貴族探偵ピーター・ウィムジィ卿に寄せて

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引用:創元推理文庫『ピーター卿の事件簿』 頁321

 

 

   ピーター卿に寄せて、と書いたはいいのですが、実はノープランでキーボードをたたいています。そういえば、再来週から『貴族探偵』なる新月9ドラマも放送されるようで、世間一般の貴族探偵というワードに対する興味はかなり高騰しているのではないでしょうか。麻耶雄嵩氏原作の『貴族探偵』についての知識は全くないので、誤って人気アイドルグループ嵐のメンバーである相葉雅紀さん目当ての検索ワードに引っかかり、本ページを訪れた方がいらっしゃれば、誠に慚愧に堪えません。

   本ページでは、イギリスの女性推理小説作家ドロシー・L・セイヤーズが書いた、貴族探偵ピーター・ウィムジィ卿シリーズ、そしてピーター・ウィムジィ卿自身についてフォーカスして解説したいと思っています。相葉雅紀さんがどれだけ貴族になりきれているかは知りませんが、本シリーズに登場するピーター卿は、紛れもなくイギリスの公爵家に生まれたれっきとした(想像上の)貴族です。「貴族」と「探偵」という甘美で気分を高揚させる組み合わせが素晴らしいのはもちろん、それら二つの要素がぶつかり合い、さらにはそこにロマンス・怪奇・冒険、そして極上のユーモアが加味されることで、唯一無二の推理小説が確立されています。ドラマ『貴族探偵』に興味がある方も是非、ドロシー・L・セイヤーズ原作のピーター・ウィムジィ卿シリーズに挑戦してみることをおすすめします。

 

華麗に加齢を重ねたピーター卿

   まずは、彼のプロフィールをなるべく簡単に紹介しようと思います。

 

   ピーターの幼少期は、そこまで幸福なものではなく、ひ弱で内向的な性格だったようです。幼少期特有の睡眠障害に悩まされ、学友からも≪弱虫(フリムジー)≫と揶揄される少年は、いつしか読書や音楽といった文化的教養に傾倒していきました。しかし、名門イートン校でクリケット野球のようなスポーツ)の才能が開花してから彼は一躍人気者になります。その後オックスフォードを最優等で卒業したピーター卿は、紆余曲折を経て、1914~1918年まで陸軍少佐として従軍し、そこで生涯の友であり戦友であり執事であるマーヴィン・バンターと出会います。しかし、1918年にドイツ軍の爆弾によって生き埋めの惨事に遭ったピーターの精神は一時崩壊し、二年もの間療養を余儀なくされました。そして、1921年ピーター31歳の時、ついに彼の人生を左右する事件に遭遇します。ある名家の宝石盗難事件の裁判にピーター卿が証人として招致されたのです。戦時中、有能な諜報部員としても活動していた彼にとって、その謎はなんの問題もなかったようで、快刀乱麻を断つがごとく事件を解決してしまいます。世間は“貴族探偵”誕生と囃し立て、こうして思いがけなく世間の注目を浴びたピーターは、徐々に探偵としての活動に着手してゆくのでした。

 

   以上がピーター・ウィムジィ卿のプロフィールです。これだけ読んで、何と奥深く細緻まで造り込まれた人物だろう、と興味が沸いて来れば、本を手に取るまで時間はかかりません。

   一方で、「“貴族”なんて今の時代には存在しない荒唐無稽な話だ!」と一蹴したくなる気持ちもわかる気がします。はたして本シリーズは、現代においては既に古臭く、過ぎ去ってしまった存在なのでしょうか?

 

 

貴族探偵とは何ぞや

   以下は貴族というWikipediaのページからの引用です。

貴族(きぞく)とは、特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団を指す。

   貴族制度についての知識が皆無なので、ここからは自信がないのですが、彼ら貴族たちは、働かなくとも、所有している土地からくる不労収入などによって、年中懐はほくほくで、狩りやパーティー、嗜好品の蒐集などに勤しんでいます。まさに、生まれながらの勝ち組というイメージがあります。

   もちろん現在においては、同じような恩恵を受けている貴族は少ないでしょう。ましてや日本にはそんな人間はいません。ただ、生まれながらの勝ち組、という点を考えてみると、思い当たる節はあります。大企業の社長、一部の大物政治家、医療などの専門分野の権威。そんな彼ら権力者たちの家庭に生まれ、生きるのに何の苦労もせずに成長してきた人間はどうでしょうか。

   全員が全員、何の苦労もしていないとは言いません。また、働いているか否かという大きな相違もあります。しかし、そういった階級の人間が一定数存在することは確かだろうし、彼らこそ現代における“貴族階級”と言えるのではないでしょうか。

   そして、そんな人物が「探偵」をしている姿を想像してください。有り余る金と時間を用いて、説得力の無い正義を振りかざす、鼻持ちならない尊大で傲慢な厭味ったらしい人物が浮かんできたでしょうか。むしろ凡人の頭で考えると、そんなイメージの人物しか想像できないのが現実です。

 

 

ピーター卿という貴族探偵

   では、ピーター・ウィムジィ卿はどうか?

   彼は戦争後遺症という心に傷を負っているとはいえ、人生を全うしても使い切れない金と時間を持っています。さんざん戦争で人を殺めてきたにもかかわらず、全力で殺人を犯した犯罪者を追います。これら矛盾した状況に対し、作者ドロシー・L・セイヤーズが出した解こそ、本作最大の魅力であり、唯一無二・古今無類の貴族探偵ピーター・ウィムジィ卿が究極の人間性を持った探偵であるという証明になっています。

 

セイヤーズはピーター卿の「探偵行為に正当性を持たせない」という方法を選びました。

 

   ピーター卿は、恵まれない人には優しく手を差し伸べ、慈善事業に寄付し、時には一般人に身を窶してまでも、格差の解消に努めようとします。自ら、生まれの幸運を受け止め、その中で出来得る(と信じる)ことに没頭し、精力を尽くします。

   対する一般人はどうでしょうか。感涙し頭を垂れ、「生涯、御前に尽くします」と誓うでしょうか。否、その反対です。冷静に、時には激高し、現実をピーター卿の眼前に突きつけます。それらは全く的外れではなく、むしろ的確で辛辣で直視しがたい現実です。読者の感情がそのまま、作中で登場人物たちの台詞を通して語られる(しかも全作で目につく)のです。

   貴族というワードから受ける豪奢で煌びやかなイメージを覆い隠してしまうほど、非情で苦悩に満ちた現実に直面する時、本シリーズがただの貴族のお小説などではないことを確信します。

 

セイヤーズの作風

   本記事では、ピーター・ウィムジィ卿その人にフォーカスして書きたかったのですが、最後に少しだけ作者ドロシー・L・セイヤーズについても書きたいと思います。

   ここで書きたいのは、彼女の推理小説作家として技能の高さ、そして語りの巧さです。長編全11作、どれをとっても、考え浮かれたトリックを用い、毎作違った趣向で、異なるアプローチで書かれていることは特筆に値します。

   その水準は必ずしも、ミステリ史上に残る最上のものばかりではないかもしれません。しかし、極上のユーモア個性溢れまくった登場人物、知的な(!)ロマンス、それらが渾然一体となったミステリは、本シリーズをおいて他には存在しないのではないか。そう思わせるのです。

   たかが、百数十冊しかミステリを読んでいない若造がこんなことを言っても、説得力はないのはわかっているのですが、そう言わずにはいられない惚れ込んだシリーズなのでした。

 

 

まとめ 
   

   以上、暑苦しい長々とした記事を読んでいただけただけでも感謝なのですが、もし少しでも興味を持った読者がいらっしゃれば、是非本シリーズを手に取っていただければさらに嬉しいです。なるべくシリーズ順に読むことをオススメしますが、どうしても踏ん切りがつかなければ、当ブログの各長編の感想記事を読んで、面白そうだな、と思った作品を読んでみるのもいいかもしれません。たぶんネタバレはしていないはずです。

 

   最後にピーター・ウィムジィ卿シリーズのベスト11を発表して終わりたいと思います。全作、面白いのは大前提なので、本格ミステリとしての総合評価という観点でサラッと見てください。

 

第11位『不自然な死』

やや時代を感じさせるトリックですが、シリーズ一スリリングな展開が待っています。

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第10位『五匹の赤い鰊』

序盤からまるで挑戦状のように突きつけられる手がかりの一つが秀逸。田舎町で活躍するピーター卿が良い味を出しています。

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第9位『雲なす証言』

シリーズの中では冒険風の味付けも施された一作。デンヴァー公爵家一丸となって難事件にぶつかります。

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第8位『死体をどうぞ』

シリーズの中では最も難易度が高いかもしれません。女性推理作家ハリエットとピーター卿のバディがしっかり機能しています。

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第7位『ベローナ・クラブの不愉快な事件』

なんとも贅沢なミステリです。なにせ一作にひとつの謎じゃないんですから。特異な謎を考慮すると、ミステリファンにとって、情報を得るためだけにでも読んでおくべき一作です。

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第6位『忙しい蜜月旅行』

シリーズ最終作にして、大胆な手法で伏線が張り巡らされた一作です。元が戯曲の作品のため舞台映えする設定も魅力のひとつ。

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第5位『殺人は広告する』

なんといってもピーター卿の働きぶりが最大の魅力です。デスクワークに潜入捜査、クリケットの試合まで八面六臂の活躍を見せるピーター卿をご覧あれ。

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第4位『学寮祭の夜』

解決編で得る衝撃は、従来の本格推理小説とは一線を画す特殊なものです。主人公はほぼハリエットでしょうか。

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第3位『毒を食らわば』

トリックが見事で、それだけでも読む価値があると思います。当ブログ名の由来である《僕の猫舎》登場作品。

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第2位『誰の死体?』

シリーズ第1作で既に、シリーズの様式美は確立されています。スリリングな結末とピーター卿の覚醒シーンが見所です。

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第1位『ナイン・テイラーズ』

まさに名作と呼ぶにふさわしい作品です。物語に登場する鐘と同様に、ずっと頭の中で衝撃が鳴り響いて止まない重厚なミステリになっています。

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では!