毒を食らわば【感想】ドロシー・L・セイヤーズ

発表年:1930年

作者:ドロシー・L・セイヤーズ

シリーズ:ピーター・ウィムジィ卿4

 

“毒を食らわば皿まで”というのは、ご存知の通り、一度悪事に手を染めたなら最後までやり通そうという邪な考えを例えた諺です。

つまり毒を飲んで死んでしまうことが決まっているなら、皿についた毒を舐めるのも同じこと。開き直って食事(悪事)を続けようという、概ね悪い意味で使われることが多いでしょう。

 

ここで本書を見てみると、原題は“STORONG POISON”となっており、直訳すると“強い毒”ないしは“劇薬”を意味します。それが邦訳の折に『毒を食らわば』と訳されてしまったのは、はたして前述の諺と何か関係があったのでしょうか?

 

あらすじ

売れない作家フィリップ・ボーイズ殺害の罪に問われた女性探偵小説家ハリエット・ヴェイン。元恋人同士の二人の間に諍いがあったこと、ハリエットがヒ素を購入し、さらにヒ素を題材にした小説を書いていたこと、同時期にフィリップが謎の胃炎を発症したことなどから、動機と機会の両面で不利な立場になったハリエットに容疑は集中する。フィリップの死の裏に隠された真相とは?


まず冒頭から引き込まれます。

正確な裁判の様子を描きながら、事件のあらましを流暢に紹介し、事件の進展に大きく関わる役どころのクリンプスン嬢をこれまたサラッと登場させた後、ピーター卿の衝撃的な告白によって物語はせきを切ったように進みだすのです。

本作の孕む謎は、今まで以上に不可能犯罪色の強いもので、興味をそそられることは間違いありませんが、物語が進むにつれ真犯人のメッキがはがれてくると、少々展開の遅さが気になってきます。

しかしながら、それに起因するのは、推理自体の展開の遅さではなく、バリエーションに富む登場人物たちの多彩な捜査です。

ピーター卿の私設組織≪僕の猫舎ちなみに当ブログ名の由来)≫のメンバーが果敢に挑むのは、ピーター卿が潜入することのできない弁護士事務所や老婦人邸の隠し金庫。

方法はかなりグレー(黒よりの)なので、その分スパイ小説顔負けのスリリングな展開も見どころの一つとなっています。

 

おなじみのバンターやパーカー警部の活躍はもちろんですが、友人のフレディ(残念ながら登場人物一覧には載っていない)が提供する重大な情報や、マージョリー・フェルプスとの刺激的な一夜があってこそ、事件は着々と進展します。

また、犯人当てだけをとってみると及第点に留まってはいるものの、≪猫舎≫のクリンプスン嬢とマーチスン嬢の献身的な捜査によって得られた堅実な証拠をもとに、ピーター卿が構築する推理は、その強固なロジックはもとより、奇想天外なトリックも魅力的で、シリーズ随一といっても過言ではないでしょう。

 

一方キャラクター描写に定評のあるセイヤーズ作品において、一番重要とも言えるピーター卿の推理活動の原動力に関する描写が少し弱い気もします。

今回の事件に首を突っ込む根拠ともなったハリエットに対する感情然り、根拠のない確信を原動力に事件に挑むピーター卿に疑問を抱く部分もあるのですが、○○は盲目とも言うから、あながち人間らしさという点ではリアリティのある作品なのかもしれません。

 

そして冒頭の諺との比較に戻ると、犯人の心理描写としては、“毒を食らわば皿まで”より良い諺は思い浮かびません。皮肉も絶妙に効いています。

総合的に見て、大捕り物のドタバタ感はあっても、オチの歯切れの良さは、さすがセイヤーズの一言。シリーズの転換期にふさわしい一作でした。

 

では!