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リーダーズ・ハイを体感せよ【感想】マイクル・イネス『ある詩人への挽歌』

 

ある詩人への挽歌 (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

ある詩人への挽歌 (現代教養文庫―ミステリ・ボックス)

 

 

 

発表年:1938年

作者:マイクル・イネス

シリーズ:ジョン・アプルビイ警部3

   

   あらすじは不要でしょう。第一部の数ページを読むだけで、奇矯な人物の死と、その人物を巡って起こる様々な事件が本書の中核を成していることがわかります。

   そして感想の前に、これを言っといたほうがいいと思います。

3分の1は我慢して読んでほしい。

   「我慢して読め」というほど直球ではないのですが、本書の解説でも

最初はとっつきにくい

と書かれています。これを先に言って欲しかった…久々に根気を必要とされる読書体験になったからです。

   最初の3分の1程がスコットランド語で書かれているらしく、名翻訳だとは思うのですが、確かに読みにくいと感じました。文章云々ではなく、記述形式に問題があるような気もするのですが。

   第一章「イーワン・ベルの記述」に始まり、「~の手紙記録」「~の調査」と登場人物各自の一人称の証言という形で物語は語られます。これは、パーシヴァル・ワイルドの『検死審問』に見られるような、登場人物たちの証言を撚り合わせて真実を紡ぎだす形式と似ています。ただ某作では、舞台は常に固定されているのに対し、こちらは語る人物によって舞台がガラリと変わってしまうのがさらに難解さを際立たせているようにも思えます。

   ミステリにおける手がかりと、そうでない記述を選定する作業に一番根気が必要でした。結果として、どの記述も決して気を抜いて読んではいけなかったのですが…

 

   このようにある程度序盤は頑張って読むことをオススメしますが、中盤以降(事件後)は、ぐいぐい物語に引き込まれるし、スコットランドの寒々しい田舎の美しい叙景描写と、エルカニー古城の荘厳かつ怪しい独特の雰囲気がしっかりとイメージできてくると、さらに面白くなってきます。また、前述の登場人物たちが、まるでバトンを渡していくが如く手がかりとなる記述を次々に披瀝し、徐々に不可解な事件が形を帯びてくると、結末部で起こるであろう壮大なクライマックスの予感をしっかり感じることができるでしょう。ここまで読み進めると、しんどかった読書作業が快感に変わります。ランナーズ・ハイならぬリーダーズ・ハイといったところでしょうか。所々挿入される、スコットランドの詩人ダンバーの詩も雰囲気をグンと高めてくれるし、読み物としてはこの上ない出来だと思うのですが、ミステリ方面はどうでしょうか。

   トリックはやや味気ない気もするのですが、なんといっても素晴らしいのは事件の構成です。奇人ガスリーに端を発する、ただでさえ複雑な事件ですが、登場人物がそれに輪をかけて(作者が意図的に)複雑にしてしている気もします。なので創り物感は否めないのですが、それら複雑に絡み合った事件を最終章で解きほぐす作者マイクル・イネスの手腕には脱帽です。

   江戸川乱歩が「読みごたえのある重厚な作品」と讃えたのは、この部分なのではないかと思います。完成されたプロットと二転三転する驚愕の真相を持つミステリ黄金期の傑作は、やはり一筋縄ではいかない作品でした。ある程度、意気込んで読んでみる。そんな読み方をしてみるのも悪くありません。

 

余談ですが、第5部医師の遺言は、それだけで1冊できるんじゃないかというくらい、美麗で奥行のある文章が見事です。これだけ読んでもワクワクできること間違いなし。

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 

 

 

 

   さてイーワン・ベルなる人物が曲者感を出している。教養ある人物なのかそうでないのか。個人的にはちょっとバカっぽいなと思ってしまった。

   第一部は、ほとんどがラナルド・ガスリーの変人エピソードの紹介で終わる。そのおかげもあって、ある程度キンケイグ村の状況や、ガスリーを取り巻く登場人物たちの様子は理解できたと思う。雰囲気もやや暗めで、登場人物たちも奇人揃い。エルカニー城下働きタマスや教師ストラカンが、異彩を放っている。もし彼らが事件に絡んで来れば、容疑者候補から外すことはできないだろう。

   第二部ノエル・ギルビーの記述では、城内の様子と事件までの顛末が語られる。ラナルドの被後見人クリスティンと恋人ニールがしっかり事件に絡み、ニールについては、最有力容疑者候補に名乗りを上げた。だが、どうもこの容疑者は紛い物っぽい。

   そもそも、今まで二人の結婚に反対していたガスリーが急に快諾したのが怪しすぎる。これはもちろんガスリーになんらかの(悪い)企みがあったのだろう。そして、そのために彼は命を落とすことになったに違いない。

   偶然を装って(?)エルカニーに着いたシビルはどうだろうか。動機はもちろん遺産に違いない。殺害現場に最後まで残っていた彼女はたしかに状況から見れば怪しいが、彼を突き落すだけの度量と力があるだろうか。

 

   逆に消去できる人物を考えよう。一瞬、ノエル・ギルビーが親族の可能性も考えたが、そう疑って第2部を読んでも、含みのある記述を発見できなかった。手がかりが少なすぎるので、やはり彼は無関係か。

   そういえば、彼がかなり突飛な方法で手にした鼠の手がかりにはどんな意味があるのだろう。頭が痛い。

   差配人のハードキャッスルは小悪党だと思うが、完全なアリバイがあるし、頭も悪そうなので除外した。やはり可能性として考えられるのは、ガスリーのニール殺害計画、そしてその失敗に伴う自身の死。これが一番ありえそうに思える。そうすると、ここまで複雑にしなくてもいい気もするので真相としては無しなのだろうが…どうも思考が追い付かない。

 

   さあ問題の第5部に到達した。ラナルドの兄の記述だ。これで事件は大きく転換する。兄イアンとの入れ替わりによる殺人、これが真相なのか。

   ここまで来ると≪推理過程≫もなにもあったもんじゃないな。今回は、潔く敗北を認めて読み進めるとしよう。

 

 

 

…まさかのイーワン・ベル!!!!

   計算された目撃者・幽霊騒ぎ・欠けた指のデマ、それら全てが真実の指差していました。緻密で計算され尽くしたプロットにただただ驚くほかありません。こんなの推理できた読者はいたんですかねー…

   うまく言葉で言い表せませんが、推理小説としての一つの完成形を見た気がします(これどっかでも言ったな)

   粗を探そうにも、隠された情報が全然ありません。どの手がかりも、巧妙に隠されしっかりと記述されていました。例えば、イアン生存の仄めかしは第一部(85頁)で既に

二人で―未開のオーストラリアへ行った。―(イアンは)野蛮なオーストラリア人に殺されて煮られてしまったというのだ。

と書かれています。そりゃないよ、と言いたくなりますが、全てはガスリーの奇人ぶりに繋がっていました。できれば気力のあるうちに再読してみたいと思います。

 

   そういえば、黄金の羊毛亭さんでは、本書の構成を"多段構造の解決"と表されていました。なるほど。読み返せば返すほどしっくりくる素晴らしい表現でした。

   個人的には谷川俊太郎の『これはのみのぴこ』をイメージしました。誰かわかるかなぁ…

ただの多重解決とは一味違う捻りのある構成も本書の魅力の一つなのかもしれませんね。

では!