最後の一文にまで細やかな配慮【感想】エラリー・クイーン『Xの悲劇』

発表年:1932年

作者:エラリー・クイーン(バーナビー・ロス)

シリーズ:ドルリー・レーン

 

今ではバーナビー・ロス=エラリー・クイーンであることは誰でも知っていますが、当時は別々の作家であることに疑いを持つ人は少なかったらしいですね。

気づきそうなもんだけどなぁ…というのは既に知っている人間からすれば少し卑怯でしょうか。

本作はまさしくエラリー・クイーンにしか書けないロジカルミステリだと思うのですが…

 

 

本作の探偵役は、元舞台俳優のドルリー・レーン。60歳を前にして、聴力の低下を理由に惜しむらく俳優業を引退した彼は、舞台で演じてきたマクベス(主君を暗殺し王位についた暴君)やハムレット(父を殺され復讐に燃える王子)のような人間が現実世界にも存在することに気付き、犯罪学について独学で研究を始めます。

そして警察が頭を抱えていた事件に光明を投げかける投書を行い、事件を解決に導いた経験から、再び事件の調査を依頼されるのでした。

それが≪悲劇四部作≫とも呼ばれるシリーズの第一作である本作です。

 

今回あらすじの紹介は省略しておきます。

まず、事件の発端から読者を惹きつける展開が待っています。そして事件の調査に際して、サム警視率いる警察諸氏を彷彿とさせる綿密で読み応えのある取り調べシーンも魅力の一つです。

また、レーン氏とレーン氏をあまり信用していないサム警視の心の距離感もいい感じ。この距離が徐々に狭まってゆく過程も見どころでしょう。

さらに、警察以外にもレーン氏の元俳優のスキルを存分に生かした、独自の捜査も存分に楽しむことができます。

 

このように、推理小説を楽しむ要素だけで数限りなくあるのに加え、プロットの面から見ても、また狡猾で大胆な犯人を含むキャラクターの形成という点でも、どの角度から見ても本作は一級品です。

また、最後の締めの一文にまで、細やかな配慮がなされ、見事な締め括りとなっているのも、作品の長い余韻を楽しめる要因です。(余韻の要因…)

 

 

少しだけタイトルにも触れましょう。

『Xの“悲劇”』と題している理由については、もちろんシェイクスピアの書いた四大悲劇(ハムレット、マクベス、リア王、オセロ)のオマージュであることは言うまでもありませんが、悲劇自体がしっかりとミステリの核と融合している点は見事で、一体本作で起こる“悲劇”とはいったい何なのか?

そういった事件の背景から思いを馳せて、事件を推理してみるのもいいかもしれません。

 

ただそんな背景から読み解くまでもなく、本作中にはさすがエラリー・クイーンと唸らされる程、事細かにヒントが散りばめられており、全ての手がかりを集めることができたならば、犯人を当てることは不可能ではないはずてす。

いかにそれが読者の思考の枠外であったとしても。

 

 


やはり振り返ってみてエラリー・クイーンの作品は感想が書きにくいです…

なんといってもほぼ完ぺきに近い内容なだけに、ケチ()がつけにくい。そして文句を言うにしても、細かな点しか思い浮かばず、それを書いてしまうと謎の核心に触れてしまいそうで敬遠してしまいます。

 

本作を読んで一つ言えるのは、この≪悲劇四部作≫は必ず順番通りに、しかもシリーズを一気に読んでしまった方が良い、ということです。

あきらかにこの作品は起承転結のの部分。

登場人物(たぶんシリーズレギュラーたち)の紹介があり、レーン氏の辣腕ぶりが披露され、そういった要素が次作以降確実に新たな“悲劇”を呼ぶに違いありません!

 

楽しみしかない!

 

 

では!