師はどこかリラックスしているように見え、ロマンは執事の鑑を思わせる厳粛な表情と姿勢で、控えめに部屋の隅に立っている。

 

「みなさんが確信を疑惑を持っておられるように、私も皆さん以上に強い確信と、疑惑ではもうありませんが、自信を持っています。もちろんミス・テリーがこの中の誰かに殺された、ということです。」

   そういってテイラーは4人を見渡した。

「ミス・テリーの自殺はありえません。彼女が誰かに抱いていた感情はこの事件では強くありません。むしろ、ここにいるみなさん4人が彼女に抱いていた感情を考慮すると、誰が彼女を殺しても無理はない、そんな状況だったのではないでしょうか。」

「まず今回の事件は間違いなく計画的な犯行です。青酸カリ入りのカプセルを常に持ち歩いている執事がいるでしょうか。彼女との個人的なトラブルがあって、突発的に殺人を起こすことはあっても、容易周到に練られた犯行とロマンは合致しません。」

「続いてベスナー医師ですが、機会と手段は十分に持ち合わせています。さらに、ロマンとスコット大尉の証言から、ベスナー医師がテリーに知人以上の興味を抱いていたことは明らかです。二人になんらかのトラブルがあったのでしょうか。そして、騒動になるのを想定して事前に青酸カリ入りのカプセルを用意していた、ということはありえるでしょうか。間違いなくあり得ます。しかしトラブルになった以上、テリー嬢がベスナー医師から勧められたカプセルを何の疑いもせずに飲むことは絶対に考えられません。」

 

「ここまではテリー嬢に対する恋慕が動機でした。一方、テリー嬢を憎んでいたのは誰でしょうか。ベスナー医師の心を射止めた義理の娘に嫉妬の炎を燃やしたパーキンソン夫人でしょうか。それとも、一度婚約したはいいが、自分自身の不義で撒いた種を刈り取ることになったスコット大尉でしょうか。二人とも強い動機と機会、そしてテリー嬢に怪しまれずにカプセルを渡す手段があります。そう、ベスナー医師です。彼が処方した栄養剤だといって彼女にカプセルを飲ませることは容易だったに違いありません。」

「残念ながら、数少ない事実から仮定できるのはこれで以上です。」

   テイラー警部の声には敗北の響きがあった。しかし、テイラー警部は表情を引き締め、再び力強く話し出した。

 

「そしてここからは、数少ない事実の中から本物の物証を取り出したいと思います。それにはやはり数少ない事実の一つにもう一度目を向けなければなりません。皆さんの中に、一人だけ大きく動きすぎた人物がいます。他の2人は、ゆったりと休日を満喫している風、1人は執事としての職務を全うしていました。しかし、スコット大尉だけは違います。朝から乗馬で汗を流し、パーキンソン夫人とテリー嬢に挨拶をした後、シャワーを浴びています。何故挨拶をした後なのでしょうか。スコット大尉ならご婦人方に会う前に体を清めたいと思うのが普通のはずです。何故、テリー嬢に会った後でシャワーを浴びなければならなかったのか。ここでテリー嬢の遺体の様子が思い出されます。口許の嘔吐の跡です。体には嘔吐の痕跡が見られましたが、吐しゃ物は現場に残されていません。そこから導き出される答えはたった一つです。一度その時の様子を思い浮かべてみましょう。テリー嬢は自室で朝食代わりのリンゴを一口頬張る。その時スコット大尉が現われ、ベスナー医師からもらった疲労回復によく効く新しい栄養剤を手渡す。何の疑いもなくテリー嬢はカプセルを呑みこみ、異変に気付いた時には既に手遅れでした。必死で今呑みこんだものを吐き出そうとするでしょう。そして、吐き出したはいいが、薬の効果は覿面です。彼女はあえなく力尽きます。思いがけず汚れてしまったスコット大尉は焦ります。せっかく誰にも見られず遂行できたのに、これでは一巻の終わりだ、と。彼がシャワーを浴びて体を清めなければならなかったのには絶対的な理由があったのです。ジャケットを軽く洗うくらいの時間しかなかったでしょう。屋敷の滞在者全員が容疑者になるという特殊な状況でなければ成立しえないギリギリの綱渡りでしたが、それでも彼はなんとかやってのけました。」

   テイラー警部はここで口を閉じ、じっとスコット大尉を見つめた。たまりかねたようにスコット大尉が口を開く。

「警部さんご自身がお気づきだろうと思うので、僕から言うのはどうも気が引けるのですが、なんの根拠もない、ただの憶測で名誉を傷つけられるようなら、僕も黙ってはいられません。今までの長々としたお話全て、ただの空想話です。何の証拠があって僕を告発するのですか?今日一日屋敷中をしらみつぶしに捜索されていたようですが、僕の名前が記されたダイイングメッセージでも見つけられたのですか?」

   スコット大尉の顔には嘲りと余裕の色が見えた。テイラー警部は後ろ手に組んだ手を解きリラックスした姿勢でこう告げた。

「なにも見つかりませんでした。」

「それなのに僕を愛する婚約者殺しで告発すると言うのですね!警察というのは無能の集まりだな!」

   テイラー警部は静かに目を閉じた後、意を決したように、冷たく空気を切り裂くかのような透き通った声でこう言った。

「『なにも見つからなかった』ということを見つけたのです。」

「な、なにを…」

   あきらかにスコット大尉は狼狽していた。テイラー警部は気にも留めず続ける。

「間違いなくテリー嬢は嘔吐しています。そして吐しゃ物は犯人に飛散しました。焦った犯人はシャワーを浴び、汚れを取り除きます。小さな汚れは排水溝を通って下水へと流れてしまうでしょう。ですが大きなものは?私は現場の状況と検死報告を最初に見た時から引っかかっていました。なぜテリー嬢の体内から死の間際に齧っていたリンゴのカケラが出てこないのか。そしてなぜ嘔吐の形跡があるのに、吐しゃ物の中にリンゴのカケラがないのか。導き出される答えは一つです。リンゴのカケラは犯人が持ち去った。ではなぜ持ち去ったのでしょうか。そこに明確な理由があるとは思えません。間違いなく偶然の要素が重なって、犯人は意図せずにリンゴのカケラを持ち去ってしまったのです。犯人はそれに気づいたでしょうか。気付いたならどうにかしてそれを処分しようと奮闘したはずです。そこで私は屋敷中を捜索しました。排水溝の中からゴミ箱、洗濯物のカゴもひっくり返してみました。その結果はスコット大尉が言った通りです。何も見つかりませんでした。指し示す事実はもうこれしかありません。犯人はリンゴのカケラを気付かずに持ち去ったあの殺害の瞬間以降、ポケットのどこかに未だ気付かずに所持している。スコット大尉。ジャケットを拝見してもよろしいですか?」